Hello Mr.Valentine.
Hello Mr.Valentine.
“もうすぐ2月ですね!”
ある日突然あなたが言った言葉。
“なんだか楽しそうですね。”
訳も分からずオレが返した言葉。
そっか、バレンタインだって言いたかったんだ。嬉しそうにしてるから、一瞬なんの事か分からなくて考えてしまった。あなたの誕生日は9月だし、オレの誕生日は10月だし、士の誕生日は7月。そういえば、りっくんて何月生まれなんだっけ?今度士に聞いてみよう。とにかく、バレンタインなんてあまり縁のないものだったから、ピンとこなくてオレは期待外れな反応をしてしまったんだ、きっと。
2月に入って、何故だかオレは上條家への出入り禁止令を喰らっていた。理由を聞いても「来ちゃダメです」と言うだけでなんとなくはぐらかされて終わってしまった。まぁ、家庭の事情もあるだろうし深入りするべきじゃないのだろうか?と最初はなんとなく思っていた。本当ならもっと早く気付くべきだったのかもしれない。でもこれは仕方のない事だ。子供の頃から男子しかいない学校にずっと通っているし、バレンタインだからと言って特別何か思い出があるというわけでもない。士はよく隣の女子校の生徒から待ち伏せされてチョコを渡されたりしていたが、オレにとっては心からどうでもいいイベントだった。かくいう士も、実のところ甘いものが苦手だった為にあまり好きなイベントではないらしかった。その士の様子が、今朝は随分おかしかった。ぐったりと青ざめた顔で教室に現れ、ため息をつきながら席に着き崩れるように突っ伏してしまった。普段あまりそういう態度を表に出さない士だったので、冴は珍しく思い声を掛けた。
「・・・どした?」
少し心配なせいもあってか、心なし優しい声音で士の肩に手をやった。
「・・・全部お前の為だよ」
青い顔を引き攣らせながら苦々しく笑った士は、本当にぐったりとしていた。
「や、意味分かんないんだけど。何が?てゆうか具合悪いなら休めよ」
「具合が悪いってわけじゃない。ただ・・・俺にはハードル高かった」
再び机に突っ伏した士の声は、くぐもって余計に苦しそうに聞こえた。
「だから意味分かんないんだけど」
「だってホールとか・・・、朝からホールとか・・・」
ブツブツ漏らす士を不審に思いながら、HR開始のチャイムに押されて自分の席に戻った。
その日以降、士はずっとぐったり顔で登校してきた。
* * *
―2月14日、バレンタイン。なんだかもう何が何だかわからないチョコの祭典。それがオレの中に在るイメージ。バレンタインに女の子が好きな男にチョコを贈るなんて、おそらく日本だけの風習だろう?そもそもバレンタインというものの起源について今の日本人がどれほど知っているのかも謎だった。自分自身さほど詳しく知っているわけでもないが、今の日本に定着している風習は、なんだか少し安っぽい気がしてならなかった。少なからずの嫌悪感―オレはそれすら抱いていた。
はずだ・・・。
「え、・・・コレ、全部?」
ようやく出入り禁止令が解けて上條家を訪れると、ソファに落ち付くや否や目の前に特大のデコレーションケーキがどっしりと登場した。ただのデコレーションケーキではない。直径30cmほどをベースに3段に積み重ねられた特大のチョコレートケーキだ。言葉を失う、というかどれだけ探したって言葉は出ない。
「はい!なんとかギリギリ間に合ったみたいですね!」
身体中にに粉やチョコレートクリームを付けたままの千笑さんは満面の笑みだ。まだエプロン姿で居るところをみると、どうやら本当に丁度出来上がったところらしかった。
「あの・・・、オレ・・・」
―甘いもの・・・苦手なんだ・・・士より何倍も。
「士さんが、冴はチョコは大好きだって教えてくれたので、頑張って3段に挑戦しました!」
―嘘つけよ!え?なんでそういう事になっ・・・・・・あ。
そう言えば毎年、士が山ほど貰ったチョコをオレは引き受けていた。うちの女共が甘いものに目がないから・・・。「冴、チョコ・・・半分でいいから貰ってくれないかな」と縋るような目で訴える士に対して「ああ、貰ってく」と二つ返事で受取った。面倒だったので理由も言わずに貰っていたのを思い出す。
―それであいつ勘違いしたのか・・・まぁ、無理もないか・・・。でも、これは・・・。
「千笑さん・・・実は、オレ・・・」
「はい?」
眩しいほどの笑顔。先の言葉がなかなか出て来ない。
「オレ、千笑さんはてっきり米国スタイルでくるもんだとばっかり思ってて・・・それで、その・・・」
「?」
安心していたのだ。バレンタインにもし千笑から何か贈って貰えるとしても、日本的なチョコレートではなく何か別のものだろう、と。アメリカ暮らしの長かった彼女の事だから、きっとそちらの風習の方が肌に合うだろうと思い込んでいた。
「・・・正直に、言うと・・・オレ、甘いの・・・苦手・・・士よりダメ」
申し訳ない気持ちでいっぱいになり千笑さんを見ているのも辛くて、ギュッと目を瞑り顔を伏せる。顔を上げられずに黙って相手の言葉を待つが、いつまで経っても千笑さんは言葉を発しなかった。恐る恐る顔を上げて様子を窺うと、今まで見た事ないほど困った顔の千笑さんが居た。
「・・・ッ本当、ごめん!」
軽く泣きたい気持ちで謝った。本当に申し訳ないと思った。この2週間近く、きっと毎日のように練習していたに違いない。普段作り慣れていないはずのケーキをここまで美しく仕上げてきたのだから、相当何度も作ってくれたのは明らかだった。自分がもっと気の利く人間だったなら、事前に苦手な事を仄めかす事も出来た筈なのに・・・と思うとやり切れない気持ちだった。
「あの、でも!この、一番上の段くらいだったら!大丈夫、食べるよ?!折角作ってくれたんだし!」
こんなに焦ってる自分に驚きながら、必死に言葉を探した。慌てふためくオレを余所に、千笑さんは今度は何かを一生懸命考えているようだった。
「千笑・・・さん?」
「何も、」
「え?」
「他に何も、用意してないんです」
残念そうに肩を落として、冴の正面のソファに崩れ落ちるように座った。
「あの、オレ・・・」
「何でも良かったんです。冴に喜んでもらえるなら、チョコレートケーキでもマスタードケーキでも・・・」
―や、さすがにマスタードケーキはやだよ。
「私、今まで冴に与えて貰ってばかりだったので・・・。今日くらいは冴に喜んで貰いたかったんです。私が何かあげたかったんです。冴を笑顔にしたかった・・・」
ガックリと項垂れた千笑さんは叱られた子供のようにシュンと肩を落としている。もう少しその姿を見ていたいような、もう1秒だって悲しんで欲しくないような、複雑な気持ちだった。
「千笑さん・・・オレ、嬉しいけど?」
無言のまま不満そうな顔で見つめ返してくる。
「千笑さんが、一生懸命頑張ってくれた・・・。それって、すごく嬉しいよ?」
僅かな余裕を見せて優しく微笑む。
「それにオレ、バレンタインにチョコ貰ったのって初めて」
今度は少し照れくさそうに小さく笑う。
作品名:Hello Mr.Valentine. 作家名:映児