閉じられた世界の片隅から(4・完結編)
5. 羽根のように灰のように
一晩深く深く眠って、目を覚ましたときにはもう太陽は真上を通り過ぎようかという時刻だった。一体、何時間寝ていたんだろう。だるさはすっかり取れていたけれど、片方の腕だけが妙に痛む。そちらに目を向けると、僕の腕を枕にして、フィズが丸くなっていた。穏やかな寝息が耳に入ってきて、心底ほっとした。
生きているかどうか心配になるほど、フィズの身体が冷たかったから。
僕はベッドから出るのを止めて、もう少し休むことにした。僕も長いこと寝ていたけれど、僕より先に寝付いたはずのフィズが目を覚まさないということは、相当疲れているに違いない。腕を抜いて起こしてしまうのも悪いので、僕は暫くフィズの枕となるという名誉にあずかることにした。
フィズの表情は寝息同様穏やかで、安心しきって眠っているように見えた。こうしていると、まるで小動物や小さな子どものような様子で、僕より三つ年上であることを忘れそうだ。そういえば、あと一月も経たないうちに、フィズの誕生日はやってくる。秋の終わり、冬の始まり。大体、初雪が降る頃がフィズの誕生日だ。その日を迎えればフィズは二十歳になる。僕と同じく、拾われた頃の見た目から逆算しての推定誕生日、ということだったが、フィズがうちに来るまでの真相を知った今となっては、本当にその日が生まれた日なのではないかと思う。そして冬の終わりに訪れる僕の誕生日まで、年齢の差は四つになる。
いつもだったら、みんなで盛大にお祝いをした。基本的にみんなお祝い事やにぎやかなことは好きだった。僕より言葉の少ないばーちゃんも、僕らに何かめでたい事があったときには、上機嫌でパーティの準備をしてくれた。
だけど、今年の誕生日にみんなが再会することは、まず無理だろう。早くても来年になるんだろうな。折角の、二十歳の誕生日なのに。お金にもあまり余裕はないし、荷物もこれ以上増やすわけにはいかない。盛大に、というわけにはいかないけれど、せめてなにかフィズが喜ぶようなことをしてあげたい。
フィズの誕生日。その日、僕らは何処で、どんな状況にあるんだろう。できれば、それまでに国境を越えて生活拠点を作ってしまえれば良かったのだけれど、僕とフィズの体調を考えるとそれは無理だろう。冬になれば、ますます旅路はつらくなる。そうであるならいっそこの街に長逗留することに決めて、短期間働ける職を探したほうがいいのかもしれない。けれど、あまり滞在が長引くと、フィズの容姿から素性が知れて偏見や差別に晒される機会がいつ訪れるかもわからない。それにたとえ精神的には耐えられたとしても、実際問題体調が思わしくない中で追われたりするのはきつい。
それから、最大の問題が残っている。フィズの具合が今どういう状態であるのかが、全然わからない。
昨日の件でほぼ確信した。過度の魔法の使用は、フィズの身体に大きな負担を掛けている。奇妙なのが、街にいたころあれだけ毎日毎日怪我人の治療や治安維持のためのなんだかんだ、家の仕事などで魔法を使っていてもまったく体調に影響が出たことがないことだ。何か、他に条件の違いはなかっただろうか。生命力が目に見えたり、触れたりできることを鑑みても、フィズの身体は普通の人間の身体とまったく同じであるとは考えないほうがいいだろう。薬の効き方が同じことや、人間がかかる病気に普通にかかったり、怪我をしたときに回復を早める食事が効いているので、内臓などの生物学的なシステムはほぼ同じであることが推測されるけれど、細かな部分で、もしかしたら極めて重大な差異があるのかもしれない。フィズが目を覚ましたら、聞いてみようとは思うのだけれど、僕らには見えないものが見えていることに気付いていなかったことといい、フィズ自身がそれを特殊なものだと認識していない可能性もある。
どうしたものだろう。考えをいくら巡らせても、なかなか良案は浮かんでこない。
そんなことをどのぐらいの時間考えていたのだろう。
「朝っぱらから景気の悪い顔してるねえ」というフィズの声で、はっとわれにかえった。
「おはよう、フィズ。もうとっくにお昼過ぎてるよ」
「あ、そうなの?」
言って、フィズは大きく伸びをした。
「随分良く寝たなぁ」
そう呟くフィズの瞳は、両方とも、あの赤色だった。
「なんか大掛かりな魔法でも使う予定?」
「え?」
なんで? と言って僕を見る。気付いていないんだろうか。
「まだ、両目が赤いから」
「え」
フィズはゆっくり上体を起こし、壁に据え付けられた鏡の方を見た。が、視力のせいか見えなかったらしく、大儀そうに身体を起こして、よろよろとベッドの際まで移動していった。
「本当だ」
それは、まるで寝巻きに着替えるのを忘れて寝てしまったときの朝のような、なんでもないような声音。
「あー、なんか一回分の眠り損した気分。こっちだと妙に疲れるのになー……」
「そうなんだ?」
「ん。慣れてないからだと思うけどね」
そう言って、フィズは目を閉じて、大きく息を吸った。何度か深呼吸を繰り返して。
「……あれ」
今度は、先程よりやや重い声。鏡に映っているフィズの双眸は、柘榴石の赤のまま。
「おかしいな」
「どうしたの?」
振り返る。赤色の瞳に僅かな困惑の色を滲ませて。
「戻れなくなったみたい」
「え?」
「なんか、身体が、いつもと違う」
フィズは自分の身体感覚を確かめようとしたのか、手や足をばたばたと動かしてみたり、首を回してみたりして、それから、腕を組んで考えるような仕草をした。
「いつもだったら、少し休んだり、寝て起きたら戻ってるのに。それに、いつものこの状態のときとも、違うわ。いつもだったらなんというか、身体の芯から制御しきれないぐらい魔力が沸いてきて、魔法ガンガン使ってどんどん外に出したくてしょうがないぐらいなのに、今は、普段とおんなじ」
そうだったのか。身体を魔族に近づけると、出力がいつもとは桁違いに上がっているのは目に見えてわかっていた。特に、普通の人間には扱えない、フィズ自身の力で現象を起こすときは尚更。普通の状態で使うフィズの魔族としての魔法は、ごく普通の契約魔法ほどの効果も期待できない。勿論それでも、そこらの普通の人の扱う契約魔法ぐらいには使い物になるのだけれど。けれど、身体の状態を魔族に近づけた状態で行使する魔法の持つ圧倒的な威力を、僕は何度か目にしている。これほどの力を使いこなす相手との戦争ならば、それは短期戦での勝ち目は薄かっただろうなと、軍とは因縁はともかく実際的な関わりはほとんど持たない僕ですら思う。
「大丈夫?」
「ん、まあ制御するのに神経使わなくていいから、楽っちゃ楽なんだけどね。いきなり暴発したりはしなさそうだし、まー、大丈夫だと思うよ」
そう言って、フィズはいつも通りに笑ってくれた。違うのは、瞳の色と、疲れを感じさせる、全身のだるそうな動きだけ。
「さて。すっかりお昼になっちゃったけど、今日はどうする?あんたの風邪も良くなったみたいだし、また進む?」
「いや」
僕は首を振った。
「今日は休みたいな。もう一泊か二泊していかない?」
作品名:閉じられた世界の片隅から(4・完結編) 作家名:なつきすい