天秦甘栗 用意周到2
秦海は変身した天宮を見て、唖然としている。
「おかえり秦海、こんでええんやろ?」
「ああ、忙しいところすまなかったな天王寺、いやあ見違えたぞ天宮。」
じゃ普段はどうなんだ、と天宮は目でそう言った。
「これがハンドバッグ。」
天王寺は、天宮にセットになったハンドバッグを手渡して、秦海にウィンクした。
「レースは今度な、天宮。」
「うん、ありがとう天王寺。でも逃げないように。」
それは、おまえじゃーと言いながら、天王寺は帰って行った。
さて、秦海のレセプションである。連れて行かれて、どうして自分に白羽の矢が立ったのかを理解した。イタリア大使の出席しているレセプションだったのである。天宮は大蔵省に入省した時に、(現在は国税局に出向している。)外務研修で、イタリア語の勉強をさせられたのである。秦海は通訳がてらに自分を呼び出したらしいと思っているが、たまたま、各国大使の出席しているレセプションだっただけである。
執事の井上からのお願い通り、食べ物に手も出さず、ひたすら愛想笑いだけを浮かべている天宮である。次から次へと客がやって来るので、うんざりして天宮が、シャンペンに手を出して一飲みした。
「そちらの方は?」
「わたくしの婚約者です、大使。」
思わず吹き出しそうになった天宮が、呆然と秦海を見た。大使はにこやかに手を差し出した。
「一曲、お相手して頂けますか?」
げえー、と天宮が困ったように秦海を見た。そんなこと天宮には出来ぬ相談なのだが、相手の機嫌を損ねないようにするにはどうしたらよいか分からない。
「申し訳ありません大使、彼女は私以外とは踊りたくないようです。」
そう言って秦海は、やんわりと断ってくれた。大使は仕方ないといった表情で、手を引っ込めた。
「今が一番よい時ですからな、それは失礼した。」
「今のは?」
「カナダ大使だ。公務員のくせに、各国大使の顔を知らないのか? 天宮。」
知るわけがない。そんなものに関心を持てるようなら今頃、もっと上の地位についているだろう。
「どうして、私が秦海の婚約者なの?」
「そう言っておくとダンスの相手はさせられなくて済むぞ。」
そうかそうかと天宮は納得して、それ以後ずっと自分から秦海の婚約者なのでとダンスの誘いを断り続けた。なるほどなあ、と秦海は深町の助言に感謝した。こうやって自分の口から言わせれば、後で文句は言えないのである。そして、周りの人間への周知徹底にもなるのだ。深町なら、政治家にもなれるんじゃなかろうかと妙に感心した秦海である。
ようやくレセプションも終り、帰途に着いたが、天宮はさすがに疲れたらしく車中で居眠りを始めた。
「うちへ泊まるか?」
「うんーうんー、泊まる。」
その日、天宮は秦海家に泊まった。
翌日、天宮が起きると10時だった。これはだめだと仕事先に連絡して有給をもらった。
「天宮、話がある。」
「あー?」
コイのエサやりをしていた天宮に、屋敷の内から秦海が声をかけた。わざわざ居間ではなく床の間のある部屋に連れて行かれた。机の上には書類がおいてある。
「ちょっと聞きたい事がある。」
「何でしょう?」
「俺のことを嫌いじゃないな、天宮。」
いきなりの質問に面食らった天宮だが、すぐに笑い出して、「きらいなら友人にはならないよ。」と、答えた。それを聞いた秦海は、机の上の書類を天宮の前に差し出した。婚姻届けである。すでに秦海の方は、サインして実印が押されている。
「では、ここにサインしてくれ。」
「はあ?ー、えーっ!!」
口をパクつかせて天宮は少し後ろにさがった。あまりに突然のことで頭がパニックである。
「また血迷った? 秦海。年に一度の御乱心かあ?」
年に一度くらい秦海は、天宮にプロポーズする。毎度腐れ天宮にこっぴどく拒絶されて我に戻るので、天宮はこれを『御乱心』と呼んでいる。言われた本人もうっと詰まったが、思い止どまって真剣に天宮を見返した。
「俺はいたって正常だ、ずっと待っていたのだ。」
「何を?」
「おまえの第一の懸念事項が消える日をな。」
それは天宮の本妻さんのことである。あちらが結婚してくれない限り、勝ち目はなかろうと秦海はずっと待っていたのだと言う。
「本妻さんも、ようやく結婚してくれた。これでお前も心おきなく嫁入り出来るだろう。」
それはそうだが、違う違うと天宮は頭を横に振った。どうして自分が秦海のところに嫁に来なくてはならいのかと、わが耳を疑った。
「いままで、俺はおまえに相応しい人間になろうと努力した。やっと、おまえがどんなわがままを言っても聞いてやれるだけの実力は身に付けたつもりだ。……例えば、アラスカのヤドカリを生きたまま、ここに届けて食べさせてやれるし、ダイナマイトだって以前のように一本なんてケチなことはいわない。1トンでも2トンでも好きなだけ用意してやる。それに、食べたいというのなら、南極のかき氷でも、アマゾンのピラニアでも……」
それを部屋の外で待機して隠れて聞いた深町は普段の天宮がいかに秦海に無理難題を押し付けているかを計り知る。また、それに律義に応えている、この男にも頭が下がる。
「……待て、そういう言い方だと、まるで私が食欲魔神のように聞こえる。」
そうじゃないか、と天宮の向かいの人は口にした。
「だって……おまえが大蔵省の事務次官や国連大使になりたいとかなんて言うわけがないし……まあ、それも俺の実力を使えば、可能だろうがな。あとは……ああ、国会議事堂を買い取って爆破するっていうのもできそうだな。」
秦海は楽しそうに天宮の夢を口にした。それは天宮が、かつて口にした事柄なのである。
「……とにかく、俺はおまえに相応しいだけの実力はつけた。おまえと釣り合いの取れる人間は俺くらいなものだ。俺はおまえが傍らに欲しい。逢って初めて告白してからずっと愛している。どうか俺と結婚してくれ。」
他の人間がいたら、とても感動的なシーンで思わず拍手が起きそうなものだが、天宮は頭を抱えていた。秦海にわずかの恋心も打算も持ったことのない天宮には、秦海の言葉が信じられないものだった。
「そんなこと、急に言われて、『はいそうですか。』って返事できるわけがないじゃろう。それに、私はあんたのことを愛してると思ったことは一度もないのに……もっと効率のいい嫁を探せばあ? 」
「俺はおまえがいいんだ。……じゃ、とりあえず同居してみるというのは、どうだろう。お互いの知らないところも発見するかもしれないし……天宮だって、そのうち情が湧くかもしれないだろう?」
おまえにかあ……と天宮は溜め息をついた。そんなものがあるなら、とうの昔に湧いていると彼女は思う。なにせ、秦海と知り合って十年は過ぎている。仲はいいかもしれないが、それと恋愛は遠く隔たっているように……あえていうならその両者には深い河が流れていると思われる。
まだ、納得しない天宮に秦海は必殺技を出す事にした。
「昨日、天宮は自分で俺の婚約者だと言ったな。」
「それは方便で、そう言えといったのは秦海じゃなかったっけ?」
「だが、そう言われても構わないから言ったんだろう。それなら嫁に来てもいいじゃないか。何か困ったことがあるのか。」
「おかえり秦海、こんでええんやろ?」
「ああ、忙しいところすまなかったな天王寺、いやあ見違えたぞ天宮。」
じゃ普段はどうなんだ、と天宮は目でそう言った。
「これがハンドバッグ。」
天王寺は、天宮にセットになったハンドバッグを手渡して、秦海にウィンクした。
「レースは今度な、天宮。」
「うん、ありがとう天王寺。でも逃げないように。」
それは、おまえじゃーと言いながら、天王寺は帰って行った。
さて、秦海のレセプションである。連れて行かれて、どうして自分に白羽の矢が立ったのかを理解した。イタリア大使の出席しているレセプションだったのである。天宮は大蔵省に入省した時に、(現在は国税局に出向している。)外務研修で、イタリア語の勉強をさせられたのである。秦海は通訳がてらに自分を呼び出したらしいと思っているが、たまたま、各国大使の出席しているレセプションだっただけである。
執事の井上からのお願い通り、食べ物に手も出さず、ひたすら愛想笑いだけを浮かべている天宮である。次から次へと客がやって来るので、うんざりして天宮が、シャンペンに手を出して一飲みした。
「そちらの方は?」
「わたくしの婚約者です、大使。」
思わず吹き出しそうになった天宮が、呆然と秦海を見た。大使はにこやかに手を差し出した。
「一曲、お相手して頂けますか?」
げえー、と天宮が困ったように秦海を見た。そんなこと天宮には出来ぬ相談なのだが、相手の機嫌を損ねないようにするにはどうしたらよいか分からない。
「申し訳ありません大使、彼女は私以外とは踊りたくないようです。」
そう言って秦海は、やんわりと断ってくれた。大使は仕方ないといった表情で、手を引っ込めた。
「今が一番よい時ですからな、それは失礼した。」
「今のは?」
「カナダ大使だ。公務員のくせに、各国大使の顔を知らないのか? 天宮。」
知るわけがない。そんなものに関心を持てるようなら今頃、もっと上の地位についているだろう。
「どうして、私が秦海の婚約者なの?」
「そう言っておくとダンスの相手はさせられなくて済むぞ。」
そうかそうかと天宮は納得して、それ以後ずっと自分から秦海の婚約者なのでとダンスの誘いを断り続けた。なるほどなあ、と秦海は深町の助言に感謝した。こうやって自分の口から言わせれば、後で文句は言えないのである。そして、周りの人間への周知徹底にもなるのだ。深町なら、政治家にもなれるんじゃなかろうかと妙に感心した秦海である。
ようやくレセプションも終り、帰途に着いたが、天宮はさすがに疲れたらしく車中で居眠りを始めた。
「うちへ泊まるか?」
「うんーうんー、泊まる。」
その日、天宮は秦海家に泊まった。
翌日、天宮が起きると10時だった。これはだめだと仕事先に連絡して有給をもらった。
「天宮、話がある。」
「あー?」
コイのエサやりをしていた天宮に、屋敷の内から秦海が声をかけた。わざわざ居間ではなく床の間のある部屋に連れて行かれた。机の上には書類がおいてある。
「ちょっと聞きたい事がある。」
「何でしょう?」
「俺のことを嫌いじゃないな、天宮。」
いきなりの質問に面食らった天宮だが、すぐに笑い出して、「きらいなら友人にはならないよ。」と、答えた。それを聞いた秦海は、机の上の書類を天宮の前に差し出した。婚姻届けである。すでに秦海の方は、サインして実印が押されている。
「では、ここにサインしてくれ。」
「はあ?ー、えーっ!!」
口をパクつかせて天宮は少し後ろにさがった。あまりに突然のことで頭がパニックである。
「また血迷った? 秦海。年に一度の御乱心かあ?」
年に一度くらい秦海は、天宮にプロポーズする。毎度腐れ天宮にこっぴどく拒絶されて我に戻るので、天宮はこれを『御乱心』と呼んでいる。言われた本人もうっと詰まったが、思い止どまって真剣に天宮を見返した。
「俺はいたって正常だ、ずっと待っていたのだ。」
「何を?」
「おまえの第一の懸念事項が消える日をな。」
それは天宮の本妻さんのことである。あちらが結婚してくれない限り、勝ち目はなかろうと秦海はずっと待っていたのだと言う。
「本妻さんも、ようやく結婚してくれた。これでお前も心おきなく嫁入り出来るだろう。」
それはそうだが、違う違うと天宮は頭を横に振った。どうして自分が秦海のところに嫁に来なくてはならいのかと、わが耳を疑った。
「いままで、俺はおまえに相応しい人間になろうと努力した。やっと、おまえがどんなわがままを言っても聞いてやれるだけの実力は身に付けたつもりだ。……例えば、アラスカのヤドカリを生きたまま、ここに届けて食べさせてやれるし、ダイナマイトだって以前のように一本なんてケチなことはいわない。1トンでも2トンでも好きなだけ用意してやる。それに、食べたいというのなら、南極のかき氷でも、アマゾンのピラニアでも……」
それを部屋の外で待機して隠れて聞いた深町は普段の天宮がいかに秦海に無理難題を押し付けているかを計り知る。また、それに律義に応えている、この男にも頭が下がる。
「……待て、そういう言い方だと、まるで私が食欲魔神のように聞こえる。」
そうじゃないか、と天宮の向かいの人は口にした。
「だって……おまえが大蔵省の事務次官や国連大使になりたいとかなんて言うわけがないし……まあ、それも俺の実力を使えば、可能だろうがな。あとは……ああ、国会議事堂を買い取って爆破するっていうのもできそうだな。」
秦海は楽しそうに天宮の夢を口にした。それは天宮が、かつて口にした事柄なのである。
「……とにかく、俺はおまえに相応しいだけの実力はつけた。おまえと釣り合いの取れる人間は俺くらいなものだ。俺はおまえが傍らに欲しい。逢って初めて告白してからずっと愛している。どうか俺と結婚してくれ。」
他の人間がいたら、とても感動的なシーンで思わず拍手が起きそうなものだが、天宮は頭を抱えていた。秦海にわずかの恋心も打算も持ったことのない天宮には、秦海の言葉が信じられないものだった。
「そんなこと、急に言われて、『はいそうですか。』って返事できるわけがないじゃろう。それに、私はあんたのことを愛してると思ったことは一度もないのに……もっと効率のいい嫁を探せばあ? 」
「俺はおまえがいいんだ。……じゃ、とりあえず同居してみるというのは、どうだろう。お互いの知らないところも発見するかもしれないし……天宮だって、そのうち情が湧くかもしれないだろう?」
おまえにかあ……と天宮は溜め息をついた。そんなものがあるなら、とうの昔に湧いていると彼女は思う。なにせ、秦海と知り合って十年は過ぎている。仲はいいかもしれないが、それと恋愛は遠く隔たっているように……あえていうならその両者には深い河が流れていると思われる。
まだ、納得しない天宮に秦海は必殺技を出す事にした。
「昨日、天宮は自分で俺の婚約者だと言ったな。」
「それは方便で、そう言えといったのは秦海じゃなかったっけ?」
「だが、そう言われても構わないから言ったんだろう。それなら嫁に来てもいいじゃないか。何か困ったことがあるのか。」
作品名:天秦甘栗 用意周到2 作家名:篠義