夢幻堂
セツリははぁとわざとらしくため息をつく。完全に蚊帳の外にされたシオンはそのやりとりを黙って見守るしかない。ムキにならなきゃいいのにという言葉を心の中で留め、もう一度ソファーに身を沈めた。普段ならあまり冷静さを失わないカンナを、年相応の少女らしくさせる人物など滅多にお目に掛かれないだろう。きっとセツリとこの間来ていた"流浪の行商人"のヨウと呼ばれていた老紳士くらいなものだろうと思う。
シオンは少し複雑な気分だった。悔しいのかもしれない。仕方ないとも思う反面、自分もあんな風になれたらと矛盾した気持ちが渦巻く。名前も知らないもやもやとした感情を持て余しながら、シオンは二色の瞳を二人に向けていた。そうしながら、来たばかりのセツリに言われた言葉がふと思い浮かぶ。
(………そう言えば、なんで|瞳の色《これ》が原因で夢幻堂へ来たって知ってんだって言ってたな……)
知ってたわけじゃない、とシオンは思う。それならば魂に刻み込まれていた記憶だったのか。
(違うな……俺と同じって言ってた気がする。……カンナが?)
そうだ、マナが来たときだ。まだ愛されるべき幼子が還るべき器を喪って、夢幻堂へ辿りついたあのとき。小さな彼女を守っていた宝物を見たカンナが言った言葉だった。
この子はきっとシオンと同じ、と。
「《女神の宝珠》……か。だから俺は思ったんだ」
《女神の宝珠》はたったひとつだけ、秘密を隠すことができる。カンナは夢幻堂へ辿りついたマナの魂とともにあった《女神の宝珠》を見て言ったのだ。記憶のないシオンが見覚えがあると言ったすぐ隣で、シオンにも《女神の宝珠》が使われていたと。シオンはそれで自分の瞳の色が疎まれていたからなのだと考えた。
目の前で繰り広げられている楽しげな言い争いをぼんやりと見ながら、シオンは小さく呟いていた。その呟きを聞くものはいない。セツリに聞かせたところでなんになるだろう。だからなんだと一蹴されそうな気さえする。彼からすればシオンがなぜここに来たかを知っているかより、店主であるカンナの無事を知りたかっただけのはずだ。多分、あの問いもカンナに危害が及んでいないか確かめるためだったのだろうと思う。
シオンは無意識に息を吐いてわずかに目を伏せた。その頭上からカンナの声が降ってくる。いつの間にそばに来ていたのかと顔を上げれば、落ち着きなくシオンのそばをうろうろしているカンナがいる。
「……ああもうっ! セツリさんと話してたら埒があかないじゃない! 結局なにをしにきたの?」
どうやら色々と言いくるめられたらしいカンナは悔しそうに顔を歪めている。シオンは口論でカンナに勝てた覚えはない。セツリはよほどカンナを知っているのだとシオンはさっきの複雑な気持ちも忘れてほとほと感心する。
「《淡雪の花びら》ってやつを渡しにきたんだろ? それにカンナ、セツリはちゃんと心配してたんだぞ。嘘じゃない」
「そうそう、嘘なんかじゃないぜ」
合いの手のように入ってきたセツリの言葉にシオンが呆れたため息を吐く。
「あんたがそうやって茶化したりするからカンナが怒るんじゃないのか? 照れ隠しなのも限度を過ぎれば伝わらないだろ」
一瞬の間が空く。なにかと思って彼を見れば驚いたように自分を見つめている黒い瞳と目が合った。カンナの顔は見えなかったが、気配で同じように驚いているのがなんとなく感じられる。……なんか変なことでも言ったのかと怪訝な顔をしてセツリに聞こうと口を開きかけた瞬間、静けさの保たれている夢幻堂に似つかわしくない大きな笑い声が響いた。
「ははははは! こりゃ面白ぇ!」
突然笑い出したセツリに訝しげな視線を向けながら、近くにいるカンナの服をちょいと引っ張る。
「……セツリっていつもこんななのか?」
「そうよ。いつもいつも小馬鹿にされてる気がするわ。私は心配されるほどもう子供じゃないし、そもそもセツリさんはいつもからかってばっかりで、心配なんてされたことないわよ」
だからそれはただの照れ隠しなんじゃ、と言おうとしてやめた。セツリ自身がわざと心配なんてしていないと思わせているのかもしれない。どちらにしろ、口にしたところでカンナが信じるかどうかは分からないし、きっとまたセツリが茶化してごまかすに決まっている。……と、シオンはこの短時間でなんとなくセツリの人となりが分かってきていた。
ひとしきり笑ってすっきりしたのか、満足そうに口の端をつり上げるとカンナを見てにやりと笑みを浮かべた。
「真っ直ぐなやつに育てたじゃねーか」
「違うわ。シオンはもともと優しい子なのよ。私は彷徨ってた魂を迎え入れただけ。シオンがここにいたいと願ったの。全部、シオンが選んだことよ」
きっぱりと言い放ったカンナの姿はかつて店主をしていた男の姿にも重なる。あの男の優しい心を、彼女はちゃんと引き継いでいた。傷ついて疲れ果てた魂を休息にいざなう夢幻堂が、昔よりもずっとあたたかな|陽光《ひかり》で満たされていることがその証だ。セツリはもう一度ぐるりと夢幻堂を見回して、一歩だけカンナに近づく。見上げた彼の瞳が、いままで見たことがない優しい色を帯びていて、カンナはそれに釘付けられる。
「だとしても、名前をやって、あったかい心の居場所を与えてやって、愛情をそそいだのはお前だろ、カンナ───夢幻堂の店主たるものとしてだけじゃなく、あいつに接したからシオンはお前に心を開いた。……お前は、瑛に言われたことをちゃんと覚えてて守ってるんだな」
静かに響く低い声が心を打つ。
「セツリさん……」
「安心したぜ、お前がそんな風に優しく笑えるようになってて。シオンを変えたのは確かにお前だが、あいつもお前を変えたんだな。いい相乗効果だ。そのほうがずっとらしい」
ふふんと言ってのけるセツリに、カンナはまた不満そうに口を尖らす。
「どうしていつも子供扱いなの?」
「子供だからだ。べつに成長しないからって言ってんじゃないぜ。お前は子供として守られてこなかったし、それが当然だと思ってた。だから子供であることの幸せを、守られる幸せを教えてやりたいと思ったんだよ」
「……………なんか変な薬でも拾い食いしたの?」
「って、結構イイ話してんのにどーしてんな結論になんだよ!」
「だってセツリさんはそんなこと言わない人でしょ。セツリさんの着ぐるみ着た人じゃないの?」
「正真正銘俺だってーの! ったく、お前はどうしてそうひねくれてるかね。そんなんだから成長しないんじゃねぇのか?」
「………これは私の意思よ」
「赦されていいんだ」
セツリはまっすぐカンナを見てそう言った。カンナは思わず目を見張って彼を見上げた。それはつい最近、言われた言葉だったから。セツリはそんなカンナの表情に満足そうに笑うと、自分の半分ほどしかないカンナの頭にぽんと手を乗せる。
「シオンがそう言ったはずだ。……瑛だって、歳食ってただろ。あれが普通なんだよ。ここがいくら"夢幻堂"だからって、すべてが夢幻じゃないってお前は教えられてたろ」
「……………」