小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ライドガール

INDEX|11ページ/42ページ|

次のページ前のページ
 

「もう一度、去年と同じお願いをさせて。わたしと一緒に〈天馬競〉に出て」
 シャルスはわずかに眉をあげた。
「〈天馬競〉に勝つ意味がある者同士として。お願い。わたしと〈天馬競〉に出て」
 シャルスの表情の下にあるものをとらえようと、リウは目をこらす。勝利の可能性とイシャーマ牧への不満とを天秤にかけたかどうか、そしてどちら側を重いと見たか。
「わたしの望みはひとつだけ。バルメルトウが天馬になれれば、それでいい」
 すでにあらゆるものを持っているカズートには、リウは返せるものを持っていない。だからなにも頼めない。だがシャルスは違う。イシャーマ牧に頼るしかないいまの自分を嫌う彼になら、まだ返せるものがある。
「そのためなら、どんな条件でも呑む」
 シャルスは静かに聞き返した。
「どんな条件でも?」
「出てくれるなら、どんな条件でも」
 シャルスの気持ちがわずかに〈天馬競〉に傾いたように見えた。だからリウは彼の次の言葉、彼が出す条件を予測して心構えをした。複数年のバルメルトウの種付優先権利どころか、ノア牧への貸出自体すら考えた。
 たった一頭の種馬を貸し出してしまえば、ランダルム牧には種付料は入らない。貸出先からの礼金が入るだけだ。それでもリウはかまわなかった。〈天馬競〉で勝つためなら、シャルスという乗手が協力してくれるためなら、すべての言い分を聞く覚悟を決めた。
「……僕は小さな存在だ。〈天馬競〉に出ると言っても、せいぜい身の程知らずだと笑われるくらいで、イシャーマ牧はなにも思わないだろう。それでも僕なりの誇りはある」
 静かだが低いはっきりした声で、彼は言った。
「きみは、〈天馬競〉に勝つまでイシャーマ牧の友達に会わないでいられるかい」
 予想外の条件だった。リウは応えることも忘れて、呆然とまばたいた。
「きみがどうしても出ると言うなら、彼はきっと助けようとするだろう。だけど僕は、自分の勝負にイシャーマの助けなんて借りたくない。この条件を呑めないなら、僕は断わる」
 リウの心をカズートの面影がよぎっていく。大牧の御曹司とはとても思えない姿が、くやしいまでに見事な乗りこなし方が、からかうときには少しだけ柔らかくなる目もとが。追憶の中の彼は次々と変わっていき、絹のスカーフをつけたいまの姿へとたどり着く。
「……わかった。それがあなたの条件なら、カズートには会わない」
 シャルスはじっと、リウの心の底までさらうような目で見つめている。
「できるのかい」
「わたしだって借りは作りたくないもの。もともと助けなんて借りるつもりはなかったよ」
「わかった」
 一緒に〈天馬競〉に勝とう、とシャルスは微笑んだ。

     †

 バルメルトウがぱくりと髪を噛んだ。
「わ、こら!」
 牧の柵の前で座り込んでいたリウが声をあげると、柵越しに首を伸ばしたバルメルトウはすぐに口を離し、笑うようにぶるっと鼻を鳴らした。
 リウは、バルメルトウに乱された髪を両手でかき上げ、頭を振った。
 どうしたの、と言うように、バルメルトウがちょんちょんと鼻先で肩をつついてくる。
「ん、お金があとどれくらい使えるかをね、ちょっと」
 馬に答えながら、リウはそろえて曲げた両膝をかかえて息をつく。
 どう考えても、余裕などまったくない。
 〈天馬競〉開催地までの旅費や滞在費を、野宿と前日到着と空きっ腹で極力抑えるにしても、三人目として出てもらう助っ人への礼金まではひねりだせない。仕事でも見つかればいいのだが、そう都合よくいくとも思えない。そもそもランダルム牧にはまだ馬がいる。それらの世話をしてからさらに働くことは難しかった。
「相談……するしかないね。バルム、遊んでるところを悪いけど、ノア牧まで行こう」
 バルメルトウは喜んで頭を上下に振った。
 馬具を取りに歩き出したリウの目に、見覚えのある馬車が入った。その御者をはっきり見てしまう前に、リウは顔をそむけて厩舎に逃げ込んだ。壁に背をつけて唇を噛みしめる。
「なに逃げてんだよ? なんか見られたくないことでもしてたのか?」
 冗談と受け取ったらしいいつもどおりのカズートの声に、リウは泣きそうになった。
「ごめん、会えない!」
 彼に聞こえるようにというよりは、自分のそんな気持ちに負けないように、精いっぱいの声を張り上げる。
「今年一年は会わないから! 悪いけど帰って!」
 張り上げたせいでいまにも裏返りそうな自分の声に、リウはぞっとした。高すぎる。もっと低く、カズートに負けないくらい低い声を出せればいいと、心の底から願う。
「は? 一年? どういうことだ?」
 それでも声を出さないわけにはいかない。
「わたし、やっぱり〈天馬競〉に出るから! だから会うわけにはいかないの!」
「……あのな。出るなら出るで、利用できるものはしろって言っただろ」
「なにも返せないのに、そんなに甘えられないよ! お願いだから放っといて! 大体カズートだって出るんじゃない!」
「だから乗手になってやるなんて言ってないだろ。おまえ、意地っ張りにも限度があるぞ」
 カズートの声が不穏な気配を帯びてくる。
 優しいから――ぎゅっと、リウは背に回した手を握る。口が悪くて、目つきも悪くて。だけどカズートは優しいから。昔なじみの苦労を見ているだけなんてことはできないから。
 けれども、そんな彼に甘えることなどできない。
「お情けなんてかけないで!」
 リウは叫んだ。
「わかってるよ、わたしがいま喉から手が出るくらい欲しいものなんて、カズートからしたらたいしたものじゃないって。貸しだとも思わないでくれてやれるものなんだって。だけど、だから、絶対にもらいたくない!」
 だめ、と思う自分より早く、勢いづいてしまった口が動く。
「わたしに本気で『カズート若さま』って呼ばせたいの!?」
 自分がなにを言ったか悟った直後、リウは呆然とした。自分の大きな息づかいだけが聞こえ、上下に揺れる肩をぼんやり感じていた。
 だから、長すぎる沈黙に気づいたのはかなり後になってからだった。
 カズートが帰ってしまったのではないかと、リウは壁から背を離して窓を見やった。けれども、窓から見える道に、いつまでたっても馬車は現われなかった。
 カズートはまだ外に立っている。見なくてもわかる。いい乗手の証である昔からの姿勢のよさに、いつのまにか首もとに絹のスカーフをつけ加えた、いまの姿で。
 けれどもリウはこれ以上の言葉を持たない。無理になにか言おうとすれば、さらにとんでもないことを口走ってしまいそうで、リウは懸命に息苦しい沈黙に耐えた。この我慢比べにだけは負けるわけにはいかなかった。
「……わかったよ」
 やっと沈黙を破った彼の口調は平坦で、なんの感情も読み取れない。
 リウの体はびくりと震えた。口から言葉がこぼれかけた――違う、わたしはただ。
 鋭く鞭が鳴った。車輪が回り、馬車が去っていく音がした。
 リウは厩舎の壁に背中をあずけ、そのままずるずると座り込んだ。

     †

 自分の分の馬の世話と厩舎の掃除を終えると、もう昼近かった。あわただしく昼食をすませたリウは荷馬車を引っ張り出して、近くのジョスリイの町へ買い出しにむかった。
作品名:ライドガール 作家名:ひがら