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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

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 世界が止まって見えた。神経系の魔法を掛けられた時のように、世界から音が消えたように僕には感じた。弾丸は寸分違わずシフト氏の胸を射抜いて、一瞬遅れて視界が真っ赤に染まった。
 射撃に自信なんかなくて、それどころか、初めてちゃんと銃の使い方を覚えてから、半年も経ってないというのに、なんでこんなときだけ、こんなにも正確に。
 生温かい。鉄臭さが鼻をついて、吐き気がした。こんなの、小さな頃からばーちゃんの手伝いで、嗅ぎ慣れてるはずなのに。身体が動かない。顔にかかったそれを、拭き取りたいのに。声が出ない。だけど、声が出たとしても、何を言いたかったんだ?
 言いたい言葉なんて、多分なにもなかった。口にしたところで、伝えるべき相手には、もう届かないから。崩れ落ちる、血に染まった軍服の人。不気味で、底知れなくて、恐ろしくて、そして見ているだけで哀しくなったその男。それはまるで亡霊のように。
 どさり、と男が地面に潰れた。僕は動けなかった。でも、動けたとして、何ができただろう。様子を確認したかった。だけど、見なくとも、どんな状態になっているかはだいたい想像がついていた。銃弾は多分、心臓のすぐ横の大動脈を突き破って、もう体内にどれだけの血液が残っているだろうか。
「サザ!」
 フィズの叫び声が、はっきりと聞こえた。次の瞬間、上に細い影が立って、僕に降り注ぐ雨を遮った。
 代わりに、温かな雫がひとつ、ぽたりと落ちる。
「サザ……」
 口が小さく震えているのが見えた。猫睛石と柘榴石の瞳が、揺らめいて見えて、ああ、泣きそうだったのかと気付くのに少しかかった。いつも通りのその宝石の瞳の色に、フィズのほうは余裕だったんだな、よかった、と、多分状況にそぐわない感想が真っ先に出てきた。
「あんたが……」
 その声が小さく震えて、膝から崩れ落ちた。
「撃たれたんだと思った……」
 そう言う声は途切れ途切れで、ここから表情は見えなくなってしまったけれど、泣いていることぐらい直ぐにわかった。こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
「ごめん、心配させて」
 やっと声が出た。手は、まだ動かなかった。この銃も、手から離れてはくれない。こんなもの、フィズに見せたくないのに。
「僕が、撃った」
「うん……」
 少しだけ間があって。シフト氏の状態を確認したのだろう、フィズは呟いた。
「もう駄目。心臓が、破けてるわ。傷を塞いでも、もう、助からないよ。……死んでる」
 小さなその声で、僕は、はっきりと自覚した。
 僕は人殺しだ。生き残りたい、その一心で、僕は人を殺した。はっきりと、相手の命を奪う目的で、銃の引き金を引いた。自分の右手をぼんやりと見詰めた。指が動かない。真上に持ち上げた腕も、しっかりと握られた銃も、そのまま。べたりと返り血のついた、この手は人殺しの手。生温かい、べとついたような、ぬるぬるしたようなその感触と、銃の冷たさと硬さが、雨の冷たさよりも遥かに現実感を持って、脳に伝達されている気がした。この血の持ち主は、もう、いない。
「サザ」
 フィズが僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。段差を駆け降り、僕のすぐそばにしゃがみこむ。ああ、なんて言うだろう。誉められは、しないだろうな。喜ばれるわけもない。当たり前だ。たとえそれがフィズを幾年にも渡って苦しめ、あれだけ大勢の人たちを巻き込んでしまった元凶であったとしても、どんな相手だったとしても、その命を奪うことを、フィズは望んでいない。
「ごめん、こんなこと、あんたにさせて」
 何を言われてもしょうがないと思っていたけれど、その言葉は、多分僕が一番言って欲しくなかったものだった。
「私が……助けに来なかったから」
 あんたに、人を殺させた。そう、フィズは言って、僕のほうを覗き込んで、声を詰まらせた。僕の手から、ごとっと音を立てて、僕の胸に銃が落ちた。少し、重かった。軽くなった手を、もっと、上へ伸ばす。フィズの華奢な手に触れた。その手を、ぎゅっと握った。
「違う」
 その手を引っ張ったけれど、僕の方に引き寄せられるだけの余力が、もうなかった。僕を覗き込んでくる宝石の双眸は、ゆらゆらと、戸惑うように揺れた。
 その瞳を目にして、僕は、自分が今の今まで、どうしようもない甘さを抱えていたことに気付いた。この手で引き金を引いておいて、その選択に脅えるなんて。
 そしてそのことを、フィズさえ受け入れてもらえればいいなんて、考えていたなんて。
「僕がそうしようと決めたから、そうしたんだ。フィズは悪くない」
 フィズのせいじゃない。誰のせいでもない。これは、僕が決めたこと。だから、たとえフィズが赦してくれなくても、僕はこの選択とその結果を受け止めるだけだ。僕自身で。
 僕が、生きたかったから。僕が自分の命とシフト氏の命を天秤に掛けて、僕を選んだだけのこと。あの事件のときのフィズと同じだなんて言うつもりはない。フィズが守ろうとしたのは僕で、僕が守ったのも僕の命。彼がフィズを追ってこなくする唯一の方法がこれだったとしたって、結局何を引き換えにしてでもフィズだけは守りたいと願うこと自体が、僕のエゴだったことぐらいわかってる。フィズにそうしてほしいと言われたわけでもない。
 これは、僕が決めたこと。僕が選んだ答え。
 だから、僕はこの結末を、受け入れなきゃいけない。
 どんな代償を支払っても、その為に僕がこの手を汚しても、それでも守りたいものが僕にはある。
 フィズと生きたい。そのためにどれだけ罪を重ねたとしても、それだけは守り抜く。これが、僕の答えだ。
 大切な人を守れなかった現実に苦しむことも、自分を守るための虚構に飲み込まれることもしたくない。
 僕は生きて、フィズの手だけは、絶対に放さない。
 シフト氏の命を奪ったのだ。その覚悟だけは、できた。
「だから、そんな顔をしないで」
 自己満足かもしれない。それでも、僕はシフト氏の最期の姿を、絶対に忘れない。返り血の感触も、僕がインフェさんの名前を口にした瞬間、一瞬だけ歪んだ、その表情も。
 次の瞬間、目に涙を一杯に浮かべて、僕の上に倒れこんだ。
「ごめんね、ごめんねサザ、あんたひとり……こんな思いさせて、ごめん」
 フィズの華奢な身体の重みが、僕の上にあった。こんなに、軽かったっけ。女性にしては背はそこそこあるほうだけれど、手足は折れそうに細い。前よりも、確実に痩せていた。
「フィズのせいじゃないから、謝らないで」
 手を伸ばして、フィズを抱きしめた。冷たい雨に体温が奪われたのか、この戦いでの疲労のせいか、その身体は冷たかった。
「フィズは何も悪くない」
 何一つ、こんな過酷な運命に遭って、何度も何度も傷つけられなければならない理由なんて、フィズにはない。
 一瞬、またこんな思いをさせてしまったことを、フィズに謝ろうかと思った。
 だけど、シフト氏を殺してしまったことをフィズに謝るのは、何かが違うと思って、開きかけた口を閉じた。
 受け止めると決めたんだ。あの選択も、この結果も。謝ってしまえば、その選択を後悔したことになるような気がした。このことで詫びる相手は、シフト氏だけ。それも、あの瞬間、一度きりでいい。