天秦甘栗 因果応報
慌てて、秦海は平静を装った。知られたら、きっとあばれるに決まっている。しかし、人間の欲に限りはない。腕枕をしてやれば、やはりその先もやりたくなるもので、とうとう秦海は天宮を朝の早くから起こして同意を求めてしまった。
「どうして秦海がここにいるのー?」
天宮は眠そうに、隣に添い寝している秦海を見ているが、それは別段たいしたことではなかった。まあ同居してるんだから、居てもおかしくない。
「天宮、そろそろ同意してくれないか?」
「この朝早くからー、もうー」
くるっと天宮は向きを変えたが、秦海はその天宮にささやくように言った。
「こうやってベッドを共にしているのだし、それは同意したと考えてもいいだろう?」
「一緒に寝るくらいはいいけどね。それ以上は嫌だよー」
この期におよんで、天宮はまだ「うん」とは言わない。それならば奥の手だと、側のレコーダーの再生ボタンを押した。それは初日の証拠レコーダーである。
「ほら、おまえは『うん』と言ったんだぞ!」
「…言ってない、…言ってない…」
さすがに、横でうるさくされて天宮も目が覚めてしまった。そのレコーダーは、いろいろなことに「うん」と言っている。
「このレコーダー、どうして作ったの?」
「どうしてって、これは証拠の品だ」」
だんだんと冴えてくる頭で、天宮は考えた。どうして、秦海は自分が朝ならなんでも「うん」と答えることを知っているのかー、それは、天宮の本妻と深町あたりしか知らないことである。
「えりどんに教えてもらったのね、秦海」
「何をだ?」
すっとぼけてんじゃねーよ、と天宮が秦海の腕に体重をかけた。関節の辺りがボキッと鳴った。(折れてないけどね)
「こういうことを教える奴は、えりどんねー、ったく、婚姻届にサインさせて、あげくの果てに同意の取り方まで教えるかー、あの悪魔はー」
秦海の腕の上で、天宮は頭をゴロゴロとしている。結構、本人も腕枕は気に入ったらしく、起きようとはしない。
「なあ天宮、そんなことよりもだな」
深町に害が行くのを恐れた秦海が、話を切り替えた。
「一緒に寝るのはいいのか? 腕枕して」
「別にいいよ、学校の時も、よくみんなでザコ寝したじゃない。あれと一緒だもん」
「それは少し違うぞ天宮…、こういうことは夫婦がするものと相場は決まっている」
「あなたは、私の?」
「…夫」
「そう、法律上の夫だから、少しくらい納得がないとね」
「で、同意は?」
そこで、うーんと天宮は考えた。しげしげと秦海の顔を見て、吹き出してしまった。どうも、そういう雰囲気にはなれないらしい。
「まだ、いやー、ストックさんと楽しいことはしてね」
ふーと秦海は溜め息をついた。一体いつになったら同意してくれるんだろうと思った。この調子では、まだまだ先のことのようだ。そんなことを考えていると、天宮がガバッと起き上がった。
「どうした?」
「今から、えりどんとこ行って来るー、どうも一発ケリを入れないとおさまらない」
やめろやめろと止める秦海を振り切って、天宮はパジャマの上にコートをひっかけてパジェロに飛び乗った。仕事の方は、少し遅れると連絡してくれと秦海に頼んだ。
車にスーツなんぞを放り込んで、朝の早くに車を飛ばした。急げば昼までに出勤出来る。普段2時間かかる道を、早朝ということも手伝って1時間40分で天宮は田舎の家にたどりついた。まだ寝ている時間だろうと、鍵を開けようとしたが玄関はすでに開けられていた。ドカドカと入ると、布団がないし龍之介もいない。この朝のはよから畑かと、下へ降りて行くと天宮が知らない大きな建物が建っていた。3坪の大きなガラス張りの温室である。
その内に、深町と龍之介はいた。あれっと天宮が建物に気をとられて立ち止まった。もちろん深町の財力で建つような代物ではないし、天宮に請求書のまわってくるものでもないだろう。これは秦海からのリベートだと天宮には分かった。こいつらはーと、ツカツカ歩み寄ろうとした。
「ウケケケケケ…」というこの世のものではない笑い声を耳にした。それは念願の温室を手にした深町が、すっかりあちらの世界に行ってしまっている喜びの声だった。ひゃあーと、天宮は少し退いた。
また「ウケケケケケ…ッケケケ」と聞こえる。とんでもない声は温室の中で響いて天宮の耳にも入ってくる。見なかったことにしよう。強く決心した天宮は家に戻って服を着替えると、すっ飛んで帰った。完全に頭がイカれてしまっている深町を呼び戻すのは難儀なことである。今週、家に帰って、あのままだったらどうしようと真剣に考えながら、天宮は来た道を戻って行った。
「秦海!! 深町が、あの世に行ってたわよ」
高速に入ってから、天宮は秦海に連絡を入れた。ミッション車を好む天宮のパジェロは、もちろんミッションを選択しているが、さすがに山道では両手が忙しいのだ。
「あの世って、まさか」
秦海は、いたって呑気に答えているが、天宮がひとケリでおさまらず、あの世にやってしまったのかとドキリとした。
「違う違う、大きな温室の中で、もうー、そうね。極楽浄土のハスの上に座ってるような、そういう状態よ。怖いじゃないの!!」
ああ、そういう状態なら、結構なことだ。つまり秦海の送った情報料が、いたくお気に召したということだ。
「それはよかった。そんなに深町さんは喜んでたのか」
「喜ばせすぎよ、今週、帰ってあの状態だったら、私の御飯は誰が作るの?」
「それなら、心配しなくても井上と帰ればいい。井上は料理も掃除もエキスパートだ」
秦海の論点は、ずれている。深町は、そのままでもよいということだ。
「そうじゃなくてー、えりどんを戻さないと困るのよ」
「いいじゃないか、深町さんがあちらに行っててもー、俺は自分のしたことの評価が高いというのは嬉しい限りだ」
それは、私のことをダシにしてるんではないのと、天宮はムカッとして携帯の電源をおとした。
金曜日の夜に、河之内に田舎の家に先行させようと電話すると留守電だった。逃げたかと天宮はチッと舌打ちした。そういう態度に出るなら、今度、倍にして返してやろうと思いながら、その夜は眠った。
本日は、秦海がストックさんのところへお泊まりらしく不在である。広々としたベッドに、天宮はふーんと伸びをして眠りについた。
明けて土曜の朝、いつ帰ったのか秦海が隣に寝ていた。狭いよーと思いつつ天宮は起きた。そして、隣でまだ寝ている秦海の鼻をつまんだ。息苦しさで眼を覚ました秦海に天宮が「毎日ベッドに入るな」とのたまった。
「どうしてだ? 添い寝してしてもいいと言ったのは天宮じゃなかったか」
「たまにはいいけど、毎日はいや! せまいんだよ」
それならこれからは、俺の部屋のクィーンサイズのベッドで眠ろうと秦海は提案したが、その法律上の妻は「いやだよーん」と、すげなく即下した。
「秦海のベッドって、男くさいもん」
「分かった、週明けまでに考えておこう」
何を考えるんだろうと天宮は思ったのだが、まあいいかと気楽に家を飛び出して田舎の家に戻った。どうなったかなーと、おそるおそる温室を覗くと、深町が入り口に立っていた。また笑い出したら帰ろうかなーと思いつつ、その前まで歩いて行った。