オリーブの枝
「神ってどんな姿なの?」
「さぁ知らないなぁ」
神がどんな姿なのかなんて考えたことがなかった。そもそも神なんて本当にいるのだろうか。
「神は何故方舟を作らせたの?」
「それは、えっと、神は悪い人間を滅ぼすために洪水を起こすんだけど、『神と共に歩んだ正しい人』のノアに箱舟の建設を命じて、ノアについて行くやつだけは助けようとしたんだと思う」
「神ってすごい」
「なんで?」
「たくさんの生き物を殺せて」
彼女の喋り方には抑揚がない。ただ言葉をパクパク口が発しているだけ。感情が通っていないように見える。というより感情を知らない、といったほうが正しいのかもしれない。
「洪水起きたらどうしよう」
「大丈夫起きないよ」
「もし起きたら逃げられない」
彼女は左のほうを指差した。ゆっくりと、静かに。
「あそこに窓がある」
「うんそうだね」
確かに窓がある。一見何の変哲のない窓だ、少し大きいが。日光をよく採り入れていて、輝いて見える。この向こうには外の景色がある。そう考えるとすぐに開けたくなった。
「開かない」
試しに開けてみた。いくら力を入れてもほんの少ししか開かなかった。窓は開けるためにあるんじゃないのか、言うことを聞かない窓に向かって言った。なにかもどかしい、そんな感じがした。開放するための窓が、急に閉塞感を煽っているように見えた。こんなの想像できたことではないか、外の景色が見れるなんて甘いことを考えていた自分を馬鹿馬鹿しく思った。
「まぁ、窓があるだけいいよ。前の俺の部屋は窓じゃなくて、鉄格子があったよ」
笑い事のように言ったが、全然笑えなかった。むしろ嫌なことを思い出して、余計に息が苦しくなった。ぷつっと会話が途切れて、さらに不安が増す。静かだと周りの音がよく聞こえるものだが、ここは何も聞こえない。何か定かではない微かな耳鳴りが聞こえるだけだ。
「いつからここに?」
「先週だよ、急にこの階に来させられた。おとなしくなったからかな」
「そう」
彼女は黙った。また、沈黙。もし後ろに人がいても気づかないだろう。自分の心臓の音が聞こえてきそうだ。立ち上がれば、骨のきしむ音が聞こえる。あぁ、まだ生きてる。あぁ、まだ……。
「また……お話聞かせて」
「旧約聖書かい?いいよ」
彼女は小さく頷いた。表情に変化は見られない。
「もう時間」
「そうだね、部屋の前まで連れてくよ」
そう言って、彼女の手を取り立ち上がらせた。細くて白い手だ。か弱そうで怪しい白さだ。手を引き部屋まで連れて行った。こつこつと歩く音が響く。この階には他の患者はいないのだろうか。
「さぁここだよ」
彼女を部屋の前に立たせた。
「またね」
「ああ」