峰
峰にとっての煙草と言うものは、私にとってのアイスみたいなものなのかもしれない。一日に一つだけ。そんなルールなど守っても破っても大差は無いのだけれど、自分の中で作った勝手なルールに縛られる事で、よりそれがいい物に見える。
そうして、現状で満足感を得るんだ。峰は、それを知っていたのだろう。
それ以降、峰は私の前でだけ煙草を吸うようになった。一日一本と言う制約だけは頑なに守りながら。
私だけが知っている、峰の秘密。女同士、峰と私だけの共有する、それは酷く特別に思えて。だからこそ他の子達よりも優越感を覚えたし、その感情は甘美なものに思えた。
今思えば、どうして年頃の女の子と言うものは同じ性の相手に対して執着するのだろう。必ず共に行動する子を必ず一人は作り、その子に互いに依存しあう。そうして己と言う個を確立し、のめりこむ事で存在を確認しているのかもしれない。
男と女という関係の間では決して成り立たない、依存し続ける関係。
私と峰も、正にそうだった。
峰は本当に聡明な子だったからその事に気付いていただろうけれど、それでも私に依存していた。それだけは間違いないと言える。
峰は、私と『煙草』という秘密を共有する事で、私を所有したのだ。
そんな峰は、一度だけ。自分のルールを破った日があった。それは、私の卒業式の日の事だった。
式を終えた私は、玄関近くの同じ卒業生達の喧騒から離れ、校舎の中へと向かっていた。
今まではなんとも思って居なかったのに、いざ実際にここから去るとなると、それなりに寂しいような気がしたのだ。
あぁ、購買のおばちゃんにはお世話になったな、とか、あの階段でこけかけた時は恥ずかしかった、とかぼんやりと思い返しながら、気がつけば私は誰も居ないと知りながらも部室へと足を運んでいて。何だかんだといいながら、結局はここに来てしまうのか、と自分で自分に苦笑する。
がらり、と静かな廊下に音を響かせながら扉を開くと、そこに峰は居た。
私が来たとき、既に峰は煙草を口に銜えていて。学校で吸うなんて、と酷く驚きながらも私は峰に声を掛ける。
「どうしたの」
「先輩が来るだろうと思って、待っていたんですよ」
そう言い指の間に挟んだ吸いかけの煙草を、峰は携帯灰皿へ押し込めた。ちらと見えた其の中には、まだ新しい煙草の吸殻が見えて。芽生えた小さな好奇心と共に、私は口を開く。
「煙草。一日一本じゃなかったの? 」
「今日は、いいんですよ」
「どうして?」
「先輩が、卒業するから」
私がいなくなる事と、峰が煙草を多く吸う事と、何の関係があるのだろう。その因果関係が解らず、私は不思議に思いながら何時もの定位置へと座る。峰も同じ様に座った。
「だから私も、今日で煙草止めようと思って。今ので、丁度最後の一本だったんですよ」
そう言って、峰は笑う。今まで見てきた中で、一番屈託の無い笑みで。私が卒業して悲しいだとか、寂しいだとか。そんな感情なんて一つも持たずに、峰は笑うのだ。
そうして私も卒業するのだと。
(あぁ、そうか。そう、なのか)
「そっか」
「先輩、卒業おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
その祝いの言葉は、その日に聞いたどの言葉よりも、私の心に深く染み込んでいく。
ありがとう。
私はもう一度、心の中で呟く。
ありがとう、峰。
私も、卒業するよ。峰の隣から。峰が煙草から、私との秘密から卒業するように、私も。
ただ、それだけ。私と峰の思い出は、そこで御終い。あの卒業式以来私は母校に立ち寄っていなかったし、街中で峰に会うことも無かった。
あの頃は携帯なんてものも無かったし、峰の実家の電話番号すら私は知らない。
けれど、きっと私は一生忘れられないのだろう。
あの女に出会い、過ごした。一生の、ほんの僅かな時間の事も。
『峰』という名も、煙草も。
気だるい感情と共に、紫煙を吐き出す。そこでようやく、時刻が日付変更線を跨いでしまっていたことに気がついた。
この年になると、誕生日なんて言うものは惰性的なものにしか過ぎなくて。生まれてきたことへの喜びよりも先に、また一つ年三十路へ近付いてしまったことを思うとどっぷりと深い溜息が出てきてしまう。
「ハッピバースディ、トゥユゥー……ってか」
自嘲気味に一人呟くと、同時に携帯のディスプレイが光った。表示される名前は、見慣れた彼氏の名前で。
残り短くなった煙草を灰皿へと押し付けると、私は携帯の通話ボタンを押した。