Another Tommorow
Chapter2. 堂々巡りの夜
目を閉じて、意識を集める。日付は、二週間後の12月31日。
ひとつ大きな条件を変えても、それでもやっぱりその日にはなにもない。
溜め息すら吐けないほどの息苦しさに、飛鳥は自分の胸を押さえた。嫌な汗が止まない。心臓がうるさいぐらいにどくんどくんと打つ。手足ががたがたと震えた。
どうしようもない恐怖に襲われながら、それでも、その恐怖の中に、ひとかけらの安堵が、確かな手ごたえと共にある。
(よかった、まだ死んでない)
苦しいも、うるさいも、怖いも。なにもかもがあの時間には消えている。
(まだ生きてる)
ゆっくりと呼吸を整えて、脳に酸素が回っていくのを感じる。全身の感覚になによりもほっとした。だけどもう、心の奥にあったはずの蓋は取れてしまった。
最初にあの予知が起きたのは、だいたい一月ぐらい前のことだ。知りたかったのは紅白の結果じゃなくて、年越しの場所だった。中心街すらシャッター商店街と化している上大きなスーパーすらない杉宮町は勿論、一応梅枝郡の郡都である梅山立城市にしても全国でもかなり大きいほうに入るらしいジャスコこそあるものの所詮は総合大学の存在と中高年向けの観光で保っている人口5万人ちょっとの田舎なわけで、お洒落なデートスポット的なものはかなり少ない。そんなところで育ったせいか、地元の人が「デパート」と呼ぶジャスコがショッピングセンターであることを知ったのは小学校の修学旅行で東京に行ったときのことだった。こういう土地柄、本気で所謂クリスマスなデートをしたければ自宅を自力で飾り付けてディナーも自前で用意するか、特急や新幹線で東京や横浜まで行くしかないのだけれど、そのためには相当の気合と時間とそれなりの財力が必要で、それを併せ持つ人はあまりいない。一応町内に高速のインターチェンジがあるので、その周辺にはお約束通り駐車場から誰にも会わずにお部屋に直行できる類の宿泊施設はいくつかあるが、それぐらいだ。バブル期に建てられたそれらは老朽化も著しく、お洒落なデートとは程遠い。そのうちの一軒に至っては付き合って初めてをそこで過ごすと一ヶ月以内に別れるというジンクスまでもが存在する有様だ。面白半分で行ってみた友達によれば、ゴミ箱の中が片付けられていなかったとか、枕元に用意されているはずのなにかがなかったとかなんとか。そのカップルは付き合いたてではなかったせいか別れることはなく、その直後できちゃった結婚を果たして飛鳥の同級生の結婚第一号となった。洋風なイベントをこなせそうな場所についてはそんな有様の杉宮周辺だけれど、山奥の田舎だけあり伝統と風情のある寺社はたくさんある。そのせいか、杉宮の若者にとっては冬場の青春のメインイベントはクリスマスイブよりもカウントダウン初詣だ。そしてここ3年連続で、飛鳥は年越しを親子三人紅白を見ながら鍋を囲んで過ごしていた。一緒に初詣に行ってくれる相手の当てはない。今年も半ば諦めつつ、それでもほんのわずかの期待を込めて、その時間の予知を行おうとした。もし今年も例年通りなら、ちょっと奮発していいお酒と寄せ鍋のセットをお取り寄せでもしようかと思ったのだ。
目を閉じてたどり着く違う時間には、なにもなかった。
一体何が起きたのか、最初は理解できなかった。こんなことは今まで一度もなかった。なにも感じないどころか、思考すらない状況なんて。気絶でもしたのかとも考えた。状況を確かめようと、もう一度同じ時間を目指して予知を行った。やはり、それはひたすらの無だった。
思考がその意味にたどり着くよりも先に、震えが止まらなくなった。心の奥底から、説明のつかない恐怖が涌きあがってきてやまなかった。
自分の認識の不在。その意味を悟ったときの絶望と、不安と、恐怖と、悲しみと。それらを言葉で言い表すことなどできない。その後2時間以上なにもできなくて、泣くことすらできなくて、ただただ動けなかった。
その二時間が過ぎると、そこに至る理由を思いつく限り検討した。今年の春の健康診断ではなにも引っ掛からなかったはずだ。体調も悪くない。ほんの一月の間に急激に悪化して助からないような病気の心当たりはなかった。急性の疾患だとすると、時期的にインフルエンザや肺炎を疑う。けれど、看護学科の学生は全員予防注射は接種済みだ。肺炎にしても、風邪の早い段階で迷わず病院に行けば防げる。もっと突然のものであれば、例えば餅を喉に詰まらせての呼吸困難で亡くなる人は少なくないけれど、大晦日の時点でそれではどれだけ気が早いのだということになるし、餅を食べないようにすれば済むことだ。急性心不全などだったら、AEDがある場所の近くにいれば救命率はかなり高い。あとは脳出血ぐらいしか心当たりはないが、これも脳ドッグを受けてきた。一番ありそうなのは不慮の事故で、交通事故や自宅の火事を予想した。家の強度と家具のレイアウトを考えれば、地震で圧死するようなことはなさそうだった。自ら命を絶つようなことだけは絶対にありえないと断言できる。
だけど、どんな予想と、それらについての対策をどれだけ綿密に立てても予知は変わらなかった。急病系の対策としては、自分の体調をきっちりと管理し、尚且つ少しでも異常な兆候があれば迷わず病院へかかるようにすればある程度は防げるはずだ。交通事故も、起きると思って注意をしていれば回避の手段はいくつでも思いつく。念のため、自腹で人間ドックも受けたが異常は見当たらなかった。一応なんらかの事件に巻き込まれる可能性も想定し、防犯グッズは一通り揃えた。必要最低限しか外出もしないようにしている。
予想を立てて対策を施し、それでも未来は今のところ変わっていない。これらが原因ではないのか、それとも対策に不備があるのか。
そして、あの予知を見てからというもの、予知の精度がはっきりと落ちていた。見える内容自体に問題はないが、時間の制御がうまくいかなくなってきているのだ。翌日のことを予知したつもりだったのに、それが起きたのが結局3日後だったり、その逆もあった。今日よりも早い時間を狙ってあの予知を見てしまったこともある。けれど、まだ生きている。
一体厳密にいつなのかもわからない。原因も知れない。だけど、多分近々自分は死ぬ。原因も期日もわからないから確実な回避の手段も立てようがない。
(本当は言いたくなかったよ。でも)
何度も何度も条件を変えてみた。思いつく限りのことはやった。それでも、なにも変わらなかった。
(大和に全部話したら)
飛鳥の目に、今朝の弟の姿が浮かぶ。基本的にいい加減で、いろいろとだらしない自分とは違い、しっかりした弟。小さい子を連れて遭難しかかった件やらなにやら、近所でも「性格はいいんだけどしょうがないお兄ちゃん」で通っている自分に対して、高校では生徒会副会長までこなす「よくできた息子さん」な大和。自分がひとりで思い悩み、可能性を検討し、もがいている間、弟もそれに気づいて心配してくれていた。だけど。
(……変わるかな、って思ったんだけどな)
その弟の助けがあっても、あの未来からは逃げられていない。ふたりでいても、避けられない死。
作品名:Another Tommorow 作家名:なつきすい