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夢幻堂

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 ほらよ、と渡したのはほとんど光を失ってしまった魂だった。
「……イキモノたちですか」
「ああ。喰われる寸前だったのを奪ってきた。最近、厳しく見て回ってたんだがな。とりあえず俺が見たのはそいつだけだ。……もう、還る場所はないようだけどな」
 ヨウは頷き、その小さな魂を抱く。だが、弱りすぎているのか魂ではない状態になっても目覚めないままソファーに横たわっている。
「助からない、の?」
 弱々しい姿にどうしてか恐怖心を煽られ、カンナはセツリの袖を引っ張る。
「助かるもなにも、現世での器を失くしたらもう二度と帰れねぇよ。あの魂はこれから高い空に行くんだ。夢幻堂《ここ》でゆっくり休んでからな」
 あまり聞かせない厳しい声でセツリが応じる。怒っているのかもしれなかった。なにに、とはカンナにはよく分からず、もしかしたら自分が言った言葉なのかもしれないと心が沈んでいく。なぜか視界が滲み、じわりと目頭が熱いもので支配される。そんなカンナの様子に気づいたセツリは一瞬ぎょっとし、「しょうがねぇな」と言いながら乱暴にカンナの頭を撫でる。
「セツリさんっ!」
「おう、お前にイイコト教えてやるよ」
「いいこと?」
 抗議の声を上げかけたカンナの声にかぶせ、"夢の渡り人"だと言った男は快活に笑ってそう言った。
「笑う門には福来る、ってな」
「なに、それ?」
「そのまんまさ。明るくにこにこ笑ってるやつには自然に幸せがめぐってくる。だからお前も楽しいなら笑えばいい。だれもお前のことを責めないし、傷つけもしない。そうだろ? それに、さっきのはお前に怒ったんじゃない。ああいう哀しい魂がいくつもあるかもしれないのに助けられなかった自分に対してだ。お前は泣かなくていいんだよ」
「………うん」
「おまえが笑ったら瑛が喜ぶ」
「ほんとう?」
「当たり前だろ?」
 セツリはきっぱりと言い切る。まだ半信半疑のカンナは、弱った魂のために忙しなく動くヨウをじっと見つめる。そんな彼女に気づいたのか、ヨウはカンナに視線を向けると穏やかに微笑んでくれた。つられて笑顔を返すと、ヨウはまた嬉しそうに微笑ってくれる。カンナにとってはそれが一番嬉しかった。
「ほらな?」
 どうだと言わんばかりのセツリに、カンナはうんと頷く。うまい具合に丸め込まれた気がしないでもない。その微妙な感情を読み取ったのか、セツリはカンナの頭をこつんとたたく。
「俺の言葉、信じてなかったな?」
「そうじゃないけど……セツリさんはいつもわたしのことを子ども扱いばっかりするから」
「子ども扱いって、子どもだろうが。つかお前、なんで俺には敬語じゃないわけ?」
「だってセツリさんいじわるだもん」
「こんなに愛情もって接してんのに、なんて言い草だお前はー!」
 ぶつぶつとセツリがなにやら不満げに文句を言っている。その姿からは、こないだヨウが言っていたみたいに"夢の渡り人"としての責務でここを訪れているようには見えなかった。ヨウのそばはおだやかで居心地がいい。それを求めて来ているようにカンナには思えたのだ。
「どうした?」
 ふと黙ってしまったカンナに、セツリが不思議そうな視線を向ける。
「セツリさんは"夢の渡り人"なんでしょ?」
「ん? ……ああ、瑛から聞いたのか。俺が"夢の渡り人"で、カミサマからのありがたくもねぇ命令のおかげでこき使われて、この世界を見て回ってんのさ」
 セツリの言い方はごく軽い。けれど、神に対する畏敬は含まれていない。むしろ感じるのは嫌悪に近かった。血にまみれたとはいえ、神に仕える巫女だったカンナにとって、それは受け入れがたい感情だ。
「かみさまは見守っていてくださるのだから、そんなこと言っちゃだめ」
「……お前がここへ来たのは、もとは神の加護があったからなんだぞ。それでも神を尊べるのか?」
 強い口調と、そこからにじむ怒りの表情にカンナは一瞬反論するのが遅れる。
「でも、ここへ導いてくださったのはかみさまよ。わたし、覚えてるもの。かみさまが私の魂をだいてくださって、お話くださったこと」
「俺にとっては神なんざいらねぇんだ。どうせ地上にいる俺らには見えねぇのに、そんなものにすがるから人はどんどんあさましくなる。愚かで救いようもねぇのはてめぇらのくせに、神のご加護だのなんだのと偉いやつほど威張りたがる」
 めずらしく批判ばかりのセツリに、カンナは返す言葉をなくしてしまう。とたん沈黙してしまった空気を察したヨウは、小さな魂を寝かせたままカンナのそばに行く。安心させるように頭を撫でれば、強張った表情がいくらか緩んだようだった。
「セツリ、口が過ぎますよ。たとえ本心でも慎むべきです。……カンナは神の加護があったからこそ夢幻堂へ来てくれたのですから」
 静かな夢幻堂にヨウのおだやかな声が響く。不思議と安心するその声に、カンナはヨウの服の端をぎゅっと握った。
「……悪い、恐がらせるつもりじゃなかった。神が絡むとどうもな。俺はそれらに畏敬の念なんか感じちゃいねぇが、お前にとっては違うんだよな。悪かったよ、カンナ」
 セツリは気まずそうに視線を逸らしながら言った。カンナは小さく首を横に振る。その頭を軽く撫でると、すっと背を向けて扉へと向かった。やわらかな光が入り込んでくる夢幻堂に、セツリの黒いコートが沈んで見える。
「もう行くのですか?」
「お偉いさんの命令がまだ終わってねぇのさ。またここらへんに来たら立ち寄るかもな」
 背中を見せたセツリの姿がカンナの目に悲しくうつる。神を尊ばないと断言した彼は、それなのに神の命令を聞かなければならない立場にいることへの疑問を口にしようとして、カンナはためらう。ありがたくない命令、と言ったのだ。もしかしたら望んで"夢の渡り人"になったのではないのかもしれなかった。
「じゃあな、瑛、カンナ」
 扉に手をかけ、来客を知らせる鈴がり、と鳴る寸前、カンナは不意にセツリのコートをつかんだ。
「セツリさんは……かみさまを信じていたかったの?」
 するりと出てきた言葉にセツリだけではなくカンナ自身も驚いた。もっとべつのことを言おうとしたはずなのに、それ以外に言うことはないかのようにその言葉だけが口をついたのだ。虚をつかれたセツリは薄茶色のまっすぐな瞳を凝視して、小さく息を吐いた。
「───……どうだろうな。もう昔の話だ、いちいち覚えてねぇよ」
 もう一度じゃあなと言っていつもの笑顔を浮かべたままセツリは今度こそ扉を開けた。チリンチリンと鈴が何度か鳴って、また夢幻堂に静寂が戻る。
「カンナ」
 ぼうっとしていたのか、はっと気づいたときにはセツリが去ってから数分が経っていた。ヨウの声で我に返ったカンナは、ソファーに寝ている小さな魂をやさしく見守っているヨウのそばに寄った。
「セツリが絶句したのを見るのは私もはじめてですよ。きっとカンナの言葉になにか思うところがあったのでしょうね」
「また来ますか?」
 不安そうな声色にヨウは破顔する。来れば口喧嘩ばかりだが、それでもカンナもセツリのことを慕っているのだ。
作品名:夢幻堂 作家名:深月