小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

INDEX|29ページ/37ページ|

次のページ前のページ
 

 時折、荷物に余裕のありそうな荷馬車が通りかかった時には乗せてもらうこともあった。時間を稼ぐ必要もないので、行きよりはかなり早く、距離を進んでいる。けれど、戦況の悪化で物資の統制が非常に厳しくなっている首都での商売を避けているそうで、首都まで直行する馬車とは出会わなかった。数少ない首都へ向かう商人は、荷台に軍用物資を所狭しと積んだ火薬や武器の商人ばかりで、人をふたりも余計に積む余裕はないようだった。結局僕らの街まであと百キロほどを残し、僕はまたフィズを背負って歩き始めた。それでも、ここまで来ればあともう少しだ。
 風は、すっかり冷たくなっていた。雪の気配がする。フィズの誕生日まで、あと数日だ。約束通り、誕生日までには家に戻ることができる。
 出立したときには緑の木々が生い茂っていた道は、枯葉ももう風でどこかへ流されて消えていた。戦争に伴う物資の統制などの影響で、街道を普段なら行きかうはずの商人の馬車もほとんど見えない。あのときとは、別の場所のように景色が一変していた。
 それでも、街道沿いの町の方言が僕らのよく知っている言葉に近づいてくるとなぜかほっとした。街から遠ざかれば遠ざかるほど、言葉は耳慣れないものに変わっていったから。
 人気のない、綺麗に整備された街道を、ひたすら、歩いた。うちまで帰れれば、フィズとの約束を果たせる。略奪に遭ってなければ本も薬も、ファルエラさんを呼び出すための回路とカンペもある。家に帰り着くことさえできれば、状況は変わるはず。
 もう二日、フィズと話をしていない。フィズは僕の背で、ずっと眠ったままだ。心臓は動いている。呼吸の音も聞こえる。大丈夫、まだ生きてる。
 日を追うごとに軽くなっていく背中が辛かった。疲労は溜まっているはずなのに、歩くのは苦にならなかった。意識はないはずだけれど、それでもしがみついてくる腕と足が、僕の拠り所になっていた。
 頼む、家まで持ちこたえて。そうすればきっと、すべてが良い方に転ぶはずだから。それだけを願って、ただただ歩き続けた。
 どれぐらい歩いただろう。吹き付ける秋の終わりの風は冷たくて、服の隙間から入り込んでは僕の体温を容赦なく奪っていく。少しでも早く家に帰りたい。休むのはそれからでいいんだ。そう思って、一歩向かい風に踏み出したそのときだった。
「ありがと」
 と、かすかな声が、背中から聞こえた。
「もう、いいよ。無理しないで」
 二日ぶりに耳にするフィズの声は、優しかった。
「フィズ、起きたんだ?」
 できる限り冷静を装って、僕は言った。どうしてだろう、気を抜くと、泣いてしまいそうだった。多分、フィズの声が優しすぎたから。
「ん。でも、多分またすぐ寝ちゃうわ」
 だから今のうちに言わなくちゃ、とフィズは言った。
「此処まで帰ってきてもらってなんだけど、なんかね、今更わかったのよ。……場所じゃ、なかったんだ。私の帰りたい場所。あんたがいてくれれば、何処でも良かったんだ」
「えっ」
「無駄に何百キロも歩かせちゃって、ホントごめん。だから、あんたの行きたいところに行っていいんだよ。私はもう、歩けないから」
 なんか、変だ。
「ありがとう。本当にありがとう。私、あんたと会えて、あんたと一緒にいられてよかった。幸せだったよ」
「何、言ってんだよ」
 なんでそんなことを言うんだよ。そんな台詞、僕でさえ読むようなほどメジャーな小説に出てくるぐらい、使い古されて、陳腐で。
「最後まで、サザがいてくれて、良かった」
 そんな結末はいらないんだよ、フィズ。
 本のタイトルを読んだだけで内容が大体わかってしまうような、そんな王道過ぎる展開なんか、望んでない。
「なんで、最後なんだよ。これからもずっと僕はフィズのそばにいるよ。フィズの行きたいところに、僕も行きたい。僕の行きたい場所は、フィズが行きたいところだよ」
 最後になんかさせない。まだ、早過ぎるよ。
 行きたいところは、たくさんあるんだ。見たいものもたくさんある。聞きたいものも、触りたいものも、食べてみたいものも、嗅いでみたい香りだって。
 したいことだってたくさんある。叶えてない夢だって。僕ら、まだ何もしてないだろ。何一つ、叶えてないだろ。
「最後なんかじゃない。フィズは絶対元気になるよ。また歩けるようになったら、何処でも行きたいところに行こう。大変かも知れないけど、きっと、きっと楽しいから。今よりもっと、幸せにしてあげるから」
「……ありがと」
 どうしてだろう。フィズが笑ったのが、背中越しなのにわかった。きっと嬉しそうに、だけど困ったような表情で、笑ってるんだ。柘榴石の双眸で。
「泣かないでよ、サザ」
 どうしてわかるんだよ。僕の顔なんか、その位置じゃ見えないはずなのに。
「今より幸せ、っていうのがどんなものかわからないぐらい、今私は幸せだよ」
 そういう声は、本当に、優しくて、嬉しそうで。
「それが、私には勿体無いだとか、幸せになる資格がどうとかなんて、もうそんなこと考えてない。私は、幸せでいていいんだ。そう思えるようになったのは、あんたがいたから。本当に、ありがとう」
「まだ、だよ」
 まだだよ。早すぎる。僕にはもっと、フィズにしてあげられることも、してあげたいこともある。
「もっともっと、幸せにするよ。想像がつかないぐらいの幸せを、この先ずっと、フィズにあげたい。前の日のことを生かして、次の日にはもっと幸せにする。そう、したいんだよ。フィズは子供の頃、僕にそれをくれたんだよ。覚えてる?」
「サザが喜ぶのが、嬉しかったからね」
「僕だって同じだよ。フィズが喜ぶのを見たいんだ。もっと、ずっと……」
 ずっと、いつまでも。永遠なんてないことはとっくに知ってる。だけど、そう、早すぎるんだ。
 勿論、たとえ百まで生きたとしても、別れが辛いのは間違いないと思う。思い出を積み重ねて、時間を共有しただけ、奪い取られる痛みは想像を絶するだろう。
 だけど、だけど。まだ、フィズにはできることがある。してあげられることもある。満足は一生しないかもしれない。だけど、まだ、何もしてない。
「……うん、知ってる」
 フィズが、囁いた。僕の大好きな、あの風のように澄んだ声で。
「それだけで、私はもう十分だよ」
 なんで。どうして。満足なんかしないで。もっと望んで。そうしたら、それを叶えるために、僕はなんでもするのに。どんな願いだって叶えるのに。
「ね、サザ」
 何、と返せなかった。咽喉が詰まったようで。
 だけど、願いは叶える。どんな願いでも。どんなに、ささやかでも。
「名前、呼んで」
 どんなに、嗚咽で声が詰まっても。
 それを口にしたら、すべてが終わってしまいそうでも。
「…………フィズ」
 僕はその願いを、叶えるよ。それで、喜んでくれるなら。
 だから、もっと望んでほしいのに。
「ん、ありがと」
 そんな、満足したような声で、言わないで。
 もっと僕にはしてあげられることがあるはずなんだ。
「愛してるよ。サザと逢えて、本当に、良かった」
 そう、囁いて、耳の後ろに冷たい唇が触れて、それが、最後だった。
 フィズの腕と足から、力が抜け落ちた。
「フィズ」