魔法使いの夜
男がやってきた。背中が光っているのでよくわかる。追っ手をまいたと思って安心しているようで、ミニバイクをのりすてて山のなかに入っていこうとしている。けれど、この土手の上からは山狩りをしている人たちがこっちへ向かっている明かりが見える。
「ジュン、いいかい。もうあいつは袋のネズミだよ。死にものぐるいでかかってくるよ。覚悟は決めたね!」
「は、はい」
ぶるっとふるえたのは武者ぶるいなのか、恐いせいなのか自分でもわからない。でもぼくは息を大きく吸い込むと、おなかに力を入れた。
さちこさんが男に言った。
「まちな! このあたしから逃げられると思ってるのかい」
すごい迫力だ。男もびびっているのがわかる。さちこさんはエンジンをふかした。ぼくはさちこさんにぎゅっとつかまった。
「飛ぶよ!」
言うが早いかあっという間に空をとんでいた。
ほんの数秒のことだったけど、なんだかスローモーションで動いたような気がした。ぼくは飛ぶ瞬間だけ目をつぶっていたけど、思い切って目をあけた。月明かりだけの上に顔まですっぽりおおわれたヘルメットをかぶっていたから、はっきり見えなかったけど、それがかえって現実離れしていてほんとに空をとんでいるような感じだった。
さちこさんはオートバイにのった魔女みたいだ。
「うわあ」
男の頭すれすれに飛び越えて着地した。ぼくは着地のショックでうっかり手を離してしまい、転がり落ちてしまった。
「いたた」
「だいじょうぶかい。ジュン」
「うん」
ぼくが起きあがろうとしたとき、男はポケットからナイフをだして襲いかかってきた。
「このガキ!」
男はナイフをふりかざした。
「ジュン、あぶない!」
さちこさんにつきとばされ、ぼくは草むらにころがった。
「さちこさん!」
見るとさちこさんの肩にナイフがささっていた。
「大丈夫だよ、こんなのかすり傷だ」
「よくもやったな!」
ぼくは夢中でヘルメットをかなぐり捨てると男に飛びついた。
「は、はなせ。このガキ」
男は暴れたけど、ぼくは(死んでも離すもんか)と、腕といわず肩といわずめちゃくちゃにかみついてやった。
「いたた。この! はなせ」
男はぼくをなぐってきた。頭がくらくらするほど痛い。でもぼくは必死だった。
自分を信じる。自分はきっとなにかができるんだって信じるんだ。
変わるきっかけはほんのささいなこと。ケンとさちこさんのことばが耳元で響いていた。
負けるもんか。これをのりこえたらきっとぼくは変われる。そんな気がしていた。
みんなが助けにくるまで実際はたいした時間じゃなかったんだけど、すごく長い時間のように思えた。
ガツッ
男のげんこつがぼくのほおを打った。それからぼくは気が遠くなって、さちこさんの声も助けにきたみんなの声もかすんでなにもかもわからなくなっていった。