キミへの贈り物
プロローグ
そろそろ空の色が変わりそうな頃。
「お先に」と告げたキャプテンの姿が見えなくなって、わたしだけの時間が訪れる。
高さをセットし直したバーを斜め前に見据えて小さく息を吐く。垂直に軽く跳ねながら理想のイメージを頭に浮かべ余計な思考が混じる前に走り出す。直線からの加速に乗って孤を描きながら未来の自分の残像を追いかける。
抑えつけていた遠心力を解放するように地面を蹴って、助走のエネルギーを空へと向ける。
一瞬だけ重力を忘れたかのようにフワリと舞い上がる感覚。
跳んでいるのではなく、飛んでいるような錯覚。
でも、ガランと音を立てながら落ちたバ―が、本当は跳んでさえいない現実を教えてくれた。
マットに身体を沈みこませたまま、自分のフォームを頭の中で再現する。
もちろん完璧ではないけど、今のわたしにとってはベストに近いと思う。助走のスピードも内傾や後傾の角度も踏切のタイミングも空中姿勢も理想のイメージから遠くはない。
それでも跳べない。
空がすごく遠くに見えた。
「そんなトコで寝てっと風邪ひくぞ」
不意に聞こえてきた声が、太腿を撫でる二月の風の冷たさを気づかせる。
寝転んだまま視線を向けると、制服姿でわたしを見下ろす少年がいた。
「また居残り練習やってんのか」
「まあね〜来月には記録会もあるし」
振り上げた両足の反動でマットの上に跳ね起きて、今度はわたしが見下ろしてやる。
「さみーのによくやるなあ」
「アンタだってさっきまでボールを追っかけて走りまわってたじゃん」
わたし達の言葉が白い息となってゆらゆらと揺れているのを眺めながら笑顔を返した。
「もう終わるんなら、しまうの手伝ってやろーか?」
そう言いながら視線を向けたのは、さっきまでわたしがベッド代わりにしていた巨大なマット。
「ううん、いいよ。もう少しだけやってから帰る。まだマネージャーが部室にいるから片付けは大丈夫だし」
「そっか。まあ、頑張れよ」
「うん」
落ちていたバーを戻すと、スタート位置へとゆっくり歩いていく。
視線は真っすぐ前を向きながら、後ろの足音に耳を澄ます。
静かに振り返った時には、校門へと向かう背中が小さくなっていた。
やっぱり風が冷たい。天気予報では近いうちに雪が降るかも知れないなんて言ってるくらいだ。
これが最後だと決めて、わたしは走り出した。