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天秦甘栗 因果応報

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深町は軽くうなずいて見送った。いつもは行き先なんぞ言ったことはないが今日は特別である。出がけに、天宮は河之内にトランシーバーの片割れを手渡した。
「用が出来たら呼ぶから待機しててね」
「はあ…?」
 分かりかねている河之内は、不思議そうにトランシーバーを受け取ってしまった。すぐにその理由は分かってしまうのだ。30分もすると、畑の草とりをしていた河之内のトランシーバーにコールがあった。相手は天宮である。
「河之内、温かいコーヒーを届けてくれる? 場所はえりどんに聞いて。 ヤマセミのとこから上にちょっとのとこ」
 はいはいと、河之内は温室に入り浸っている深町に質問に行った。
「ああ、ヤマセミのところ? ちょっと待って」
 深町が家に入って、リュックにガスバーナーとヤカンとコーヒーを入れて、地図を持って出てきた。地図を広げると、自分たちの家の場所に赤丸をつけて、その側の川の支流の流れの一箇所を指で示した。
「ここらへんを登ってくと天宮はいてるから、今日は青いジャンバーだから分かるんちがうかな。そこまで温かいまま、よう届けんやろうから、コーヒーをぬくめてね。それと天宮は猫舌やから、温めすぎると怒るから」
地図があっても、とても分からない。地図上は近い所なのだが、足で行くととっても遠い。なにせ平坦な道ではなく、岩だらけの河原や雑木林を行くのだ。1kmも5kmのデコボコになる。地図の場所までトントンと、天宮や深町は岩を飛んで走って行くのだが、河之内はヒーヒー言いながら歩いて歩いて行く。天宮の言う「ヤマセミのいたとこ」というポイントは、以前そこでヤマセミを見たからで、ヤマセミのいるぐらい奥深いところで、おもにイワナが生息するポイントである。言う程上手じゃない天宮には、あまり釣れないので竿を出しながら読書する。まあ、はっきり言って森林浴というやつである。釣るなら、本流でジャコなんぞ釣ってる方が楽しいのだ。コールしてから1時間程して(天宮と深町はこの距離をゆっくり行って20分である)河之内がやって来た。どうも支流を誤って迷っていたらしい。
「遅いなあ、寒いじゃないの」
 もうすっかりコーヒーは冷めている。河之内が、ガスバーナーにヤカンをかけた。それからコーヒーがおわって河之内が戻ると、再びコールでお昼ごはんを届けろと命じられた。深町はすでに、おにぎりを用意している。こうやって河之内はトランシーバーで行ったり来たりさせられてヘトヘトになるまで働かされた。天宮が午後の紅茶を飲みながら、側で肩で息をしている河之内に、別のシエラカップに入れた紅茶を渡した。
「少しは、この景色が心に染みた?」
 意外な言葉に、河之内は辺りを見回した。深谷の森と清流の水音だけの静かな世界にやっと気付いた。
「1時間もかけてゆっくり往復して、この音にも気付かないなんて耳が腐ってるんじゃないの?」
 それだけ言うと、天宮は紅茶を飲みながら、本に眼を移してしまった。
河之内は、その沈黙の中で呆然としているのだった。その水音が自分の心に染み込むのは、もしや自分の神経がいかれてしまったのではなかろうかと、ひそかに考えていた。
作品名:天秦甘栗 因果応報 作家名:篠義