閉じられた世界の片隅から(4・完結編)
迷う必要なんかない。会えなくはなるけれど、みんなを生贄に差し出すわけでもない。傷つける必要もない。犠牲にしなければいけないものなんか、なにひとつない。欲を言えば、フィズともみんなとも一緒の時間を生きられるのが最高に決まっている。消息は勿論気になるし、元気で、幸せで生きて欲しい。ばーちゃんとじーちゃんに親孝行もしたかった。スーがこれからどんどん成長していくのだって見届けたい。レミゥちゃんとももっと仲良くなりたかったし、イスクさんにも教わりたいことがたくさんあった。だけど大丈夫、みんな、ひとりではないはずだ。スーたちにはじーちゃんがついている。じーちゃんがいなくなっても、お互いがいる。ばーちゃんも、シフト氏が来たときの様子から考えて無事なはずだ。もし殺されていたり、劣悪な待遇にあるのだとしたら、それをフィズに突きつけて来ないはずがないから。イスクさんには家族がいる。やりがいのある天職にも恵まれている。
だから、みんなは大丈夫。心配は、いらないはずだ。寂しくないといえば嘘になる。だけどそれでも、僕はフィズと共に生きたい。
「人間の百年は長いぞ。なにもかもが変わってる。その中で、生きていけるのか?」
「できます」
大変だろうとは思う。法も技術も、今までの知識も経験もまったく役に立たないかもしれない。だけど、それらは全部、もう一度身につけることができる。
甘い見通しを立てているつもりもない。今までみたいな暢気な生活はできないだろう。酷い貧困に陥るかもしれない。そんな苦労はしなくても済むのならそれに越したことはないとも思う。生活上の苦労なんかしたことがない僕が、その中でちゃんと生活の基盤を作り上げていけるのかと言われれば、正直直ぐにできる自信はない。
けれど、僕がいてもいなくても、フィズはその世界の中に飛び込んでいくしかない。そのそばにいたい。ただ、それだけだ。
「お願いします」
僕はじっとファルエラさんを見据えた。
ファルエラさんは答えない。目をそらすことはしなかった。
何秒、そうしていたのだろうか。やがてファルエラさんは降伏したように軽く手を挙げて、口元だけで笑った。
「わかったよ。大した根性だ」
根性、といっていいのかもわからない。ただ、フィズと一緒にいたいだけだ。だから、僕は答えなかった。
「じゃあ眠らせてやるよ。嬢ちゃんの復活がいつになるかはあたしにはわからんから、嬢ちゃんが起きたら起こしてもらいな。やり方は嬢ちゃんにわかるように手紙を残してやるから心配するな」
「ありがとうございます、何から何まで」
僕は深々と頭を下げた。僕にはまだ、覚悟を決めることしかできない。
じーちゃんが言っていた。自分の心を決めることは自分にしかできない。だけど、自分ができない実用上のことは、できる人に頼るのはなにも悪いことではない。人には得手不得手があるのだから。
けれど、此処まで来るのに、僕はどれだけたくさんの人に助けてもらっただろう。僕にはまだ、できないことがあまりにも多すぎる。誰かにとって当たり前にできることでも、僕には一生かかってもできるようにならないだろうことも、たくさんある。
今回のことだけじゃない。此処まで十六年以上生きてくるのに、僕は数多くの人に助けられてきて、その一人が欠けても、今の僕はいなかっただろう。
百年の眠りを前にして、唯一心残りがあるとすれば、この感謝を伝えることがもうできないということだけ。
だからせめて、僕らが生きる場所がどんなところでも、僕は精一杯生きよう。今までにもらった助けを無駄にしないこと、そして今度は僕が誰かを助けること。それだけが、僕にできる恩返しだ。
「本当に、ありがとうございました」
目の前にいるファルエラさんに。僕を育ててくれたばーちゃんに。見守ってくれたじーちゃんに。イスクさん、スー、レミゥちゃん、僕が今までに出会った、そしてもう二度と出会うことのないすべての人へ、心からの感謝を。
これからも共に生きるフィズには、一生をかけての感謝を。
「頑張れよ。……お前さんたちは、幸せにおなり」
はい、と返事をする前に、僕の意識はぴたりと停止した。
作品名:閉じられた世界の片隅から(4・完結編) 作家名:なつきすい