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夢幻堂

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第一章 星屑の欠片


 チリンと涼やかな鈴の音がする。それは来客が訪れたことを知らせるためのもの。
「カンナ、お客」
 まだほんの少年の声に、同じくらいであろう少女の声が応じる。
「分かってるー。ちょっと手が離せないからシオンが出といてー」
「へいへい」
 そう言ってチリンと鳴ったドアを開けた。
「お客は久々だね。どちらさま?」
「シオン、ちゃんと対応しなさいってば!」
 カチャリと言わせて開けたシオンに、それを聞きつけやってきたカンナがぺしんと頭を軽く叩く。そのやり取りに、「お客」は驚いたようだった。
「あ、ごめんなさい。さぁ、中へどうぞ?」
 薄茶色の大きな瞳と、金にも見える色の長い髪を持つ少女がにっこりとそれは可愛らしくお客をいざなう。けれどそのお客は呆然としたように、二人の顔を見つめるだけで動こうとしない。
「……ここは、どこ?」
「ここは夢と現の狭間にある魂の休息所【夢幻堂】よ。さぁ、そこにいたら休めないわ。中へお入りなさいな」
「外にいると変なものたちに喰われるぞー」
 間延びして、どこか他人事のような少年の声にお客はびくっと反応して、そろりと店──夢幻堂──の中へと足を踏み入れた。
「シオン、脅かさないの! ……もう。改めて、ようこそ夢幻堂へ」
 背を向けていたカンナがくるりとお客の方を向き、手を差し伸べる。柔らかい微笑みは全てを優しく包み込んでくれるような、そんな安心感があった。
「あなたの名前は?」
「……さくら……」
 小さくそう言うと、華奢で小さなカンナよりも、もっと小さな身体から力が抜け、倒れ込む。それをシオンがふわりと抱きかかえ、ふかふかのソファーへと寝かせてやった。
「……目が覚めたらたくさんお話ししましょう。だから今は、優しい夢を」
 そっと短い黒髪を梳きながら、唄うような響きで言った。

 ふわりと甘い香りに包まれた気がして、さくらはぼんやりと目を開ける。
 するとソファーの目の前にはちょうどいい高さの豪華な机が見え、アフタヌーンティよろしくお菓子やサンドイッチが乗ったトレイと、紅茶の湯気がゆらゆらと揺らめいていた。
 それをじっと凝視していると、初めにドアを開けた──シオンと呼ばれていた──少年の声がする。
「腹減っただろ。カンナの自慢のお菓子だから、たくさん食ってやってよ。カンナも喜ぶし」
「……ねこ……? くろい……」
「別に猫以外にもなれるぞ?例えば、ほれ」
 それまで黒猫の姿で喋っていたシオンは、ぽんっと音をさせたかと思うと今度は人型になる。とは言っても人間の赤ん坊よりももっと小さい、いわば小人サイズだ。しかし、さくらはびっくりして真っ青な目をいっぱいに見開いた。
「びっくりした? シオンは自在に変化できるの。あ、冷めちゃうから遠慮しないで食べてね。食べながらゆっくりお話しましょ?」
 薄茶色の瞳を優しく細めて、さくらにクッキーを一つ手渡す。
 部屋の中は不思議と心地よい温度で、座っているソファーは身体が沈んでしまうくらいふかふかだ。明るすぎない落ち着いたセピア色の照明が心をすとんと落ち着かせてくれる。
 さくらは強張っていた筋肉を緩めるように息を吐いて、クッキーを口に入れる。甘い香りが口の中を満たした。
「おいしい……」
「よかった。いっぱい食べてね」
「お、じゃあ俺も」
「お客様のものに手を出しちゃダメって言ったでしょ! シオンのはこっちだってば。もう、食い意地ばっかりはってるんだから」
 机の上にちょこんと人形のように座っていたシオンは、さくらの皿に手を出そうとしたがカンナに首根っこを掴まれ、宙ぶらりんの状態になった。
「俺を持つな、吊るすな! 下ろせっ!」
「じゃあ、さくらのものに手を出さないでね?」
「………ちっ」
「何か言った!?」
「別に〜?」
 小さくしたうちをしたシオンに、カンナが素早く反応する。だが、シオンは明後日を向いたまま口笛を吹きそうな軽い調子で答える。若干疑わしい視線をシオンに向けたものの、カンナはシオンのために用意した皿のそばに下ろした。
 その様子をじっと見ていたさくらが不意にくすくすと笑う。
「何だ、笑えるんじゃん。お前その方がいいぞー。緊張してばっかじゃ、ゆっくり休めないだろ? ここは休息所なんだしさ」
 最初からそれが目的だったのかと思うくらい、シオンの言葉は優しかった。でもきっとシオンは無意識なのだ。いつも正直に、自分の思ったことを言う。だから、嘘をつくこともない。それはずっと一緒にいるカンナがよく知っていた。
「シオンの言う通り、ここは現(うつつ)の世にはない休息所。だから【夢幻堂】と呼ぶの。夢や幻のように触れたら消えてしまうような、そんな儚い場所にあるものだから」
 シオンの言葉を引き継ぐように、紅茶の湯気を遊ばせながらカンナが言う。さくらは夏の空のような真っ青な瞳をカンナとシオンに向けた。
「どうして、さくらはここに来たの? さくらは、かえりたいよ。かえりたい……」
「……どこへ?」
 カチャリと机に紅茶のカップを置いて、しゅんと俯くさくらのそばに寄る。その場に膝を付くと、さくらの顔を覗き込むようにして尋ねた。長い金に似た色の髪が床につく。
「そばに、かえりたい。さくらのいたところに」
 青の瞳から透明な雫が零れ落ちた。その涙を指で優しく拭いながら、もう片方の手でさくらの手を握る。いつの間にかシオンもそばに来て、ぽんっと頭の上に乗っかった。
「帰りたいか? そこへ」
 確かめるような声音で、シオンが問う。その問いに迷いなくこくんと頷いた。
「あなたは、休息ではなくて願いを求めているものだったのね。……いいわ、それがさくらにとっての幸せなら、私達はそれを叶えてあげる」
「ほんと?」
「ただし、代償はある。それを飲むなら、叶えられる」
 カンナとシオンが交互に喋る。しかし、全ての言葉をさくらは理解できなかったのか、首を傾げて聞いていた。
 穏やかな沈黙が【夢幻堂】の中に落ちる。決して広くはない、むしろ狭い空間の【夢幻堂】の中には苦痛も痛さもなかった。
「だいしょう?」
「代償、って言うとちょっと違うかもしれないわね。何かを欲しいと願うなら、それに見合ったものを差し出すことを言うの。そうね……さくらだったら、その青の石のついた首輪よ」
 さくらは無意識に首に手をやる。そこには手に馴染んだ首輪がある。さくらと同じ瞳の色だからと、選んでくれたものだと言うことを、今でもはっきりと覚えていた。
「……これ?」
「そう、それよ。その首輪をここへ置いていくならば、私達はさくらが帰れるように、願いを叶えられるわ。……どうする?」
 迷ったのは、ほんの少しだった。自分が大好きな人が選んでくれたものを手放すのは哀しかったけれど、そばにいられないのはもっと哀しいのだと知っていたから。
 だから、さくらは自分の首からそれを外すと、ぎゅっと一度だけ胸に抱いてからカンナに差し出す。それを大事に受け取ると、シオンの名前を呼んだ。
「これだろ?」
「そう。さくら、これを持って」
「なぁに?」
「《星屑の欠片》だ。願いを叶える流れ星の欠片のことだよ」
作品名:夢幻堂 作家名:深月