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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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3. 冬の終わり、春の始まり


 異変は、徐々に訪れた。姉の体調のことではない。
 まず最初に、診療所にやってくる患者が激減した。来なくなった常連さんのほとんどが姉の魔法による治療を受けていた人だったので、姉が病気で寝込んでいるという噂が広がったためだろうと思って、特に疑問は持たなかった。
 その次は、スーが姉の分の夕食を持ってくることを忘れることが増えた。姉が寝込んでから、夕食も母屋に戻らずに持ってきてもらって姉の部屋で食べるようにしているのだけれども、最初に喜んで配達役を買って出たにも関わらず、ころりと忘れてしまうらしい。ばーちゃんや常連の患者さんたちがどうやら妹はここのところどこぞの男の子にほのかな初恋をしているとかしていないとかで、それで頭がぽーっとしているのではないかと噂をしていたのだだけれど、その男の子とは、妹が好んで聞くドラマの主人公役の俳優だったことが後日発覚した。ませた性格の妹から見れば、同世代の男の子たちはみんな子どもっぽく見えるようで、あの子に本当の初恋が訪れるのはまだ当分先になりそうだと、真相が明らかになった後にばーちゃんはため息と苦笑と共に呟いていた。
 その次は、ばーちゃんが姉が寝込んでいることを忘れたことだった。これには、流石に誰もが一度言葉を失った。あれだけしっかりしていたばーちゃんにも、とうとう老いが訪れたのかと動揺したスーは、イスクさんのご両親の薬屋に物忘れに効く薬を買いに走った。ラベルを見たばーちゃんは少なからずショックを受けていたようであったが、妹に練乳とシロップの掛かった砂糖菓子の如く甘いばーちゃんは怒るに怒れず、その日一日はどん底まで沈んだ様子で診療を続けていた。多分そこで薬を買ってきたのが僕か姉だったら、「人をボケ老人扱いしおって!」とカンカンに怒ったところだろう。
 そして、最後は僕だった。姉の水枕を交換しに一階に下りたまま、姉のことを忘れてそのまま診療所へ向かってしまったのだ。どうして自分が水枕を手にしているのかが思い出せなくなり、ばーちゃんに頼まれたものと思い込んで届けに行き、怪訝な顔をされて初めて気がついた。ここのところ、診療所はばーちゃんに任せていて、手伝いなんかほとんどしていないのに。
 三人が三人、いつもなら忘れないようなことを、忘れた。ひとりだけ、一回だけなら偶然。三人で、何度も同じことが起きて、それが偶然といえるのだろうか。
 なにか変だ。
 常連さんが来なくなったのが噂のためではなかったことに気づいたのは、偶然だった。春に備えて、一年分の診療記録の整理をばーちゃんと妹と三人でやっていたときのことだった。この頃には、最初はあれだけ元気だった姉も長く続く高熱で消耗してきたのか、眠っていることが多くなってきた。脈拍も、以前よりも不安定になっている。
 全員の最終受診日を纏めていく。こういう細かくて地味な作業はなんとなく好きで、僕は姉の体調やイスクさんの件での不安を打ち消すように、その作業に没頭した。ぱっと見で、姉が寝込む前と後で患者さんが激減していることはわかる。それはあまりにも予想通りであるし、実感としてわかっていることであるから、最初は、気づかなかった。
 姉が休み始めてから来なくなった常連さんの最終受診日を整理していたときだった。他の診療所に通っていてくれればいいが、場合によっては様子を見に行く必要がある人もいるかもしれない。それを一枚のリストにまとめてから、奇妙なことに気づいた。
 来なくなった常連患者は、全員、姉が休んでから一度は来院していた。例外はない。人によっては、姉が熱を出した十日以上後。何か気になって細かく日付を絞っていく。全員が、高熱を出した日から三日以上後に、一度だけ来院している。中には、倒れた直後にやってきて僕が診察したあと、もう一度来て、それからぱったり来なくなった人もいた。姉の診ていた患者の中に、倒れた三日以上後に一度来て、その後再来院した人は、ひとりもいなかった。僕が診ていた人や、或いは気難しいなどの理由で特別にばーちゃんが担当していた人たちは、変わらず来院し続けていることから、姉の不在以外の理由は考えられない。
 ここから考えられることはひとつ。噂が広がったわけではない。全員が一度は訪れて、その後来ていない。一挙一動が伝説化するような姉なのに、高熱で二十日近くも寝込んでいるということが広がっていない。あれだけの有名人なのに。そんなことがあるのだろうか。
 噂で聞いていても姉の様子を伺いついでにくるという可能性も考えたがそうであれば何故全員が、一回だけやってきて、その後まったく姿を見せなくなるのか。これだけ長引いたのなら、それ以降の様子が気になって来る人のひとりやふたりいるだろう。
 水枕を替えに二階へ戻る。姉はぐっすりと眠っていた。二時間くらい買い物に行ってくるからとばーちゃんに姉を頼み、僕はふらりと街へ出た。勿論、買い物が目的ではない。準備中の飲み屋街を抜け、散髪屋の店先を通り、広場へ。屋台で家族へお土産にお菓子を買い、そのまま行きとは違う道を通って家へ。
 道すがら数々の噂話を耳にした。その中に、姉に関するものは、ひとつとしてなかった。偶然かもしれない。姉が寝付いていて伝説的な何事かをやらかしていないせいかもしれない。でも、それでも。普段僕がひとりで歩いていれば話しかけてきては「姉ちゃん元気にしてるか」だの、「サザ坊も大変だなぁ」などと話しかけてくるような人たちですら姉の話題を持ち出さないことに、僕は強烈な違和感を覚えた。
 考えすぎかもしれない。その話題をわざと避けているという風でもない。なのに、この感覚はなんだ。
 まるでみんなが、姉のことを綺麗さっぱり忘れてしまっているかのような。
 そんなわけあるはずがない。あるはずが、ない。そう思うのに。
 ……なんで、姉の水枕がこんなに温いんだ。まるで、2時間前からずっとこのままになっていたような。あの責任感が強くてしっかり者のばーちゃんが、姉をほったらかしになんかするはずない、のに。
 考え出したら止まらない。そんなことあるわけないのに。だけどその考えを軸にして纏めれば、ここ数日の奇妙なことすべてが符合する。そんな意味のわからないこと、あるわけない。そう思っても思っても、止まらない。
 僕はすっかり温まってしまった姉の水枕を取った。姉が小さく身じろぎをする。まだ眠っているようで、小声で呼びかけてみても、返事はない。ここ数日、眠っている顔も、少し苦しそうな顔が増えてきた気がして、見ていて辛かった。一応、医学学校はそれなりの成績で卒業して、それから何年も手伝いをしてきて、魔法がいらない、あるいは効かない患者さんであれば僕が任されることも増えてきて。少しは医者として力をつけてきたつもりでいた。
 それなのに、僕に出来ることは、なるべく快適な状態にしてあげることぐらいしかない。僕よりももっと歯がゆい思いをしているのは、ばーちゃんだろう。ばーちゃんの六十年近い経験をもってしても、姉が今どんな状態にあるのかすらわからないのだから。姉の額に触れる。熱い。呼吸も荒い。いつもより具合が悪いのかもしれない。
「フィズ……」
 耳元で呼びかける。肩を軽く揺する。わずかに瞳が開く。
「ん……?」