失われたポン菓子を求めて
生協ではそもそも取り扱いがないのだろうか。思わず深い深いため息が漏れた。かりんとうや松露やふ菓子はあるのに、どうしてポン菓子はないのだろう。どちらも同じような素朴な駄菓子じゃないか。
ここでなければ、大学を出たところにコンビニがある。そこにもなければ、少し歩けば小さな歓楽街エリアがある。昔からの住宅密集地のど真ん中でもあるから、スーパーや駄菓子屋さんもあるはずだ。
少し勢いの増した雪の中、私は普段通ることのない大学の北側の門から出て、ポン菓子を探すことにした。
そういえば昼食を摂り忘れていたことに気が付いたけれど、面倒だったのでそのままにしておいた。
校門を出て直ぐのコンビニにも、あの根菜状のセロファンのパッケージは見当たらなかった。がっかりしている時間が勿体無い。私は即座に進路を北へと定めた。十分も歩けば店はたくさんある。じっくり探そう。
もうすぐ午後一時を回ろうとする空は、少しずつ曇りつつある。冬の空模様は変わりやすい。透明なガラスのように澄んだ視界が広がっているかと思えば、十分後にはホワイトアウトしていることさえもざらだ。あまり、悪くならないと良いのだけれど。
平日の真昼間の道は、ほとんど人気がない。寒い日だし、住宅地の中だから尚更だ。結局、賑やかな一角に着くまでの数百メートル、誰にも出会うことはなかった。少し寂しくなったので歌でも歌って誤魔化そうかとも思ったのだけれど、日中から住宅街の中を二十歳前後の若者がたった一人で大声で歌いながら歩いている姿はどう考えても通報されても文句をいえないものだったので、やめておいた。小声で歌うのは余計寂しくなりそうだから、それもやめた。
人気のない道の途中、住宅街のど真ん中に、唐突にそこそこ大きな病院が建っている。あまり人の出入りはなく、その病院はいつ前を通っても、ひっそりと佇んでいる。どことなく不穏な心持になるのは、多分敷地内に建っている院長一家の自宅の窓に、重々しい鉄格子がしっかりとはめ込んであるせいだろう。そもそも病気に縁のない健康優良児にとって、病院は親しみや安心のある場所ではないのだ。なんとなく早足でその一角を通り抜けると、途端に、賑やかな街並みが開けた。
昔は市電の電停が、今も地下鉄の駅があるそのあたりは、さすがに街の中心ほどではないにしろ、様々な店や会社が軒を連ね、先ほどまでの静けさとは打って変わって人で溢れていた。高層ビルが立ち並ぶ中心街と違って、このあたりに高い建物といえばマンションぐらいしかない。せいぜいが四、五階建てぐらいのやや古臭い雑居ビルの立ち並ぶ中で、唐突に新築の高層マンションは盛大に浮き上がっているように見える。まわりのマンションやアパートと比べても、ここだけ住人の層が違いそうだ。それでも、ほとんどが企業や飲食店、デパートやファッションビルばかりの整然とした中心部とは異なり、住宅や古い市場、会社や夜の飲食店などがごちゃごちゃと混在するこのあたりには、街中とは違う猥雑な活気が溢れている。
ここなら、あるかもしれない。そう思うのは多分、どことなく昭和の匂いがするからだろう。いかにも近所の子どもが学校帰りに立ち寄りそうな雰囲気の商店的な店がいくつもある。
とりあえず、まずは手近なところから。目に付いたコンビニの自動ドアの前に立った。
ドアが左右に開くのと、中から悲鳴が聞こえるのとは、ほぼ同時だった。
テレビでだったら、何度か見た光景だった。さすがに本物を見るのは初めてだ。スキー場でも使えそうな温かそうなニットの目出し帽を被った男が、バイトと思しきレジの女の子に出刃包丁を突きつけていた。
コンビニ強盗だ。多いとは聞いていたが、まさか自分が遭遇することになるとは思いもしなかった。驚きすぎたせいか、悲鳴を上げることも、慌てて逃げることもなかった。私が立っているせいで自動ドアは開きっぱなしだ。氷点下の冷たい空気がコンビニの中に容赦なく入り込むけれど、強盗もレジの女の子もそんなところに気が行ってはいないようだった。
店員は顔面蒼白になりながら、それでもレジを開け、現金を取り出し始めた。コンビニでは強盗に入られた際、決して抵抗しないで素直に金を渡してお帰りいただくようにしているとは聞いたことがある。そのために、店内には常に大した額は置いていないとも。
目出し帽の男は年齢は二十台から四十台、身長170センチぐらい、体型は中肉中背、灰色のジャケットに黒いズボンを履いている。靴は、よく靴の量販店で見かけるようなよくある冬靴だ。なんというこれといって特徴のない人だろう。
「金を出せ」と言った声も、特に高くも低くも、ダミ声でもいい声でもなく、要は忘れそうな声だ。
きっとこのまま男が金を奪って逃げたらそれらの特徴がローカルニュースで報道されるのだろうけれど、まるでヒントにならなそうだ。
ということは、一度逃げられてしまったら捕まえるのは難しいかもしれない。近くの量販店で売っているのを見たことがあるような気がする手袋の上に更にゴム手袋をはめているという念の入れようだ、指紋さえ残ってはいないだろう。
目出し帽の隙間からちらりと見えた男の目は血走っていた。不安げにぎろぎろと店員の震える手を睨みつけている。こちらは、見ていない。焦っているのがまるわかりだ。常習犯ではないのだろう。
私はそっとレジと反対側の壁側にある、ドリンク類の棚へと近づいた。私が動いたために自動ドアが音を立てて閉じた。やばいか、と少し焦って動きを止めずに男を見る。良かった、気づいてはいないようだった。
店内には、少なくとも客は私しかいないようだった。平日の真昼間だから立ち読みの中高生の姿もない。できるだけ足音を立てないように移動してドリンクケースを開ける。普段自分のためには絶対買わないであろう、大き目のビール瓶を一本手に取った。
金属のがちゃりがちゃりと触れ合う音がする。男の用意した袋に小銭を落としている音だった。
小銭はつり銭用にか、結構な量があるようだった。その音に紛れて一歩一歩、男の背後に近づいた。
高校時代、高体連の地区大会で隠し球を決めてみせた時のことを、ふと思い出した。それで試合が終わった瞬間の、私とバッテリー以外の半ば呆然とした顔と、なんとも形容しがたい空気も。
そして、当時は弱小チームの一応クリンナップとしてそれなりに活躍した腕の振りを存分に思い出しながら、ビール瓶を振った。その感触に、またソフトがやりたくなった。
思ったより、柔らかくて鈍い音がした。
近くの署で事情を聞かれ、解放されたときにはやや空が赤く染まり始めていた。冬の夕暮れは早い。私としては一刻も早く買い物に戻りたかったのだけれど、そういうわけにも行かないらしい。あの強盗の男と私の行動の一部始終はすべて監視カメラに映っているはずだし、明らかに現行犯なのだし、私とあの男との間に面識はないのだから、そこまで詳しく聞く事もないと思ったのだが。
作品名:失われたポン菓子を求めて 作家名:なつきすい