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天秦甘栗 悪辣非道2

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天宮は、河之内商事での仕事を終えると直帰した。さほど重要な要件でもなかったし、午後一杯かかると思っていたので直帰と申告してきたのだ。
のんびりと本屋のハシゴをして、両手一杯の本をかかえて秦海家に戻ったのは、いつもの定刻より少し遅い時間だった。
「ただいまー」
 いつものように大声をあげて玄関を入った天宮は、そのまま居間まで歩いて行った。井上がその姿を驚いたように見て大声を出した。
「渉様、天宮様がお戻りですよ!!」
 居間で沈んでいた秦海は、がばっと立ち上がって天宮のところへ駆け寄った。
「あー、重かった。ただいま、秦海」
 本の一杯入った紙袋をおいて天宮が秦海に声をかけたのが、その天宮を秦海が力一杯抱きしめた。
「すまない、天宮」
「やめんかー!!おのれはー、血迷ったなあー」
 抱きしめられた天宮は、もがいている。とうとう秦海が、誓約書を破る日が来たかとあばれた。しかし、どうもおかしい。秦海は何も言わずに、天宮を抱きしめているのだ。
「どうしたの? 秦海、会社でもつぶしたの?」
 わけのわからない天宮は、不思議そうに秦海に尋ねた。それでも秦海は黙っている。しばらくそうやっていたが、やっと秦海は口を開いた。
「すまない、天宮、俺には敵も多い。こういうことがあることを考えなかった俺が悪かった。天宮は何も悪くない。だから天宮は何も気にしなくていいんだ」
 まだ分からない。一体、秦海は何を言っているのかと天宮は考える。それを秦海の方が誤解した。真実を知られて天宮が困っていると思ったのだ。
「天宮、河之内のことは気にするな。ああいうのは犬に噛まれたのと同じなんだ」
 そこで天宮は、なんとなく分かってきた。失敗した腹いせに河之内が秦海にあることないこと吹き込んだらしい。あいつはー、とムカムカした天宮が、秦海の腕の中でブンブンと頭を振った。
「違う違う、何もされてない!」
「あんなやつをかばうな!天宮」
「かばう義理がない。今日、河之内はメガネをしてなかったでしょう?それに足も引きずってたでしょ?」
「ああ、確かにそうだ」
「あれは私がやったの。私のことを『奥さん』って言ったから腹を立てて、殴り倒してヒールで足を踏んだのよ」
 証拠には違いない。だが、それが最後の抵抗だったら、と秦海は信用していない。
「では証拠を見せろ」
「だから証拠は・・・・」
 天宮が書類入れに手を延ばそうとしたのに、その手を取って秦海は自分の寝室に引っぱっていった。
「何するの!!」
「河之内が『奥さんの背中の肩甲骨の下に、3つ並んだホクロがあってかわいいね』と言った。なければ河之内はウソを言ったことになる。」
「私の言うことと、河之内の言うことと、どっちを信用するの!」
 大きなクィーンサイズのベッドに放り出された天宮が、キッと秦海をにらんだ。しかし秦海はおさまらない。天宮に背を向けさせて、上着をとって中のシャツも力一杯引きちぎった。ギャーっと天宮が叫ぶが、それも耳に入らないらしく秦海は天宮の背中を丹念に調べた。
 結果はもちろん「そんなものはない」である。ほっと安堵した秦海は、そこで我に返った。天宮をベッドに押し倒したばかりか、着ているものまではいでしまったのだ。天宮はこちらを向こうともしない。これは怒っている、そう直感した秦海は、天宮の背に向けて土下座した。
「すまん!天宮」
 下を向いたまま、秦海は許しをこうた。とても天宮の顔など見れたもんじゃない。
「許してくれ、俺が悪かった。かなり逆上してたんだ」
 それでも天宮は黙っている。少しして天宮はベッドを降りて、秦海のクローゼットを開けた。まだ秦海は頭をベッドにこすりつけたままである。衣ズレの音がして、やっと天宮は溜め息を一つついた。
「怒ってるのか、天宮」
 おそるおそる秦海は顔を上げたが、ちょうどベッドの端に腰をかけて天宮は背を向けている。秦海がおそるおそる同じ問いを発した。すると天宮は、くるっと秦海の方を向いて、両手で秦海の頬を力一杯両側に引っぱった。
 天宮は、そこでニッコリ笑って「これで、おあいこ」と言った。天宮は秦海のワイシャツを失敬して着ている。
「こんなことでいいのか?天宮」
 ヒリヒリする両頬をさすりながら、秦海は天宮に聞いた。
「うん、いいよ。誰だってそう言われれば、確かめたくなるよね」
「すまん、天宮」
 秦海が謝るのを聞いて天宮は、しばらく言うか言うまいか迷ったが、ゆっくりと秦海に背をむけてこう言った。
「あのね、秦海と暮らしてること事体はとても楽しいの。心底、心を許してるのは嫁だけなんだけど。そのうち秦海には、別のことを許せるかもね」
 えっ、と秦海は呆然とした。それは同意に一歩近付いたことである。
「心は許してくれないのか、天宮」
「さあねえー、10年早いんじゃない?」
 深町にも全面的というわけではないのかと、秦海は不思議に思って尋ねたのだが「そういう意味ではない」と天宮が反論した。
「私が、許すというのはー、口で説明しにくいから究極論的だけど、例えば嫁が、黙って一緒に死んでくれと言ったら、本当に黙って一緒に死ねるってことかな。えりどんだったら、理由を聞くよね。もしかしたら助けられるかもしれないって思うでしょ?でも、嫁は違うの。嫁はね、そういう前にあらゆることを試してダメだから私のところに来るの。だから私にも手のほどこしようがないの。だからそれが分かってるからね」
 確かに、そこまで到達するのは大変そうだと秦海も納得した。しかし、とにもかくにも、嫁の存在というのは大きいと、秦海も自覚せざるを得ない真実である。
「ブラウスのボタン全部飛ばしたわね、秦海」
 ギクッと秦海はその声におびえた。これはちょっと怒っている声だ。
「秦海にとっては安物かもしれないけど、私は服を大切にしてるの。ボタン全部探してつけて!もちろん自分でね」
「新しいのじゃだめか?」
「だめ」
 そう言って天宮はスタスタと部屋を出て行った。残るは、秦海が脱がせたブラウスと上着が残っている。溜め息をひとつついて、秦海はボタンを探し始めた。3つは近くにあったが、あと3つが遠くにはじけ飛んだらしく、辺りを見回してもない。困ったなあと秦海が床を探しているところへ天宮が戻って来て「あげる」と一枚の白い紙を差し出した。それは例の河之内のコピーである。
「これはー、天宮」
「手加減しといたから、体にアザぐらいですんでると思うけど、一応、証拠をね」
 秦海は血の気が失せた。ひしゃげた河之内の顔の横に自筆でサインまでしてある。どういうことがあったかは、秦海には一目瞭然である。
「ちょうど嫁と逢ってたからー、ハイテンションでねえー、自分でもほれぼれするくらい技がきまって」
 ハハハ…と天宮は笑っている。「バカなことを」と秦海は河之内に同情した。「河之内への報復は俺がキッチリとー」 と、秦海は言いかけて天宮に止められた。
「秦海は手を出さないでね。こういうことは私が、二度とやらないと心底懲りるまで教えてあげるから」
作品名:天秦甘栗 悪辣非道2 作家名:篠義