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ライドガール

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 リウは呆然とつぶやいた。そんなことなど決してないと思っていた。どれだけ離れても、どれだけ遠くても、バルメルトウを見誤るなど考えたこともなかった。
 ごくり、と喉が無意識に鳴って、リウは自分が震えていることにやっと気づいた。

     †

「打ち身と軽い捻挫だな。幸運の女神はまだまだおまえさんを見捨てちゃいないようだぞ」
 ノア牧に呼ばれた老医者は、鼻眼鏡越しにリウの顔を見ながら上体を起こした。
「まあ二、三日はおとなしくしてることだ」
 痛みを訴え続ける右の肩と腕よりも、ぶるっと震えた自分の体に、リウはぞっとした。
 老医者は、すでに腫れているリウの手首をていねいに分厚い包帯で固定しはじめた。
「おまえさんが一日だって厩舎に閉じ込められたくないじゃじゃ馬なのは、わしもよく知ってるよ。だがな、これは大事をとっての日にちじゃないぞ。むしろ、これくらい我慢できなければ二度と前のように馬には乗れなくなると思えという、脅しだからな。たまにはわしの言うことをちゃんと聞くんだぞ」
 ジョスリイの町住まいのこの老医者には、リウも生まれたときから世話になっている。落馬後にこうして診てもらったことも、一度や二度ではない。
「シャルスの話じゃ、馬がつまずいた瞬間に、おまえさんは空高くひっくり返ってたそうじゃないか。これだけですんだのは奇跡だぞ。下がよっぽど柔らかい土だったんだろうな」
「ん……」
 また体が勝手に震えた。リウはそんな自分を抑えつけて、無理に声を張り上げた。
「だけど、骨は折れてないんでしょ?」
 途端、肩がずきりと激しく痛む。
 包帯を巻き終えた老医者が、また鼻眼鏡越しにリウを見た。
「だから二、三日と言っているだろうが。わしも若いころはぴんと来なかったが、いまの無理は未来の自分に払わせる借金みたいなもんだ。これ以上借金を増やしたくあるまい?」
「だけど、いまは借りなきゃいけないんだもの。未来のわたしはきっと許すよ」
 リウは立ち上がろうとした。とにかくバルメルトウに会いたかった。会ってその背にまたがり、一刻も早く緑の草原を走らせたかった。なにがなんでもそうしなくてはいけないという焦りが、じりじりと胸の底を焼いている。そうした自覚がその焦りをなお強くする。
「いかん、いかん」
 だが、老医者は断固としてかぶりを振った。
「自分がしでかしてきた間違いを若い連中にくりかえさせないようにするのが、わしのような老人の役目なんでな」
 と、片目をつぶってみせる。
 いつもなら笑って軽口を返しているところだったが、いまのリウは視線をそらせて黙り込む以外、なにもしたくなかった。

 体に固定された右腕の感覚が落ち着かなかった。リウは違和感ごとそんな右腕を抱えながら、厩舎に戻った。シャルスがそこにバルメルトウを入れてくれているはずだった。
「あ、シャルス」
 厩舎をのぞきこんだリウは、すぐそこに立っていたシャルスになにげなく声をかけた。
「バルムは――」
 その瞬間、シャルスはそっとリウの無事な左の肩に手をまわして外へと連れ出した。
「リウ、いいから今日は家へ帰るんだ。馬車で送っていくから」
「そんな、どうしたの? バルムは?」
 逆らって中をのぞこうと顔をねじむけるリウを、シャルスはさらに厩舎から遠ざける。
「大丈夫、脚をひねってもいないし、ぶつけてもいないし、切ったりもしていない。蹄も割れたり削れたりといったこともない。だから自分のけがだけを考えるんだ」
「待って、シャルス。バルムに会わせて。それにもう帰れって、バルムは?」
「今夜はうちで預かろう」
「どうして!」
「バルメルトウも、ちょっと興奮しているんだ。落ち着かせてやらないと」
「だったらなおさら、うちに連れて帰る。ここはバルムのうちじゃないんだから」
「大丈夫だよ、うちの厩舎だって居心地はそう悪くないはずだ」
「……なにがあったの? どうしてさっきからバルムに会わせてくれないの?」
「なにもない。リウ、本当に大丈夫だから」
「待って、ひと目でも会わせて」
 リウはシャルスから逃れようとしたが、身をよじった途端に痛みを訴えた肩にひるんだ。
「ほら」
 シャルスはまだリウの左の肩に手を置いている。すぐに気づかれた。
「きみは、まずそのけがを治さないと。バルメルトウが心配なら、きみもうちに泊まっていくといい。きみの家には使いの者をやろう。だから、ほら」
「待って、シャルス!」
「……わかった、正直に言うよ。バルメルトウにはまだきみの姿を見せないほうがいい」
「えっ」
「バルメルトウは人間みたいに賢い馬だ。自分がきみを地面に叩きつけたことを、ちゃんとわかっている」
「って……」
「人を近づけないんだよ。馬体を調べるのも大変だった。いまは混乱しているんだ」
「そんな――バルム!」
 リウは夢中で厩舎に戻ろうとした。
 シャルスの手が強引に、そんなリウを引き留めた。
「だめだ。きみが行ったら、バルメルトウはよけいに興奮する。馬房で暴れたらそれこそ大けがをしかねない。リウ、頼むから僕たちにまかせてくれ」
「だけど!」
 がん、と激しい音が響いたのはそのときだった。
 リウはその音をよく知っている。落ち着かない馬が馬房の壁を蹴り飛ばす音だ。苛立たしげないななきがそれに続く。
 息を詰まらせて見上げたリウに、シャルスは沈んだ表情でうなずいてみせる。
「バルメルトウだよ」
 またいななきが聞こえる。リウは耳をふさぎたくなる。
「うそ! バルムじゃない、バルムはこんな声で鳴く子じゃない!」
「だから言っただろう、混乱しているって」
「うそ……」
「リウ、隣の馬房にはユーリシスを入れてある。あいつが今晩はなだめてくれるはずだ。待つんだ。きみはよくやった。ちゃんと銀糸のリボンを獲たんだ、誰だってきみを悪くなんか言わない、いや言わせない」
「っ!」
 リウは痛む体のことも忘れて、今度こそシャルスの手をふりほどいた。感情が高ぶりすぎて、シャルスをにらみつける目はまばたくこともできなかった。
「……どうしてそんなことを言うの?」
「リウ」
「どうしてもう終わったことみたいに言うの?」
「落ち着いてくれ、リウ」
「答えて!」
 シャルスはあきらめたように息をついた。
「……落馬は、ときとして体以上に心を傷つけるものだということは、牧の娘のきみはよく知っているはずだ。また落ちるんじゃないか、今度はもっとひどいけがをするんじゃないか、もしかしたら今度こそ死ぬんじゃないか――そういう恐怖が生まれるものだって」
「――」
「ただ馬に乗るだけなら、落馬の恐怖を抱えていてもなんとかなるかもしれない。だけどこれは〈天馬競〉だ。限界ぎりぎりの走りをする馬の背に乗るんだ。まして肝心の馬まであんな状態じゃ――無理だ、リウ」
「無理じゃない! バルムは絶対言うことを聞いてくれる!」
「きみは?」
「もちろん、わたしだって――」
「だったらどうして、きみは震えていたんだ?」
 一歩ふたりの間を詰めたシャルスに、リウはたじろいだ。
「そんな、震えてなんかない!」
「僕がさっき手を置いたきみの肩は、たしかに震えていた」
 シャルスがすっと、さらに前に出た。
「いまだって、ほら」
作品名:ライドガール 作家名:ひがら