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天秦甘栗 用意周到1

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 天宮は、秦海家によくやって来る。その理由のひとつにコイのエサやりが出来る事が含まれている。このコイのエサやりというのが、天宮にとっては大層おもしろいことで、やり出すと半日くらいコイにエサをやり続けているので、いつも秦海家の執事さんに、コイが食べ過ぎて死んでしまうから、頼むから止めてくれと言われて、しぶしぶ止めるほどである。
「そうそう、昼は一緒にうまいものでも食べようじゃないか。それから帰っても構わんだろう?」
 コイのエサやりはしたいのだが、親父殿の言うことを黙って聞いていると帰る暇をなくしてしまう。天宮は、うーんと考え込んだ。
「この間な、天宮に似合いそうな服があったので、サイズを仕立て直しておいた。あれを着て、わしと食事に行こう。」
 親父殿は部屋の表に歩み出して、「天宮の服を持って来い。」 と、叫んだ。まあたかあ…と天宮は露骨に嫌そうな顔を向けた。
「確かピンクハウスとか言うブランドだ。なかなか可憐だと思うんだが。」「ピンクハウスぅー。」
 親父殿の言葉に、天宮は頭を抱えた。ピンクハウスと言えば、フリフリのレースやらリボンやらの多量についた少女趣味な服である。奥から執事さんが持って来た衣装は、まさにそれであった。
「これを私に着ろと?」
「かわいいだろ。うーん、よく似合いそうだ。」
「ひとつだけ質問していいか、親父。」
 今までずっと、この掛合い漫才を黙って見ていた秦海が口を出した。どうして天宮のサイズを知っているのかと親父殿に尋ねた。
「それはな、秘密だ。ちゃんと調べたのだから問題はないぞ。」
 どうやったら調べられるんだと天宮は考え込んだが、秦海には何となく分かったので「なるほど」と、うなずいた。
 結局、その日、天宮は、秦海の家の客室に泊まった。客室とはいうが、ほとんど天宮専用の部屋である。その部屋には、親父殿が天宮にと買った服が何着もおいてある。しかし、天宮はほとんどその服を着たことがない。あまりにも派手な服が多いのだ。どういう感覚で選んだら、こういう配色になるんだろうと天宮が頭をかかえるような服ばかりである。
 次の日、朝から、親父殿の懇願で、昨日のピンクハウスを着せられた天宮が、少しふてくされて、池のコイにエサをやっていた。その様子を縁側から秦海とその父が楽しそうに眺めていた。
「あの服はいいな、親父。」
「当たり前だ。わしの目に狂いはあるかー、それより渉、おまえ天宮を嫁にもらわんのか。」
 少し声をひそめて、親父殿は息子に真意を問い正した。我が子同様にかわいい天宮を息子が嫁にしてくれれば、これほど嬉しいことはない。
「欲しいが……、もう少し待ってくれ。あれには正当に攻めたところで断わられる。」
「ふん、無理強いして、ものにしても断られるくせに……」
 普通の手段では、天宮は秦海の手には入らない。昨日のように、やんわり断わるだろう。天宮にとって、秦海は友人であって恋人ではない。だから、かっこを構うこともなく言いたいこともはっきり言う。だからといって、無理強いして押し倒してでもものにすれば、それはそれで怒って、秦海家に二度と来ないだろう。結婚願望のない、無頓着で、のんびりものの天宮には、そういう手段はどれも通じないのである。
「深町さんと話し込んでいたのは、その特別な手段のことか?」
「そうだ、“将を射とすれば、まず馬を射よ”という言葉通り、まず深町さんに相談したのだ。」
 深町は、そういうたくらみが大好きで、この話に乗り気になってくれている。“天宮のお妾さん”と呼ばれる彼女には、天宮を攻める手段など朝飯前である。
「うまく行きそうかね。」
「おそらくは……」
 そんなたくらみを知らない天宮は、幾分機嫌が直ったらしく、無心にコイのエサやりに興じている。秦海にしてみれば、うちに嫁に来てくれさえすれば、毎日毎日、天宮にコイのエサやりをさせてやれるのだ。それで、一匹何百万のコイが食べ過ぎで死んでも、そんなものは構わないと思う。
「では、吉報が入るのを待つとしよう。おーい、天宮、そろそろ出掛けんかね。」
 そう言って親父殿は、縁側を離れて天宮の方へ歩いて行った。
「どこへ?」
「すぐそこだ。今日は天ぷらはどうかね?」
「食べたら帰ってもいいかな、親父殿。」
「そうだなあ、出来たら出掛ける時に薄緑のスーツを着てくれるなら、今日はすぐ帰ってもいいぞ。」
 客室につるしていた服を思い出した天宮は『じゃ、今帰る』と、きびすを返した。
「待て待て! 分かった分かった。それでいいそれでいい、あと髪をおそろいのリボンでまとめるぐらいはしてくれないかなあ。」
 このフリフリのレースがついた服を着て、さらにレースのリボンで髪をまとめろだとー、天宮はだんだん頭が痛くなってきた。一瞬、殴って逃げようかと真剣に考えた。
「それぐらい妥協してくれても構わんだろう。おまえは娘がわりだから、かわいく着飾ってもらいたいのだ。なあ、天宮。」
 しつこく親父殿が懇願するので、天宮は仕方なく髪をまとめてもらって食事に出掛けた。
 その日、天宮が田舎の家に帰ったのは、もう陽も沈む夕刻であった。
「ただいまあ。」
 大きな木がそびえ立つような山の斜面を切り開いて天宮の家は建っている。すぐ側には、水の澄んだ清流が静かに流れ、その川原には深町の趣味と実益を兼ねた畑がある。天宮が玄関で声をかけたが返事がない。どうやら深町は下の畑にいるようである。わんわんと叫びながら、天宮が畑の方に降りて来た先に、深町の愛犬ゴールデンレトリバーの龍之介が迎えに来た。1週間ぶりなので、龍之介は嬉しそうに天宮に飛びついた。しかし、大型犬の体重と勢いに、天宮が負けて尻もちをついた。
「えりどーん、いたいー!!」
 その叫び声で、深町はようやく顔を上げた。
「おー、おかえり、遅かった…ね……」
 と、声をかけて、ウゲッと驚きの声をあげた。およそ天宮に似つかわしくないフリフリのスカート姿にたじろいた。
「どうしたの?……それ……」
「秦海親父に、無理やり着せられた。遅くなったのもそれが原因。」
 ふんふんと、龍之介が天宮の服をにおっている。いつもと違うのが分かるのだろう。へへへ…と深町は笑いながら、また作業を始めた。水やりと草取りをしていたのだ。
「今日、帰るの?」
「ううん、明日帰る。こっちにスーツあったかな?」
「あるあるー、黙ってたら似合うかもね。」
「何が?」
「そのピンクハウスの服……」
 やめてくれーと、天宮は大声をあげて、深町はヒャッヒャッと笑った。人里離れた山の中であるから、その姿を誰もとがめる者はいない。
「先に買い出しに行ってもらおうかな。荷物はおろした?」
「うん。」
 ゆっくりと深町が歩き出した。天宮もパンパンとスカートのほこりをはらって、後に続いた。
「…服、着替えたい…」
 ぽつりと天宮が前を行く深町に言うと、深町は振り向きもせずに、「連絡して来なかったバツとして、今日は1日そのままでいてね。ホホホ…」と言った。天宮は深町には勝てないのだ。きっちり証拠写真まで撮られてしまった。

作品名:天秦甘栗 用意周到1 作家名:篠義