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夢幻堂

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 優しい光で満たされている夢幻堂に不釣合いな色を見つけ、シオンはじっとそれを見つめた。
 お客の来ない夢幻堂はおだやかで微睡むには最適だが、ときにとてつもない退屈にも変貌する。いまのシオンはまさに後者だった。カンナがなにやらいそいそとお菓子を作っているのをしばらく眺めていたものの飽きてしまい、シオンが勝手に"宝物庫"と呼んでいる、客人を迎える広間の隣にある部屋に入っていた。もちろんカンナの目を盗んで、だ。理由は簡単。シオンはこの場所に入らないようにと釘を刺されている。カンナがそう言う理由は分からないまでも、とくに逆らう理由も見つからなかったので言うことを聞いていた。が、退屈してしまったシオンにとって中を知らない部屋は魅力的に映る。ゆえに誘惑に負け、こっそりと入ってみたのだった。そこで見つけたのが、とある"モノ"だった。
「……黒いな。なんかの箱か?」
 独り言を呟きつつ、黒猫姿のまま色々なものを覗き込む。ふと目を引いたのは鈍い銀の輝きを放つ十字架の装飾が施された黒い箱だった。それには不自然なほど幾重もの華奢な鎖が絡まり、十字が交わるちょうどその部分に鍵穴のない錠がついていた。いつも明るい雰囲気を保っている夢幻堂らしからぬ代物だ。シオンは音もなくするりと元の姿に戻ると、それを軽く振ってみる。けれど何かが入っているような音はまったくしない。
「音しないな。空なのか。しかもこんな鎖……鍵穴もないし」
 怪訝に思いつつ耳からそれを離そうとした瞬間、ぴし、と亀裂の走った音がして慌てて黒い箱を見た。壊してはカンナに叱られる。シオンはどこが壊れたのかを探そうとして、視線を止める。
「鍵、穴………が」
 ついさっきまでなかったはずの鍵穴が、錠にしっかりと刻まれていた。


「カンナに怒られる……!」
 いままで幾度となくカンナが集めるモノたちを触っては怒られていたが、さすがに壊した記憶はない。少なくともシオンの記憶には。けれど、形が変わってしまったものを戻す術は知らない。ので、もう今さら焦ったところでどうにもならない。シオンは手放そうとしたそれをもう一度見つめ、からからと振ってみる。
「どうするかな、これ……相変わらず音はしないし。大体なんで鍵穴だけ出てきて鍵がないんだか」
 言いながらカチャカチャと黒い箱をいじってみる。どうせ直せないならあとでカンナに起こられるのは目に見えているし、それなら目の前の好奇心を満たすほうがいいに違いない。そんなことを勝手に思って、とりあえず好き勝手いじってみる。

 ────カチリ。

 鍵も何もない箱から、なにかが開いた音がした。それと同時に、箱はシオンの手元を離れ、姿を変える。
『主、夢幻堂店主ではないな』
「な、に?」
 するりと、音もなく顕現した深遠の闇のような漆黒の物体──何しろ人語は介すようだけれど、出で立ちがあまりに異質で人なのかすら不明なのだ──にシオンは目を瞠る。
 顔が見えないほどすっぽりと覆われたマントを羽織り、フードの奥にはただ深遠の闇しか見当たらない。身震いをしたのは本能的に煽られる恐怖心ゆえだろう。ぽっかりとした空虚な空間は人を怯えさせる。
『ほう、主は……そうか。手に取ってしまったとあればもう元には戻れまい。店主が主を守れるのはここまでと言うことか』
「おまえはなんだ……? なんでしゃべれる?」
『我と対するのは初めてだな。我は《柩の番人》───店主の意思により、あるものを封じ込めている者』
 シオンにとっては意味の分からない言葉を紡ぎ、《柩の番人》と名乗った元は錠のない黒い箱だった"何か"は地から少しだけ浮いたままでその場に鎮座していた。


「シオン? どこ行って……って、シオンここには入っちゃだめって───」
『久しいな、夢幻堂店主。おや、相も変わらずその姿が好みか』
「《柩の番人》……! どうして」
『その時期が来たまでのこと。そうであろう? 見つけることができたのもまた時の運。そろそろよいであろと神が申されたも同然とは思わぬか? 其の者とていつまでも幼子ではあるまい。ずいぶんと魂も美しく成長した』
「カンナ、俺をここに入らせなかったのは、これを隠すためだったのか?」
「…………そうよ。あなたを守るために《柩の番人》と対面させるわけにはいかなかった」
「俺の記憶を、か」
『そこまで分かっているものを隠し立てするには無理があろう。店主よ、罰が下らぬはただの一度のみ。徒に時を延ばすことはできぬと知っておろうに、なぜ拒む?』
「分かっているわ。それでも錠を解くのはまだよ。私がシオンにここへ来たときのことを話さなければ、現の世の記憶をシオンに戻すことは許さないわ。たとえあなたが《柩の番人》であってもね。シオン、こっちへ来て」


「これを見て」
 差し出したのは光の加減で桃や紫や藍や碧にも色を変える丸い玉だ。それをどこで見たのかシオンは覚えていた。
「《女神の宝珠》だろ。マナが持ってた。見覚えがあるって言った俺に、カンナは俺もこれを持ってたって言ったよな」
 お客のいない夢幻堂はとても静かだ。シオンとカンナはソファに向かい合うようにして座り、テーブルに置かれた美しい宝珠を眺める。その二人のちょうど間に、恐怖を体現したような出で立ちの《柩の番人》が浮いたままカンナとシオンをを見ている。フードの中に見えるのはただ闇のみで、なんの感情も読み取れない。なかなか記憶を解くことを許さないカンナに苛立っているのか呆れているのか、はたまた静観しているのかすらよく分からない。けれどカンナは気にすることもなく、ただ少しだけ緊張した顔つきでシオンに話しはじめた。
「言ったわ。もう気づいてると思うけど、シオンも瞳の色を隠すために使われてたの。……でも使われ方はマナとは真逆だった。どれだけの傷を負ったのか分からないくらい、シオンの魂には癒えない傷が刻み込まれてた。店主だけが使える"暁の息吹"も無力で、なにをしてもすべてを拒絶して生きる意味も死ぬ意味も分からないまま、ただ消えるだけの存在。現の記憶が苦しめているなら、たったひと時だけでもその記憶がなくなれば消えずにすむかもしれないと思ったの。……あのときの夢幻堂には《淡雪の花びら》がなかったから、《柩の番人》の力を借りたわ」
 《淡雪の花びら》───それは、すべてを浄化する力を持つもの。罪でさえも。けれど強大すぎる力ゆえか、手にすることはほとんど稀だ。ということはつい最近知ったのだが。
「……助ける理由もなかったのに? カンナは俺のことを知ってたわけじゃないんだろ?」
「そうね、知らなかった。だけど知らないから見捨てるなんてことはできない。ヨウ様が私を救ってくれたように。あんな風にはできないかもしれないけど、それでも助けたかった。……理由なんて、ないのかもしれないけれど。あるとすればヨウ様から受け継いだこの場所で、消えていく魂を見たくなかっただけかもしれない。だとすれば、私のエゴだわ」
 少し落ち込んだように言うカンナに、シオンはかけるべき言葉を上手く見つけられず、黙ったまま彼女を見た。相変わらず《柩の番人》は喋る気配を見せず、ただ存在感と威圧感だけを前面に出して居座っている。
「………救われたよ」
作品名:夢幻堂 作家名:深月