閉じられた世界の片隅から(4・完結編)
僕も少し考える。イスクさんも結構端正な美人だし、ジェンシオノ氏はあの立ち居振る舞いもさることながら、顔立ちも相当女性にもてそうなタイプだ。話が面白くて頭がいいこともあるが、何しろ、フィズが短期間とはいえ付き合った程度には、魅力的なのだろう。そう思うと少し苛立ちが涌いてきたような気もするけれど、意識的にそれを受け流す。
「どっちに似ても、可愛いだろうね」
そしてどちらに似ても、頭は良いのだろう。なんとなく、イスクさんに良く似た顔立ちでジェンシオノ氏のような貴族的な雰囲気を持った利発な女の子の姿を、僕は思い浮かべていた。
「すごいよね」
僕はそう口にしていた。そうとしか言いようがなかった。
命を蘇らせることは、人間にはできないことで、命を絶つことはあまりにも容易くて、だけど生き物は新しい命を生み出すことができる。それが、僕には凄いことに思えた。
「ん、すごい」
応えて、フィズは天井を仰いだ。
「すごいよ」
もう一度、そう言って。
「……イスクが凄い人に思えてきたよ。赤ちゃん産めるなんてさー」
それはその通りだ。だけど、なにかがずれている気がして、どこがずれているのかを考える。
正しいような、ずれているような。確かに、イスクさんは凄い。赤ちゃんを産むというのは本当に凄い。
少し考えて、思い当たった。そうか。自分が、望まれない子どもだったからか。
僕は自分がどういう経緯でできて生まれた子どもなのかなんて知りたくもないし、恐らくろくな理由じゃないに違いない。僕はほとんど覚えていないけれども、フィズに保護されたときの僕は栄養失調でがりがりに痩せ、身体は傷だらけで、ばーちゃんが腕を高く上げただけでも怯えて縮こまっていたという。どういう扱いを受けていたかなんてすぐにわかる。だから、産みの母親に感謝することがあるとすれば、産んでくれたことと、フィズが見つけてくれるような場所に捨ててくれたことだけだ。正直会いたいと思ったこともないし、どんな人なのかさえ知りたいとも思わない。正直ただ産んで捨てられただけだったら、僕は生まれてこなかったほうが良かったのかもしれないとさえ思う。
だけど、捨てるのをあの日、あの時間、あの場所に決めてくれたことだけは、僕は心から感謝している。それがなければ、僕は産んでもらったことに感謝をすることもなかっただろう。
フィズに会えたから、僕は生まれてきてよかったと思えるから。そしてそう思えるからこそ、命を生み出すということがどれだけ凄いことかがわかる。
たとえどんなにろくでもない理由があったにしろ、その人がいなければ、僕はこの世に存在しない。それは、凄いことなのかもしれない。
そしてその方向性で思考を進めていくと、どうしても、たどり着く結論はひとつだ。
生きてるだけで、凄いんじゃないか、と。
だとすれば。
「……いるだけで、みんな凄いんだよ」
生きているだけで。この世界にいるだけで。それだけですべての生き物は、凄いのかもしれない。
奇跡のように生み出されて、そこに存在して、命を繋いで、そして死んでいく。直接自分が子どもを残すことはない人も、誰か別の人の運命に関わって、世界を変えていく。それは、何の変哲も普通の誰かの一生で、だけど途方もないほどに壮大なことだと思う。
「だから、フィズも凄いし」
「……サザ、さすがに表に出てこない思考が多すぎてわからないよ」
考えが少し飛躍気味だっただろうか。僕はもう一度、どの言葉を使えば伝わるかを考えた。
「生きてるだけで、みんな凄いんだよ」
うまく説明しきれない。僕の思考過程をそのまま言葉にしたところで、通じるかどうかもわからないけれど。
「だって、誰かの運命とか、これから生まれてくる命を、変えられるんだよ」
「なるほど」
フィズはそう返事をして、それから暫く、何も言わなくて。
どれぐらい時間が経っただろうか。ランプの油が尽きかけているのか、少しずつ、少しずつ、部屋が暗くなっていく。それに伴って、眠気も少しずつ、少しずつ。ふと気が付くと瞼が閉じているような瞬間を何度も繰り返す。
「フィズ、ごめん」
「眠い?」
返ってきたフィズの声も眠そうで、僕は心底ほっとした。
昨日の今頃のフィズの声音は、とてもはっきりとしていて、そして今朝のフィズの目の下には、かすかに隈ができていたから。
「うん。……ランプ消していいかな」
「ん、いいよ」
フィズの了承を得たので、ランプを消した。それまでじわりじわりと迫っていた暗闇が、一気に訪れて、視界が完全に失われる。そこにあるのは、ひたすらに、暗い夜。
「フィズ」
呼びかけてから、ふと、自分が情けなくなった。怖いのか。十六にもなって、こんな真っ暗闇が。
自分の掌さえも見えないような暗闇の中で、僕は自分が、何かに怯えているのを自覚していた。小さな頃、夜が怖かったのと理由は違う。寝ていたらお化けが来るんじゃないかなんて、今はもう思ってはいないけれど。
でも、それでも。
「何?」
そう、返してくれるフィズの声に、恐怖がはっきりと和らいだ。子供の頃と同じように。あの時は、フィズが居てくれれば大丈夫だと信じていた。少なくとも、お化けよりはフィズのほうが強いと思っていたはずだ。それに正直、お化け以上に本気で怒ったときのばーちゃんのほうが遥かに恐ろしかった。だから、フィズが守ってくれるから大丈夫だと、そう思えた僕は、安心して眠りについていた。
今はただ、フィズがそこにいる、その事実に僕は安心していた。
情けないな。自分の手すら見えない暗闇の中で、此処には誰も居ないんじゃないかなんて、妄想に取り付かれそうになる。誰も、そう僕も。フィズがいないなら、僕もいないのと同じだから。ただ、フィズの存在を確かめるためだけの呼びかけ。
「……おやすみ」
「ん、おやすみなさい」
おやすみ、と言うまでに少し妙な間があったかもしれないけれど、フィズはそれについては何も言わなかった。
まるでこの漆黒に飲み込まれていくかのように意識は薄れていったけれども、子どものような恐怖はもうなかった。あのフィズの声があれば、僕がこの暗闇に飲み込まれて消えうせてしまうようなことはない。そう信じていられるから。
僕は馬鹿だ。この年にもなってそんな子どもじみた妄想に取り付かれそうになるなんて。わかってはいる。わかってはいるけれど。それが拭えないのはどうしてなんだろうと、自問しているうちに、意識はいつしか途切れていった。
次の日も空は明るいとは言えなかったけれど、風は久々にからりと乾いていた。連日雨か、如何にも降り出しそうな水気を含んだ空気が続いていたことを思えば、これでもまだ十分に旅日和だと言える。雨音で目を覚まさないだけでも快適なぐらいだ。聞けば、このあたりの地域は開きに雨が多いらしい。気候の違いに、遠くに来たものだと実感させられた。
作品名:閉じられた世界の片隅から(4・完結編) 作家名:なつきすい