天秦甘栗 用意周到1
ちょっと忙しい週末が終わって、天宮は仕事場に出勤した。天宮の職場は、国税庁査察部、そう、俗にいうマルサである。その二課の課長が、天宮の現在の肩書きである。
「課長、外線で3番に電話です。」
「はい」と答えて、天宮が受話器を取り上げた。
相手は秦海であった。しかし、天宮が査察部にいることを秦海も深町も知らない。守秘義務があって、天宮は自分の所属する部署を教えていない。一応連絡は取れるが、それも総務課から回してもらっているのだ。
「何でしょう?」
「実は申し訳ないんだが、今日の夜は空いているか?」
「今日? 空いているけど、用事?」
「ああ、どうしても婦人同伴のレセプションがあるんだが、あいにく女を切らしてしまった。助けてくれ。」
おや珍しい、と天宮は秦海の言葉に驚いた。常に両手程の女をストックしている彼にしては急な用事といえど、ストックがないことは珍しい。
「高くつくよーおう。」
「構わん、それなりの代償は払う。夕方、車をさしむけるから一端それで、うちまで来てくれ。」
うん、とうなずいて天宮は、何気なく了承してしまった。これが、これからの大事件の発端になるとは思ってもいなかった天宮である。
夕方、定時で仕事を終えると、国税局の玄関で秦海家の執事さんが待っていた。天宮が後部座席に座ると、ドアから執事さんがバスケットを手渡した。「レセプションまで時間がございます。軽食を御用意いたしましたから、どうぞ。」
それはどうも、と天宮はさっそくバスケットを開けた。小さな水筒には天宮の好きな濃い目の紅茶が入っている。執事の井上も心得たもので天宮の好みを把握している。そして自分の若主人が恥をかかないようにと、天宮に食物を与えているのだ。人前で「おなかがすいた」だの「帰りたい」だのと騒がれてはたまらない。
「天宮様、わたくしのお願いを聞いて頂けますか?」
すでに食べ物につられている天宮は、ニコニコとうなずいた。
「決してレセプションの席で『飽きた』と、おっしゃらないで下さいね。それから食事に手を出すのもやめて下さい。」
「えー」(やっぱ内場さんでしょうね、ここは)
「お願いいたします。今日は本当に大切なレセプションなのです。」
井上は、本当に真剣である。はいはい、と天宮はおとなしくうなずいた。「助けてくれ。」と言われたのに、騒ぎを起こしてはまずいだろうなと天宮は、おとなしくしていることにした。
秦海家に着くと、いつもの客間に通された。すでにレセプション用の服が置いてある。それを一目見て天宮は、ゲエーと大声で叫んだ。レセプションというから、スーツかワンピースと思い込んでいた天宮は、吊している夜会服(イヴニングドレス)を見て後悔した。簡単に引き受けるもんじゃなかったのである。その声に反応したのか、客間のドアが勢いよく開いた。
「どないしたんや!!」
天宮の見知らぬ男が飛び込んで来た。秦海の友人で有名スタイリストの天王寺成一郎であった。
「とんでもない服……」
天宮が嫌そうに服を指さした。彼女は天王寺と面識がなかったが、この家の関係者だろうと思ってそう言ったのだ。
「なんやー、俺が選んだ服に文句あるいうんか!」
「でぇー、趣味悪いっっ!」
わざわざ仕事の合間に、写真から判断して買い揃えたものを「趣味が悪い」の一言で片付けてしまった天宮に、天王寺は喰ってかかった。
「文句は着てから言え! 似合わんかったら、土下座して誤まったる。」
「本当?」
「当たり前や、はよせい!」
そう言って、天王寺は表へ出た。売り言葉に買い言葉で、天宮もバタバタと服を着替えた。
「着たよ!」
天宮が大声で叫ぶと、また天王寺が入って来た。イヴニングを着た天宮を、とっくりと観察して、短い丈のジャケットを取り出して天宮に着せ、そして装飾品も手早くつけさせた。
「完ぺきやな! ボーイッシュで、それでいてフェミニン! ぴったりカンカンや。」
天王寺は満足したらしく、天宮の前に姿見を出して来て当人に見せた。何と、びっくりする程似合っている。
「ひえー、似合ってるやんか。」
「みてみい、俺の言うたことに間違いはないやろうが。」
「恐れ入りました。」
真紅のベルベットのドレスに白いショート丈のジャケットは、天宮のために作られたようにピッタリであった。
「わかりゃええんや、そうそう自己紹介がまだやったな。俺は天王寺成一郎、スタイリストをしている。」
「私は天宮航子、国税庁に勤めてます。」
「ほおう、税金屋さんか、秦海の連れにこんな人がおったとは知らんかったなあ。」
「じゃ、天王寺さんも秦海の?」
「うん、そうー、いや、こんななごんでる場合ちゃう。あとメイクとヘアやった。すんません、あとたのんます。」
天王寺は、外に声をかけた。すると女性が2人入って来て天宮にメイクとヘアをほどこした。どう見てもいい女になった。
「こらこら、服がシワになるやんけ!座らんと立っとけ!」
一段落ついて、居間で秦海を待っている天王寺と天宮であったが、いつものように天宮がソファの上にちょこりんと座ろうとして天王寺にどやされた。「普段着の時に勝負してよ、天王寺。」
「何のや?」
「車でレース。」
「おお、ええで、俺のコルベットとタイマンはるんか?」
チッチチと、天宮が人差し指を振った。こいつに、こうやって叱られているだけというのは我慢ならないので、ギャフンと言わせてやろうということを考えたのだ。
「山道レースよ。」
「ええよ、俺の腕は並とはちゃうで、天宮。」
すっかりなじんでる2人である。そこへ、ようやく秦海が戻って来た。
作品名:天秦甘栗 用意周到1 作家名:篠義