ともだちのしるし
「言わなきゃいけない事なの。もう、時間がないの。もうすぐ力がなくなっちゃうの。そうすると、ずっと会えなくなっちゃうから……」
そう顔を上げた白ちゃんは、悲しそうに微笑んでいた。
(力がなくなる? 会えなくなる?)
私は、その後の言葉を聞きたくなかった。白ちゃんは一度目を伏せた後、また私に視線を戻す。私を見据える瞳には、強い意志が宿っているように見えた。初めて見た真剣な顔に圧倒され、言葉を遮る事も、耳を塞ぐ事も出来なくなっていた。
白ちゃんは、自分で自分の言葉を確認するように、ゆっくりと話し始めた。
「白は、おねえちゃんを知ってる。おねえちゃんも、白の事を知ってる」
学校の廊下で、初めて会った時に言われた言葉だった。
「白ちゃんと私は、会ったことがあるの?」
「うん、会った事あるよ。でも、今の白を見ても、おねえちゃんはきっと思い出せない」
悲しそうな微笑みはそのままだったけれど、強い意志はより増した気がした。
「白は、おねえちゃんの事をずっと見てたの。遠い所からだけど……」
(遠い所……?)
「白は、おねえちゃんに恩返しをしたくて、ここまで会いに来たの」
白ちゃんは俯いて、沈黙が支配した。恩返しをするためと言うけど、私はこれまで人から恩返しをされるような事をした記憶がない。困っている人を見ても、声を掛ける事が出来ないような人間なのに。そんな私に、恩返しをする理由がどこにあるというの?
また私に目を合わせる。そこには、何かを心に決めたかのような、清々しい顔をした白ちゃんがいた。
おもむろに、白ちゃんは自分の首の後ろに両手をあてた。たどたどしく動いた後、その手が首から離れ、私の前に差し出された。そこにはチョーカーが握られていた。いや、チョーカーだと思っていたものは、よく見ると随分違っていた。よく雑貨屋とかで売っている、プレゼントにかけるような緑のリボンに、これも雑貨屋ですぐ手に入れられそうな鈴。その天辺にある穴にリボンが通されているだけの、単純な作りだった。錆び付いた鈴だけではなく、リボンの色も白っぽく擦れていて、端は繊維が解けてボロボロになっていた。
「これは、おねえちゃんに返すね」
「か、返す……?」
その意味を理解出来ないまま、白ちゃんの顔とリボンに付いた鈴を交互に見る。部室で見せていた無邪気な笑顔とは違って、優しくて、温かく包み込むような微笑みを浮かべている。私が手の平を差し出すと、チリンとくすんだ音と一緒に私の手に乗せられた。
その直後、鈴が僅かに光った。その光は、あっという間に何本もの柱となって、四方に発散していく。私の手も、白ちゃんの顔も、夏の太陽の下にいるかのように、黄色に照らされている。すると今度は、光が白く大きくなって、白ちゃんも、周りの景色も一気に飲み込んでいった。急に大量の光を吸い込んで、私の目が眩む。まばゆい光に目が慣れてくると、私の周りには真っ白な空間が広がっていた。
そこは、壁や天井があるわけでもないし、地平線や地面が見えるわけでもない。ただ白いだけ。白、純白、雪色、ホワイト……、それらの単語がどれも陳腐に思えてしまうほど、真っ白な世界に私一人だけだった。それに、自分の足には立っているという感覚がなかった。立っているはずなのに、浮いているかのようだった。自分自身さえ視界に入らず、手を目の前にかざしてみても、足元を見ても、そこにあるのは白い世界だけだった。
(な、なに? これ……)
私は怖くなって叫んだ……はずだった。確かに『白ちゃん!』と叫んだのに、自分の声が聞こえなかった。
私が"ここに居る"という意識しか、ここにはなかった。
すると、濃いミカンの色のような、オレンジ色の世界へと変わった。そこに緑色が混ざってくる。続いて赤が現れ始める。そして茶色、黄色、他にも様々な色がマーブリングのように、幻想的に絡み合っていった。一定の速度で、絶えず混ざり合うマーブル模様は、次第に速度を落としていく。そして、少しずつ、少しずつその色たちは、ある風景を形作っていった。
そこは、さっきまでいた神社だった。だけど、幾つか違っている部分がある。まず、私の視点が違う。境内を俯瞰(ふかん)するように、鳥居と神社を見下ろしている。鳥居の朱色は鮮やかで、神秘的な色を主張している。周りの木々は黄色や赤に色付いていて、紅葉の奇麗な顔を覗かせていた。
そして、白ちゃんがいない。その代わりに、踏み段の脇に座り込んでいる一人の少女が、神社の床と地面との空間に、顔をうずめる様にして何かを見ていた。背中を覆ってしまうかのように大きな赤いランドセルが、少女が動く度に右に左に揺れている。
顔は見えない。誰だろう? すると、私の事が見えたのか、何かを感じたのか、ふと少女がこちらに顔を向けた。
(あ、あれは……、私!? そうだ、小学生の頃の私だ……)
この頃の私は、時々学校帰りに神社に遊びに行っていた。多分、一、二年生の時だったと思うけど、いつからか行かなくなってしまった。
小学生の私は、私の事は見えていないようだった。しばらくこちらに目を向けた後、小首を傾げてまた視線を戻した。