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天秦甘栗 天真爛満

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「天満、俺の神経を診てくれないか」
 河之内は、自分の友人であり主治医である天満に連絡をとった。相手は大学の付属病院に勤務しているが、本来は精神科が専門である。河之内は普段、健康診断ぐらいでしか天満の仕事場にやって来ないのだが、今日は違うらしい。仕事でとんでもないストレスを背負い込んだのかと天満は思っていたのだが、当人がやって来ると、多少やせて青ざめてはいるが、顔はいい色に日焼けしている。
「なんだ、どこか海外に出掛けたのか?」
「いいや、それどころじゃない。胃に穴が空きそうなんだ」
 じゃ、どうして、この初冬の頃に日焼けしているんだろうと天満は考え込んでしまった。
「河之内、じゃ、どうして日焼けしてる?」
「畑仕事してるからだろう」
「はあ?」
 天満は大声をあげた。商事会社の若社長にそんな趣味があったとは、友人である天満も聞いたことがない。
「また、おかしなものを始めたなあ。潔癖症のする趣味じゃないぞ、河之内」
「趣味じゃない!!」
「えっ?」
「強制労働だー、頼む、トランキライザーをくれ!! 俺はおかしくなってきたみたいだ。あの川の水を飲んだり、川音が美しいなんて絶対おかしい!」
「普通じゃないか、それ?」
 天満はもともとアウトドア派の人間である。その人間にとって清流の水はミネラルウォーターよりも価値がある。
「だが、強制労働ってなんだ?」
 河之内は溜め息をついて、今までの天宮との経緯を省いて、自分が今、ある事情である人物に強制労働をさせられていると打ち明けた。それが自分の精神をおかしくしていると河之内は思っている。
「どうだ? この状態は俺を狂わせているんだ」
「狂うってー、自分で言うかなあー、まあいいだろう。一度その現場を見せてもらおう。それからでもいいんじゃないか」
「来るのか?」
「ああ」
 天満は、もしや河之内が妄想に襲われているかもしれないと、現場を見せろと言った。現場を見れば、それが本当に河之内を狂わせている現況なのか分かるだろう。
「次はいつだ?」
「多分、この土日だろう」
「分かった。では俺も行くから出掛ける時、連絡をくれ。それを見せてもらったら、ちゃんとカウンセリングしてやろう」
「おまえも、させられるぞ。恐らく」
「構わんよ、ハハハ…」
 天満はニコニコと笑った。河之内の話からすれば、畑仕事や岩場のコーヒー運びなんて楽なものである。なにせ天満も岩登りや海釣りをしたりするのが大好きなアウトドア野郎である。それも今どきのチャラチャラしたおかざりのスタイル派ではなく、原始の世界に帰ろう派なのだから問題はない。
 楽しく一日遊ぼうと、天満は土曜日を待ち望んで過ごした。


 土曜日に河之内から連絡が入って、高速のサービスエリアで待ち合わせた。天満の車はトヨタの最高級4WDランドクルーザープラドである。
「俺について来てくれ。ここから、そうだなあ、1時間半ぐらいだ」
「ふーん、分かった」
 河之内のディアブロは高速を降りて、どんどん山間部に入って行く。天満は、おやーと、驚いた。今まで下手くそだった河之内の運転が、とびぬけて上達している、ひょいひょいと曲りくねった道をクリアーしていく。いつの間に修業したんだろうと天満は驚きながらもついて行く。こちらはプロのようにムリをしないライン取りで河之内を追う。どんどん道は険しくなって川幅も狭まってくる。天満が、俺好みのフィールドだと内心喜んでいる頃、一軒の家の前に到着した。河之内が天満を連れて下へ降りて行くと、深町がのんびり釣りなどしているところだった。
「おはようございます、深町先生」
 いつものように河之内が声をかけると、深町がくるりと振り返った。
「おはようー、あれ? その人、誰? 弁護士かなんか?」
 深町は河之内が、この強制労働をやめてくれるように弁護士でも連れてきたと思った。
「いえ違います。私はオブザーバーと思って下さい」
 ニコニコと天満は手を振った。いい趣味じゃないかと、天満の方は余裕のある微笑みである。
「オブザ-バ-ねぇー、まあいいけど、河之内、今日は草むりしてくれる?それと、まき割り」
 「はい」と力なくうなずいて、河之内は作業に入る。天満は深町の座っている岩に近づいて挨拶をした。
「オブザーバーですが、私も働かせて頂きますよ」
「はあ?」
「いえ、河之内だけというのもー」
「いいえ、とんでもない。河之内は罪をつぐなってるだけやし、手伝わなくてもいいです。えーっと河之内の友達ですか?」
「はい、天満東司といいます。河之内がカウンセリングを頼むので、現場を見せて頂きに来ました」
 何のこっちゃと、深町が天満の言葉を不思議そうに聞いていたので、昨日、河之内が話したことを説明した。
「まあー、つまり、自分の精神が狂ってると思ってるんですよ。あなたがその元凶というわけで?」
「違うと思うけどなあ。元凶は天宮やと思います」
 ほとんど深町の仕事をしているのだが、そんなものは棚上げにして、全て天宮だと思っているところが深町なのである。
「河之内!!」
 深町が河之内を大声で呼んだ。慌てて畑から河之内がやって来る。
「あのなぁー、労働がつらいわけ?」
「いいえ、めっそうもない。ただー、自分の精神が信じられなくなってきまして。この川の水を飲んだり、畑仕事が結構楽しいというのがおかしいと思うんです」
「なんで? おかしくないやんか」
「俺もそう思うけど、河之内」
 天の助けのつもりの天満まで、河之内の言葉に反論する。
「でも、こんな川の水、汚いんですよ。雑菌だらけだし、何が流れてるか分からんのに、でも最近、飲めるんですよ。この水がうまいと思うんです」
 本人はとっても真剣に自分の神経がおかしいと論じているのだが、アウトドア派には通じない。
「あたりまえやん、この水は天然ミネラルウォーターなんよ! 上流に人もダムもないのに、なんでおいしくないわけがあんの!!」
「まったくだ、おまえ、それは神経が正常だぞ。いいとこじゃないか。静かだし、川は美しいし、文句のつけようがない」
「おっ、天満さん、アウトドア派?」
「ええ、もちろん」
「いやー、じゃ、まあ、コーヒーでもどう?」
「いただきますよ」
「河之内、もういいからあっち行ってくれる? 天宮が来たら、また出前サービスがあるから早く草むしりして」
 すっかり天満と深町は意気投合してしまった。河原で、たき火をして湯を沸かすのも天満は、たき木を集めたりしてフォローにまわる。
「さすがに口で言うだけあるやん、天満さん」
「いやあ、深町さんこそ、手慣れてますね。こういうことの出来る女性なんて、なかなかいないのに」
 そんな様子を遠目にしながら、河之内は悲しかった。きっと誰も理解してくれないんだと、自分で陰陰滅滅の世界に浸っている。
 ちょうど、後を追うカッコで天宮のパジェロが到着した。
作品名:天秦甘栗 天真爛満 作家名:篠義