Drawing ♯0
3
次の日も、その次の日も、僕は同じ場所でスケッチブックに向かった。
白いページに鉛筆の線が走り、真っ白な風景を少しずつ切り取っていく。
そして横のベンチには、いつもあの女性がいた。毎日同じキャメルのコートとワイン色のマフラーを纏い、毎日同じ鋭い目線で街を眺める。そして細い指を緻密に動かし、スケッチブックに何かを描いている。
ほぼ同じ目線で、ほぼ同じ風景を描いているだろう彼女のスケッチブックには、どんな風景が広がっているんだろう。僕と似た世界か、それとも全く別の見え方をしているのか。
毎日毎日同じ場所で顔を合わせる僕たちは、朝と夕に軽い挨拶をした。僕はその度に何故か顔に血が上り、なんとなく緊張した。
今ままで訪れた場所で知り合った人たちには、特に人見知りなんてしなかった。彼らは初めは僕の事を不審がったり、珍しがったりしていたが、そんなことよりも僕はその街のことを知りたかったし、彼らの話を聞いてみたかった。どんな風景があって、何を見てきて、どんな場所を好んでいるのか。彼らの話や、彼ら自身は、僕の絵に少なからず影響を及ぼした。線の濃さであったり、色の明暗であったり、新しい発見を僕に与えてくれた。そしてそんな、何かを与えてくれるという予感を、僕は彼らに持っていた。
でも彼女は、僕がこの旅の中で初めてあった同じ「絵描き」だった。彼女がただの旅行者でないことはその顔つきや手の汚れなどから感じ取ることができた。旅行のついでに絵を描いているんじゃない。絵を描くために歩いている。
僕と同じだ。きっと。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、いつの間にか手が止まっていた。僕は普段絵を描いている時にはものすごく集中するから、これはとても珍しい。手が止まっていることに気づくと同時に、お腹が空いていることにも気がついた。
ふと、顔の横に湯気の立つカップが差し出された。その手の先には、彼女がいた。
「お茶、飲みませんか?」
まっすぐに僕の目を見て、彼女はなぜか真剣な顔をして言った。
「あ、ありがとう」僕はにこりといびつに笑い、カップを受け取った。香ばしい香りと温かな湯気が漂う。
作品名:Drawing ♯0 作家名:松下要