Another Tommorow
(確か、手を尽くしたが間に合わなかったって、言ってたな。君たちの責任ではないとかなんとか)
手を尽くしたが間に合わなかった。この言葉の意味するところは死亡しているところを発見されたわけではないということだが、その程度のことは病院なのだから当たり前だし、もしそんなことがあればそれこそ学生たちに口止めをして済むような事態ではないだろう。外科や精神科ならともかく、ここは循環器科だ。患者のバイタルは常に監視されている。もし可能性があるとすれば、機器の故障か。
次に検討すべきは、治療が間に合わなかったという部分だ。これは3つのパターンが考えられる。一つ目は、発見の遅れで手の施しようがなかった場合。うまくこの病室に留まれるように時間稼ぎをして、急変時に誰かがいる状況に持っていくという解決法が考えられる。だが、この考えも発見時死亡と同じ理由で否定する。二つ目は、発見は間に合ったが、急変した後に原因の特定が遅れて治療が間に合わない、三つ目はミスなどが起きたことに気づくのが遅れて急変したときにはもう手遅れになっている場合だ。いずれにしろ、誰かが点滴をひっくり返すだとか、うっかり抜いてはいけない管に躓くだとかそういう誰の目に見てもわかるようなあからさまなミスではそのような事態にはならない。
そして君たちのせいではない、という言葉。これは、学生たちが責任を感じる可能性があることを示している。単なる慰めの言葉とも取れるかもしれない。
(でも多分、俺らがここにいる間に、その原因になるような事態が起きてる。それか、救命のチャンスがあったのを見落としたか)
そう当たりをつけ、飛鳥は重要なポイントを見落とすことのないよう、他の学生たちが見ていなさそうなところを中心に観察を開始した。これだけの人数がいながら、誰一人気づかないのだ。だとすれば、あまりにも当たり前過ぎて考えもしないようなところだろうか。誰も見ていないところか、それとも誰もが見落としてしまうぐらい当たり前のこと。
その条件を頭において、病室を見回した。個室で、他に患者はいない。今ここにいるのは件の患者と森本師長とあとは自分たち学生だ。師長が着ている白衣のポケットにPHSが入っているのが確認できた。気づいた上での医師到着の遅れという線はなさそうだ。
病室にあるのはバイタル監視のための機械と、点滴などの医療器具、それとあとはベッドと小さな台がひとつ。ベッドが突然真っ二つに割れでもしない限り、多少ひっくり返したりしたところで命に関わるような怪我をする要素は見当たらない。
あと起こりうるのは医療ミスだ。酸素、点滴、それにバイタルの監視。この人は自力でトイレと食事はできているはずだから、原因要素をこの三つに絞る。
酸素吸入器に致命的な動作エラーが発生する。点滴のミス。バイタルの監視の機械が壊れているのに気づかず容態の変化を見落とす。飛鳥はこの三つの可能性と、その複合を最有力候補と定めて、ひとつひとつ目と耳を凝らした。現時点で、まだ森本師長は学生への説明をしているばかりで、なにも作業はしていない。今何かが起こるとすれば機械のトラブルだ。今のところは呼吸が苦しそうな様子はないし、機械も不穏な音や胡乱な数値を発することもなく、正常に動作しているように見える。なにか、なにかないのか。
「……そこの男子学生、聞いてますか」
パーティの喧騒の中でも自分についての会話は拾えるとかいう認知心理学の知見があるらしい。飛鳥はぱっと顔を上げ、「はい」と優等生の返事を返した。が、一応手招きをされる。さぼらないように一番近くで話を聞け、ということか。それ以上特に何かを言うつもりはないのだろう。師長はまた説明に戻っていく。
今のところ、死亡事故に繋がりそうなことはまだ見当たらない。さぼりを指摘されない程度に師長の顔や手元を見つつ、ありったけの注意力を今この瞬間に傾ける。
師長が点滴の薬液の交換を始めた。手元にある医師からの指示と点滴のラベルは合っている。はっきりと覚えているわけではないが、この病気の治療に使う薬の中に、同じ名前の薬があったはずだ。多分、正しいのだろう。
その時、ふと、シリンジポンプの表示が目に入った。小さな違和感を覚えて、点滴ラベルとその表示を対照する。
表示された移動速度は、規定と比べて小数点の位置がひとつ右にずれていた。
「良く気づいたわね」
生協で買い込んだおにぎりを食べていると、目の前にぽんとペットボトル入りのお茶が置かれた。顔を上げると、疲れと安堵を顔に浮かべた森本師長が立っていた。お茶はありがたくいただくことにする。行きがけにタクシーに乗ったせいで飲み物代が足りなかったのだ。
「えっと、飛鳥君、だっけ。さっきは本当にありがとう。凄い注意力よ」
疲れの原因はこの件の後始末だろうか。飛鳥は小さく笑って、たまたまです、とだけ答えた。
耳の奥から聞こえてくるようなあの音が、今は少しだけ小さくなっている。聞こえなくなったわけではなかったけれど。ペットボトルの蓋を開けた瞬間の、ぱしっという爽やかな音が、一瞬だけそれを塗りつぶしてくれた。
自分の感覚に人と違う点があることを知ったのは、小学校に上がる少し前だった。何の前触れもなく唐突に訪れる未来の景色。現在の状況と全然違うことを口にしたり、突然ぼんやりと立ち尽くしたりといったことが相次ぐのを心配して、両親は飛鳥を病院に連れて行った。身体的にはなんの異常も見つけられなかった。続いて妄想や幻覚、なんらかの発達障害を疑われ、小児精神科医に連れて行かれた。初診で2ヶ月待たされてやっと面接をして、それでもなんの診断名もつかなかった。両親は途方に暮れた。まだ小さかった大和に手がかかったことや、ちょうどその頃両親共に勤めていた町役場で会計の不正が発覚し、仕事上も嵐のような日々が続いていたことも重なり、両親は相当精神的に追い込まれていたらしい。半年ほど、飛鳥は梅山立城に住む祖父母に預けられることとなった。そうするように祖父母に仕向けたのは飛鳥自身だった。そうしなければ、両親の関係が修復不可能なほど悪化し、離婚に至ることを知っていたからだ。飛鳥が見たのは、離婚届を飛鳥に預けて飛び出していく父の姿だった。幼い飛鳥にはその書類の意味も離婚とはどういうことであるのかもわからなかったけれど、このまま出て行ったら二度と帰ってこないのだろうなということは、大人の庇護なくして生きられない小さな子どもの本能で察していた。
飛鳥が話す内容が、未だ起きていない出来事についてであることに最初に気づいてくれたのは祖母だった。当時看護師をしていた祖母が仕事に出かけようとしたその時、おじいちゃんが死んじゃうといって突然火がついたように泣き出したのだ。祖父ひとりでは泣き止ませることができず、仕方なく出勤のバスを一本遅らせているうち、祖父は倒れた。脳梗塞だった。幸い祖母の通報が早かったおかげで後遺症もなくあっという間に退院したが、予定通り出かけて、幼く祖父母の家の住所も告げられないであろう飛鳥ひとりだったらどうなっていたことか。そこでふと祖母は、どうして祖父が死ぬと思ったかを飛鳥に問うた。
作品名:Another Tommorow 作家名:なつきすい