天秦甘栗 悪辣非道1
河之内は自称、秦海のライバルである。ずっと戦前から続く秦海財閥の御曹司として将来を全て約束された秦海渉と河之内を比べれば、所詮、河之内は成り上がり者である。しかし、秦海はそんなことでバカにしたりはしない。強いものだけが生き残る経済界では、残っている者が正義なのだと考えている。だが、河之内はバカにされていると思い込んでいて、どうしても秦海を追い越してやろうと思っている。秦海渉はスキのない男である。
度々、河之内は秦海にちょっかいをかけるのだが、そのことごとくは失敗している。しかし河之内に「懲りる」の文字はないらしく、再度の機会を狙っていた。
その秦海がこのたびめでたく結婚した。相手は国税庁に勤務する国家公務員、天宮航子である。河之内は、この結婚に微笑んだ。これで秦海にはウィークポイントができたのである。妻を寝取ってしまったら、秦海は悔しがるだろう。なにせ、10年越しの恋を実らせた相手である。(仲人の紹介でそう言っていた)披露宴に出席した河之内は、にこやかな笑顔を天宮に向けた。こんな女くらいなら、部屋に閉じ込めでもしたら簡単に事は運ぶだろうと、そんなことを考えながら、秦海に対する忌み言葉オンパレードスピーチをしていたのだった。
河之内が、どうやって天宮を呼び出そうかと考えをめぐらしていたのだが、意外と好機はすぐにやって来た。国税庁は年に一度「税を知る週間」というものを設けている。これには、各企業が協賛する型で、いろいろなイベントが行われているのだが、その協賛の依頼が河之内のもとにも飛び込んで来たのである。秘書からの連絡に河之内は、我が意を得たりとニタリと笑った。
「その協賛依頼の件だが、私の友人である秦海の奥方に、直接説明に来てもらえないだろうか」
秘書は、不思議そうに若社長を見ているが、河之内は、忙しくてなかなかご挨拶に行けないので少しそういうことに流用したいのだと理由を言った。
「それでしたら問題はないでしょう。確か、秦海夫人は総務課にいらっしゃるとお聞きしておりますから」
天宮が査察部にいることを誰も知らない。一応、職員名簿にはのっているのだが、それも関係者にしか配られない代物である。名刺も、もちろん部署名は入っていないものである。この名刺は部署名の入った名刺よりも数段格が上である。そして業者がこわがる名刺でもあるのだ。
秘書は、国税庁の広報課に、その旨を打依した。「協賛してほしければ、天宮をよこせ」ということを丁寧に伝えた。広報課は、2つ返事で了承して若社長の都合のよい時に、説明に参らせますと答えた。
国税庁の査察統括課二課長、天宮はフーと溜め息をついた。広報課と総務課の課長が、ガン首並べて、ある事を頼みに来たのだ。表向きは、総務課の課長代理を拝命しているが、仕事は変わらずマルサである。突然のことで移る場所も、交替する人材もないのであった。
「課長、どうしました?」
「んー? ちょっと面倒な用事が出来てね。明日午後から出張するから、田中さん、あと頼めるかな?」
二課の統括者である田中は、軽くうなずいた。天宮は財務省からの出向者であるから、田中よりも、とても年下なのだが、一応、地位の加減で命令口調である。
「先程の課長たちの件ですか? 仕方ありませんねえ。いきなり結婚なんぞするから、こういうことになるんですよ」
んなこと言ったてー、と天宮は反論したかったが、恥ずかしいので止めた。いきなり婚姻届にサインさせられたなどとは言いたくない。
「以後、気を付けます。じゃ、本職に戻ろうか」
部下からまでお説教をくらいたくない天宮は、すぐに話を切り替えた。そして、田中が自分の席に戻るとすぐさま電話に飛び付いて、外線でどこかに連絡を取った。
相手が電話を取って「もしもし」と言うと、天宮はすかさず、「明日11時30分、国税庁玄関ホール」と伝えて電話を置いた。
次の日、11時30分に天宮は自分の課を抜け出して、玄関ホールに飛んで行った。そこには、すでに人待ち顔の人物が立っていた。
「ごくろう」
天宮は、その側に駆け寄って声をかけた。相手はコロコロと笑いかけて、「ちょうどよかった」と言って、紙袋を差し出した。
「パパの好きなもの」
「ああ、んっ」
天宮の本妻さんは、結婚前は天宮を「旦那」と呼ぶか「あの」と呼んでいたのだが、結婚に際して天宮が「嫁の子が出来たら「パパ」って呼ばせたい」と言いおいたので、本妻さんは「パパ」と呼ぶことにしたらしい。
「元気そうやね」
「パパもね、用事はなに?」
「いやー、一緒に食事でもどうかな?と思って」
本当の訳は、午後からムカつく仕事があるので、本妻を呼んで気分をなごましてもらおうと思ったのだ。長年連れ添った本妻さんは、その天宮の言葉の裏まで理解して「ごちそうさま」と言った。
近くの店で食事をして、別の喫茶店でコーヒーを飲もうと入った。やっとその店で本妻さんは「結婚したんですってね」と天宮に言った。
「もしかして、私を送ってからと思ってたの?」
「いいや、まあ、詳しい話はまた今度するけど、今のところは下宿してるようなものかな」
まわりにいるものたちに気遣って、結婚の経緯は伏せた。秦海家に嫁いで2週間が経過したが、天宮は一度も同意はしていない。秦海が、そのうちキレておそわれるかもなあ、と思っているのだが、2週間たっても、その様子はない。ストックさんで、そのへんは処理しているらしい。だから天宮にしてみれば、楽な下宿に入ったくらいにしか生活の変化はなかった。
「パパ、たまには私の実家の方にも顔を出してね。両親がすごくさみしそうだから」
「うん、分かってる。お母さんには3週間近く不義理してるから、今度必ず埋め合わせする」
どこへ行っても、かわいがられる天宮には、結構ファンが多い。それも、秦海大悟のような年上の人になると絶大な人気があるようで、本妻の実家の両親も「できたらムコに」とよく冗談まじりに下宿を勧めていた。
それが、この結婚騒ぎで、どこにも顔を出さなかったので、皆さみしがっているという話はよく聞くのだ。ただ1人の例外だけは嬉々としているがー。
本妻の旅行話を聞いて、いくぶん気分の落ち着いた天宮は、午後の仕事に戻った。
午後の仕事は、総務課課長補佐としての「河之内商事への協賛依頼」である。たくさんのパンフレットを持たされた天宮は、めんどくさいなぁと、河之内商事にやって来た。ビルの前で天宮は、仕事の顔に戻って玄関ホールを入る。受付で、アポイントメントを告げると、すぐに社長室に通された。
「天宮さんと個人的な話もしたいから、皆出て行ってくれ」
天宮が来る前に、そう言って河之内は秘書たちを自分の部屋から追い出した。
「やあ、ようこそいらっしゃいました天宮さん。いや、秦海さんとお呼びした方がいいですか」
キッとした仕事用の顔でやって来た天宮に、河之内は営業スマイルで対応した。
「いえ、天宮で結構です。わざわざ、わたくしをご指名とのことでしたので協賛依頼にまいりました」
軽く頭を下げた天宮は、河之内の後ろの窓に眼をやった。今日はとてもよい天気で、遥か遠くまで外の景色が良くみえている。
度々、河之内は秦海にちょっかいをかけるのだが、そのことごとくは失敗している。しかし河之内に「懲りる」の文字はないらしく、再度の機会を狙っていた。
その秦海がこのたびめでたく結婚した。相手は国税庁に勤務する国家公務員、天宮航子である。河之内は、この結婚に微笑んだ。これで秦海にはウィークポイントができたのである。妻を寝取ってしまったら、秦海は悔しがるだろう。なにせ、10年越しの恋を実らせた相手である。(仲人の紹介でそう言っていた)披露宴に出席した河之内は、にこやかな笑顔を天宮に向けた。こんな女くらいなら、部屋に閉じ込めでもしたら簡単に事は運ぶだろうと、そんなことを考えながら、秦海に対する忌み言葉オンパレードスピーチをしていたのだった。
河之内が、どうやって天宮を呼び出そうかと考えをめぐらしていたのだが、意外と好機はすぐにやって来た。国税庁は年に一度「税を知る週間」というものを設けている。これには、各企業が協賛する型で、いろいろなイベントが行われているのだが、その協賛の依頼が河之内のもとにも飛び込んで来たのである。秘書からの連絡に河之内は、我が意を得たりとニタリと笑った。
「その協賛依頼の件だが、私の友人である秦海の奥方に、直接説明に来てもらえないだろうか」
秘書は、不思議そうに若社長を見ているが、河之内は、忙しくてなかなかご挨拶に行けないので少しそういうことに流用したいのだと理由を言った。
「それでしたら問題はないでしょう。確か、秦海夫人は総務課にいらっしゃるとお聞きしておりますから」
天宮が査察部にいることを誰も知らない。一応、職員名簿にはのっているのだが、それも関係者にしか配られない代物である。名刺も、もちろん部署名は入っていないものである。この名刺は部署名の入った名刺よりも数段格が上である。そして業者がこわがる名刺でもあるのだ。
秘書は、国税庁の広報課に、その旨を打依した。「協賛してほしければ、天宮をよこせ」ということを丁寧に伝えた。広報課は、2つ返事で了承して若社長の都合のよい時に、説明に参らせますと答えた。
国税庁の査察統括課二課長、天宮はフーと溜め息をついた。広報課と総務課の課長が、ガン首並べて、ある事を頼みに来たのだ。表向きは、総務課の課長代理を拝命しているが、仕事は変わらずマルサである。突然のことで移る場所も、交替する人材もないのであった。
「課長、どうしました?」
「んー? ちょっと面倒な用事が出来てね。明日午後から出張するから、田中さん、あと頼めるかな?」
二課の統括者である田中は、軽くうなずいた。天宮は財務省からの出向者であるから、田中よりも、とても年下なのだが、一応、地位の加減で命令口調である。
「先程の課長たちの件ですか? 仕方ありませんねえ。いきなり結婚なんぞするから、こういうことになるんですよ」
んなこと言ったてー、と天宮は反論したかったが、恥ずかしいので止めた。いきなり婚姻届にサインさせられたなどとは言いたくない。
「以後、気を付けます。じゃ、本職に戻ろうか」
部下からまでお説教をくらいたくない天宮は、すぐに話を切り替えた。そして、田中が自分の席に戻るとすぐさま電話に飛び付いて、外線でどこかに連絡を取った。
相手が電話を取って「もしもし」と言うと、天宮はすかさず、「明日11時30分、国税庁玄関ホール」と伝えて電話を置いた。
次の日、11時30分に天宮は自分の課を抜け出して、玄関ホールに飛んで行った。そこには、すでに人待ち顔の人物が立っていた。
「ごくろう」
天宮は、その側に駆け寄って声をかけた。相手はコロコロと笑いかけて、「ちょうどよかった」と言って、紙袋を差し出した。
「パパの好きなもの」
「ああ、んっ」
天宮の本妻さんは、結婚前は天宮を「旦那」と呼ぶか「あの」と呼んでいたのだが、結婚に際して天宮が「嫁の子が出来たら「パパ」って呼ばせたい」と言いおいたので、本妻さんは「パパ」と呼ぶことにしたらしい。
「元気そうやね」
「パパもね、用事はなに?」
「いやー、一緒に食事でもどうかな?と思って」
本当の訳は、午後からムカつく仕事があるので、本妻を呼んで気分をなごましてもらおうと思ったのだ。長年連れ添った本妻さんは、その天宮の言葉の裏まで理解して「ごちそうさま」と言った。
近くの店で食事をして、別の喫茶店でコーヒーを飲もうと入った。やっとその店で本妻さんは「結婚したんですってね」と天宮に言った。
「もしかして、私を送ってからと思ってたの?」
「いいや、まあ、詳しい話はまた今度するけど、今のところは下宿してるようなものかな」
まわりにいるものたちに気遣って、結婚の経緯は伏せた。秦海家に嫁いで2週間が経過したが、天宮は一度も同意はしていない。秦海が、そのうちキレておそわれるかもなあ、と思っているのだが、2週間たっても、その様子はない。ストックさんで、そのへんは処理しているらしい。だから天宮にしてみれば、楽な下宿に入ったくらいにしか生活の変化はなかった。
「パパ、たまには私の実家の方にも顔を出してね。両親がすごくさみしそうだから」
「うん、分かってる。お母さんには3週間近く不義理してるから、今度必ず埋め合わせする」
どこへ行っても、かわいがられる天宮には、結構ファンが多い。それも、秦海大悟のような年上の人になると絶大な人気があるようで、本妻の実家の両親も「できたらムコに」とよく冗談まじりに下宿を勧めていた。
それが、この結婚騒ぎで、どこにも顔を出さなかったので、皆さみしがっているという話はよく聞くのだ。ただ1人の例外だけは嬉々としているがー。
本妻の旅行話を聞いて、いくぶん気分の落ち着いた天宮は、午後の仕事に戻った。
午後の仕事は、総務課課長補佐としての「河之内商事への協賛依頼」である。たくさんのパンフレットを持たされた天宮は、めんどくさいなぁと、河之内商事にやって来た。ビルの前で天宮は、仕事の顔に戻って玄関ホールを入る。受付で、アポイントメントを告げると、すぐに社長室に通された。
「天宮さんと個人的な話もしたいから、皆出て行ってくれ」
天宮が来る前に、そう言って河之内は秘書たちを自分の部屋から追い出した。
「やあ、ようこそいらっしゃいました天宮さん。いや、秦海さんとお呼びした方がいいですか」
キッとした仕事用の顔でやって来た天宮に、河之内は営業スマイルで対応した。
「いえ、天宮で結構です。わざわざ、わたくしをご指名とのことでしたので協賛依頼にまいりました」
軽く頭を下げた天宮は、河之内の後ろの窓に眼をやった。今日はとてもよい天気で、遥か遠くまで外の景色が良くみえている。
作品名:天秦甘栗 悪辣非道1 作家名:篠義