篠原 生誕
本日は十一月二十八日。僕が生まれた日だった。忘れていたというより記憶すらしていなかったが正解。妹の誕生日だけは忘れたことがないが、それ以外なんて必要事項だと思ったことはない。妻の誕生日は、当人が激しく自己主張を展開するから、忘れる以前の問題だった。
休日だったこともあって、板橋家には両親が揃っていた。母は驚いてから、少し涙目になって、雪乃にお礼を言った。父は、なんだか照れてしまって、無言で微笑むばかりだった。
夕食を、という誘いに、雪乃は予定があるからと丁重に断った。
「なら、明日はどう? 」
「うん、僕はいいけど。」
「すいません、私のほうは仕事で遅くなります。おかあさま、親子水入らずで楽しんでください。」
「あら残念だわ。じゃあ、雪乃さん、明日は義行を泊めてもいいかしら? 」
「そうしていただければ、私も安心です。ほっておくと、ソファで居眠りするから心配で。」
ふたりして、まるで子供の世話をするみたいなことを話し合って笑っている。とうさんまで肩を震わせて参戦するにあたって、本格的に脱力してきた。みんな、僕がいくつになったと認識しているのか、甚だ疑問だ。
「だいたい、義行は眠くなるまで動かないから始末が悪い。」
「ほんとにねぇー、おとうさん。」
「三人とも、いい加減にしてよ。子供でもあるまいし・・・」
で、三人して僕に視線を合わせて爆笑している。久しぶりに畳が気持ちよくて、ごろりと横になっていた僕は、そのまま居眠りしていたからだ。説得力がないと、代表して、とうさんが指摘する。
「目が覚めたのなら、お茶でも飲みなさい。」
冷ましてあるから、と、かあさんが手で招いている。たくさんの薔薇から流れてくるいい匂いが微かに香る空間は、とても心が安らぐところで、この家にいると子供に戻ったように感じてしまう。
「明日、待っているからね、義行。リクエストはある? 」
帰り際に、かあさんが尋ねる。かあさんが作る普通のおかずがいいと頼んだから、「作り甲斐がないリクエストだわ。」 と苦笑されてしまった。
「誕生日ね。」
別に誕生日なんてもの、重要だと思ったことはない。生まれてきてよかったと思えたことは、たくさんある。けれど、僕がいなければ、こうはならなかったのに・・・と後悔した事もある。だから、あまり嬉しいと思うことはない。昔、岡田さんが成人の誕生日だから、とお祝いに酒を飲ませてくれたことがあった。これからは大人だから、と、いろいろと心構えとか話してくれた。それでも、相変わらず子供扱いばかりしていたのだけど。その人は、今は衛星軌道上ぐらいから、こちらを眺めているだろう。もう何を言いたくても届かない。嘘をついたことを謝りたいと何度も願うけど、そんなものは叶わない。
「篠原君。」
ぼんやりと歩いていたら、いきなり腕をひっばられた。
「疲れた? 」
「ううん、なんでもない。昔、岡田さんが誕生日に飲みに連れて行ってくれたなあ、と思い出してた。」
「ああ、いい先輩だったわね。」
「うん、いい先輩だった。」
この会話ができるようになるまで、随分とかかった。僕は後悔して、どうしても自分が許せなくて、一時は妻すら拒絶したからだ。その時は結婚もしていなくて、妻はかなりまいったと、最近になって、僕に教えてくれた。結婚しなさい、と板橋の両親に説得されて、こうなってみたものの、別に何かが変わったということはなかった。たぶん、最初から妻が傍にいるのが当たり前のことだったからだろう。
「予定があるって、何? 」
「あれは方便。ふたりっきりで過ごしたいと思っただけよ。」
「あーそうなんだ。じゃあ、今夜は外食にする? 」
「作るわよ。私が。」
「お願いします。」
そんなことを話していて、家に辿り着いた。なぜだか、人の気配がする。妹が戻っているのかもしれないと、何気なく扉を開いたら、パーンと盛大な音がして紙吹雪が舞った。
「はっぴーばーすでぃっっ、しのはら」
大人数の声がして、びっくりして見上げたら、職場の友人と妹が立っていた。
「え? 」
「ほらほら、おにいちゃんっっ、そんなところで呆けてないで、主役なんだからっっ。こっちこっち。」
強引に妹が手を引いて居間に案内する。なんで? 今日は、みんな、予定があったはず・・・
「なんで、りんさんとジョンがいるの? 」
「サプライズパーティとなれば、俺がいないと始まらないだろ? 」
「ごめん、篠原。俺には一週間で、愛の料理の腕を向上させることはできなかった。危険なので、俺が料理を担当することにした。」
「料理? 」
「りんさんっっ、うるさいっっ。おにいちゃん、ごめんね。とりあえず、ケーキだけは細野君と共同で作ったの。これぐらいしか思い浮かばなくて・・・えへっ」
居間のテーブルには、少し飾りの崩れたケーキがあった。その前に細野がいて、「努力はしましたが、すいません。」 と苦笑している。妹は料理というより家事全般が苦手である。特に料理は壊滅的な状態にある。それもこれも、僕が全部やっていて妹に教えてあげられなかったからだ。
「本当はね。あなたへのプレゼントに、愛ちゃんが手料理を披露するはずだったんだけどね。」
妻が背後から笑って教えてくれた。妹は、僕が喜ぶものを贈りたいと妻や友人たちに協力を要請したのだそうだ。それで、今日、妻は僕を散歩に誘い、家から連れ出したのだそうだ。
「さすがに、おまえに寝込まれるのはまずいだろう? ということで料理人が仕事をしたわけさ。ケーキは細野が協力してたから大丈夫なはずだ。」
「やるならサプライズパーティーのほうがいいと、俺が提案して、雪乃が共謀してくれた。」
「さらに、橘さんにも料理を味あわせてやろうということで呼びました。」
ということで、うちの職場の友人たち総出になっているのだという。
「それ、僕の誕生日という名目で宴会ということになってない? 」
「まあ、それが正解だろうな。最近、忙しかったから打ち上げの意味も含む。」
そう説明しつつ、橘さんは愛に花束を手渡して、「おまえから渡せ。」と命じている。色とりどりのガーベラでできた、かわいい花束だった。
「おにいちゃん、誕生日おめでとう。」
「うん、ありがとう。」
「さあ、ローソクつけるから吹き消して。それから、りんさんの料理を食べようっっ。」
みんなが、それぞれに着席して、がやがやと始まる宴会。生まれてきてよかったと思うことが、またひとつ増えた。なんだか恥ずかしいけど嬉しい一日。