ダークネス-紅-
第23回 死都下
翌朝は土曜日で神原女学園も休校だった。
家で死んだように眠る紅葉とは対照的に、つかさは朝早くから遠方に出向いていた。
聖戦の舞台となった――死都東京。
当時の東京は世界一の文明を誇り、他の追随を許さないほどに栄えていた。
しかし、その栄華の夢も悪夢と変わり、たった三日で東京は壊滅した。
首都東京が死都東京と呼ばれるようになったのは数十年も昔のことである。首都は京都に移され、東京の復興作業も順調に進んでいた――死都街と呼ばれる地域以外は。
狂気を孕み、魔導汚染の深刻な地域。立ち入り禁止区域に指定され、なんども行政による立ち退きが実施されたが、住民たちは断固として立ち退こうとはしなかった。
死人街を出る者も多ければ、呼ばれる者も多い。
つかさの訪れたそこは一見しただけでは、ただの住宅街と変わらなかった。東京の中でも復興に成功した地域だ。
築何年とも知れぬ古い木造二階建てのアパートを道路からつかさは眺めていた。
金属の階段を鳴らし、つかさはアパートの二階へと上がった。
つかさは角部屋のドアをノックしようとして、止めて隣の202号室のドアをノックした。
ドアの隙間から顔を覗かせたのは無精髭を生やしている中年男だった。
「なんだ?」
「三年くらい前からこの部屋に住んでる?」
「はァ?」
と、男はぼさぼさの髪の毛を掻いてフケを落とした。部屋の奥からは異臭が漂ってきている。
つかさは気にしたふうもなく、隣の201号室を指差して尋ねた。
「三年くらい前に草薙早苗っていう女が住んでたと思うんだけど?」
「誰だそれ?」
「こういう女」
つかさはポケットから一枚のデジタル写真を取り出した。そこに写っている草薙早苗の顔を見て、男は『う〜ん』と唸ってしまった。
「見たことあるような、ないような……三年前だろ?」
「だいたい三年」
「兄弟が住んでたような……年の離れた兄貴と、弟だか妹だか、ちっこいガキだったから覚えてないな。俺そんな外出ないしな、隣に誰が住んでんだか知らないだよな」
「そう……ありがとね」
つかさが玄関のドアを閉めようとしたのを男が止めた。
「おい、ちょっと俺んちに寄っていかないか?」
つかさを舐めるように見ている男の眼前にパンチが迫り、鼻すれすれで止められた。
「部屋に詰め込みたきゃ、力ずくでどーぞ」
にこやかに笑うつかさ。
男は冷や汗を流して、たじろぎながら後退ったが、それでも粘り強くつかさを物にしようとした。
「一万でどうだ」
呆れた顔をするつかさに男は続ける。
「五万出すから、ちょっと写真を撮るだけでもいいからさぁ」
「写真なんか撮られたらネットにばら撒かれるのがオチ」
つかさは玄関をバタンと閉めた。そのドアの向こうで、『うぎゃ』と虫を潰したような声がした。きっと鼻でもぶつけたのだろう。
他の部屋で訊き込みをしようとつかさがしていると、音を鳴らしながら老夫が階段を上がってきた。
「ちょっと、話を訊きたいんだけど」
「ん?」
老夫は首を傾げて階段を上りきったところで足を止めた。
「なんの用だ?」
少し険のある物言いだったが、つかさはにこやかに201号室を指して尋ねる。
「三年くらい前に、この部屋にこの女が住んでたんだけど知ってる?」
写真を見せると、老夫は深く頷いた。
「わしはこのアパートの?ぬし?だ、知らないことはない。草薙早苗という女だな」
「それそれ、さっすがアパートのヌッシー」
「ヌッシーではない、主だ」
「どっちも珍獣でしょ?」
意味ありげに笑うつかさに老夫は柔和に微笑んだ。
「わかるか?」
「帝都から来たからわかるよ」
「そうか帝都か。噂には聞くがわしのようなモノがうようよしておるのか?」
「近い存在はたくさんいるけど、お爺さんは全然別格。そこらの奴らとは格が違うもん」
「嬉しいことを言ってくれる」
「その嬉しいついでに、草薙早苗について教えて」
「いいだろう」
最初は険のある物腰だった老夫は、いつの間にか柔和な顔つきになって話しはじめていた。
「草薙早苗は二人の子連れだった。年の離れた兄弟で血は繋がっていなかったようだ。母親の早苗はいい母親とは言えず、毎晩のようにどこかで遊び歩いていたようだな」
「その兄弟の名前は?」
「名前か……名前は……忘れた」
「老朽化が進んでる建物を直した方がいいと思うなぁ」
「失礼なこと抜かすでない。もうなにも話してやらん」
怒った老夫が廊下を歩くと、アパート全体がみしみしと音を立てて揺れた。
「お爺さん、ごめんってば」
つかさが謝ると、老夫は玄関のノブに手をかけながら顔を向けた。
「ひとつだけ教えてやろう」
「ありがとうございます」
「兄弟は母親を刺して殺して逃げた。実際には母親は一命を取り留めたがな」
「どうして刺したの?」
「教えてやらん」
老夫は3と4の間の部屋のドアを開けて消えてしまった。後を追おうにも、203と204の間には最初から部屋など存在していない。
「?主?があれじゃあ他の住人に訊いて回っても疲れるだけっぽい」
つかさは呟いてこのアパートを後にすることにした。
続いてつかさが訪れたのは死都街だった。
倒壊したビルの瓦礫が山を形成し、聖戦の悲惨さを物語る景色が広がっている。死人街の中ではマシなほうだ。亡霊が跋扈する程度だろう。
死人街の中でも酷い場所になると、異形のモノが跋扈し、瘴気を噴出す底なしの沼地が広がり、空は常に黒雲に覆われ黒い雨が降る。
つかさはテント暮らしをする集落を訪れ、そこにいた住人に写真を見せた。
「この子が二年前くらいまでここで暮らしてたと思うんだけど?」
つかさが見せた写真は最近の雅が写ったものだった。
ボロを着た男はひょいと写真を摘み上げ、そこに写った雅をまじまじと見た。
「雅だろ。どーしょーもねえ兄貴とここで暮らしてた」
「どのあたりがどーしょーもないの?」
「乱暴者だったんだよ。それによ、妹とよろしくやってたんだ」
「よろしくやってた?」
「妹を犯してたみたいだぜ」
血の繋がった実の妹ではないらしいが、本当に男女間の関係を持っていたのかは、他人ではなく二人に直接尋ねてみるしかわからない。
つかさは男から写真を奪い取って返してもらい尋ねる。
「他には?」
「あいつらここを出て行く前に問題を起こしたんだ」
「どんな?」
「殺人だよ、殺人。死人街でも殺人はご法度だ。まあ、先に手を出したのは相手だったんだがな。妹が男に犯されそうになって相手を殺したらしいぜ」
「それでこの集落を出たと……」
草薙家の足取りを辿りながら、母と兄と妹の関係が掴めてきたが、それでも腑に落ちない疑問がある。
最初に尋ねたアパートで早苗は二人の子供と暮らしていた。この二人をつかさは雅とその兄だと確信している。そして、兄弟の足取りを追って来たのがここだった。やはりここに住んでいたのは雅だった。
早苗、雅、兄の三人がどのような血の繋がりを持っているか、それはまだ定かではないが、一様の親子関係にあることは確からしい。
最大の疑問。
マドウ区のマルバス魔法病院で紫苑が遭遇した早苗は何者か?
作品名:ダークネス-紅- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)