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天秦甘栗  夢路遠路1

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毎日がとても速く過ぎて行く…そんな暮らしに染まって、自分は一体どれほどの時間を費やしてしまっただろう。生活の糧を稼ぐということは大切なことだろうが、それだけで人は生きていけないのではないだろうか。ある人は、それを家族に求め、ある人は遥かにかなう筈もない夢に求める。


 ある日、秦海は、たまたまスケジュールの空いた時間に、仕事場の近くを散歩してみることにした。スケジュールの空きは三時間ばかりあった。いつもなら、雑用にあてる時間なのだが、ふと気晴らしなどしてみたくなったのである。仕事が多忙を極めて、さすがの秦海も疲れてしまったのだ。ぶらぶらと歩く街角は、ウィークディの午後ということもあって比較的混雑しているが、だれもかれも忙しそうに街を割歩している。このオフィス街には気晴らしをするような店などは少ない。ふと、小さな本屋が目について足を進めた。
 本屋は間口は狭く、こじんまりとしたつくりだったが、地下があった。誘われるように、ふらふらと階下へ降りた。そこには写真集や天体関係の書物がたくさん並んでいた。彼は、そういうものには、トンとうとかったが、一冊を手にして、パラパラと捲ってみた。それは、ストレスで痺れていた心を強く打った。真っ青な宝石…深淵のオアシス…地球の写真、…写真は真実を伝える道具だとばかり思っていた秦海には、意外な感動だった。どうやら本当に疲れてるんだな、苦々しげに秦海は微笑んだ。
 

 秦海は、その本を買った。なぜだが、その写真を見て、心が落ち着いたからである。自宅に戻ってからも熱心に写真を眺めた。それほどまでに、自分がひかれる理由は、一体なんだろうと…考えた。確か、以前にもこの写真を見たことがあると、秦海は気付いた。それは、おそらく秦海が天宮とふたりでみたのだ。その当時,たいへん高価だったレーザーディスクを天宮が見たいというので、わざわざ買って、天宮に見せたのである。その時に、初めて見たのが、『コスモス』というアメリカと日本が共同制作したディスクであった。『コスモス』は、木星探査船ガリレオから送られる映像を巧みに使ったドキュメントであったが、それ以前の月から撮影された地球という映像もあった。それが、おそらく秦海が本屋で目を止めた写真と同じものだったのである。その映像を見た天宮の感想は、美しいという単純なものではなかったので、秦海の記憶に焼き付いているのだった。毒舌家だった天宮は、ニヤリと片頬をあげて、「いつか地球は、赤黒く変色して死の星になる。それまでに、是非、自分の目で実物を拝みたいねぇー。」 と、冗談にしては過激な意見を笑いながら述べたのだ。普通、つまり秦海が、それまで付き合っていた女たちなら、必ず、「きれい」だの「宝石みたい」だのと言う、ありきたりの意見しか返答しなかった。
「……あのころからだなあ。」
 秦海はポツリと、呟いた。天宮を側に欲しいと思うようになったのは…。平均的な女たちに飽きた自分には,天宮は刺激的な女であった。男であったら、自分の片腕にと願っただろうが、天宮は一応、女であったので恋人にしたかった。出来れば、人生を共に歩む伴侶に迎えたかった。それには、まず自分が天宮に相応しい人間であろうと努力した。天宮のためだけ、というわけではないが、その部分は比率としては大きかったに違いない。しかし、一筋縄でいく相手でなく、友人のまま、ズルズルと時を重ねてしまった。秦海にとって天宮を娶ることは、輝かしい夢だったのである。その夢を見初めた頃の思い出が、秦海に写真集を手に取らせたらしい。
 秦海は写真をめくりながり、ぼんやりと星に魅入るふりをして、記憶をたどった。ズルズルと過ぎてしまった時間を思い返して、クスクスと笑った。プロポーズの言葉は百度以上も口にした。強引に押し倒そうとしたことも、何度かあった。その度に、言葉でスラリとかわされたり、殴り倒されたり蹴られたりしばかれたりしたことも今となっては楽しい思い出である。夢は困難な程、達成した時の喜びは大きい。

 そして…彼の夢はかなった。天宮は秦海の妻となった……しかし、秦海の夢は完全にかなったわけではない。現実は同居したにすぎない。今は天宮が身近にいるということで満足はしているのだが…。



「…ただいまあ~あっ、久し振り~しんちゃん。元気だった。」
 ふすまをガラリとあけて、秦海の妻になった天宮が入ってきた。彼女は大蔵省の研修で三日間ばかり屋敷を留守にしていたのだ。その姿を見た秦海は、一気にストレスが飛んでしまった。……なんだ、俺は仕事が忙しかったんじゃなくて、天宮がいなくてしょげてたのか、……なんてことだ。秦海は自分で自分に呆れた。まだ、自分は楽園に一歩踏み入って、その住む人に声をかけたにすぎないのだ。まだ、自分は楽園に住んでいるわけではない。そのことを秦海は自覚した。服を普段着に着替えて、天宮は秦海の前に座った。
「…おかえり、天宮。」
 ゆっくりと言葉を確かめるように秦海は言った。言われた本人は、それを目線で返して、秦海の前にある写真集に目をやった。
「おや、リアリストのしんちゃんが写真集なんて、珍しいね。……これ、古本じゃんか。よくもまあ、買う気になったもんだ。」
 活字中毒の天宮は本の表紙を見ただけで、そう言った。
「えっ?」
「あっ! 知らんと買ったんかいな、これは絶版になってて古本屋でしか手に入らんのよ。高くはないけど、希少価値のある写真集よ。」
「いや、ふと、この写真が気にいってな。」
 そう言って、秦海は真空の闇に浮かぶ地球の写真を、天宮に見せた。天宮は、しばらく眺めていて、「古い写真」 と、一言告げると立ち上がって部屋を出て行った。
 天宮は、すぐ部屋に戻って来て。秦海に別の写真集を開いて渡した。
「これが、最新の写真。とは、言ってもNASAが公開するのは遅いから、おそらくは数年前のものだろうけど…」
 新しく渡された本を秦海が熱心に覗きこむのかと思っていた天宮はアテが外れた。秦海は写真を見るのではなく、天宮を熱心に見ているのだ。
「なにか言いたいことがある? しんちゃん。」
「いや、天宮が、『ただいま』って、うちに戻って来るのが嬉しかっただけだ。」
 秦海が長年思い描いた夢は現実のものとなってある。こんな瞬間がきたことが、秦海にとってどんなことよりも重要だった。
「……でもね、夜食食べたら、家に帰るけんね、わたし。」
 悪魔のような言葉を吐いて、ニコニコと微笑みながら天宮は、井上が持ってきたお茶を飲んだ。そして、その井上に夜食を頼んだ。
「…えーっと、ごはんとかつおぶしとお醤油をください。」
「明日にしたらどうだ? 今日はゆっくり研修の疲れをとってから、家に帰ればいいじゃないか。」
 無駄とはわかっていても秦海は引き止める。天宮にとって、楽園はここではない。緑深い山奥にある自分の家こそが楽園なのだ。
「ストレスたまってるからなあ、今日は川音を聞きながら眠りたい。」
作品名:天秦甘栗  夢路遠路1 作家名:篠義