眠れない夜を越えて
夕方、こっそり家を出た。
途中のスーパーでキャットフードを買って、早足で公園に向かった。
公園に着くと、黒い子猫が一番に出て来てくれる。
「私のこと覚えてるの?」
子猫と一緒に歩いてベンチに座る。
一緒に買った紙皿を並べてキャットフードを入れていくと、少しずつ猫たちが集まり始めた。
一心不乱に食べている猫たちを眺めていると、ある一匹の耳がピクッと動いた。
それは次々と広がってやがて猫たちは食べるのをやめてしまった。
「どうしたの…?」
かすかに足音が聞こえる。
音の方を見ると寺島茂がいた。
「こんばんは」
高すぎず低すぎず、優しい声で寺島は挨拶してきた。
いつもの黒いトレンチコートの下に細かいストライプのスーツを着ている。
「…今晩は」
「にゃああ~」
私の気を知らずに、次々と猫たちが寺島に向かって歩き出す。
数分後には、猫に囲まれた寺島と一人ぼっちの私という奇妙な構図が出来た。
「ずいぶん懐いてるのね」
「長い付き合いだから」
「・・・そう」
「・・・晩ご飯の途中みたいだね」
私の足元に散らばったキャットフードに目線をやる。
「キャットフードよりあなたの方がいいみたい」
「お腹が空いてても僕の方に来てしまう理由があるんだ」
「・・・」
「そっちに行ってもいいかな?」
「どうして?」
「この子達がお腹いっぱい食べる為に」
私はベンチの背もたれの後ろに移動した。
「ありがとう」
意味不明にお礼を行って、纏わり付く猫たちを踏まないように、ゆっくり寺島が公園の中心までやってくる。
猫たちはキャットフードを目の前にすると、寺島への興味は薄れ、食べる欲に戻った。
寺島がゆっくり私の方へ近づいて来る。
私は大袈裟に一歩下がり、拒絶を示した。
寺島は表情を変えずに、もともとそのつもりだったのか、背を向けてベンチの端に座る。
「・・・初めて眠れなくなった日を覚えてる?」
反応するのに、たっぷり時間がかかった。
はじめて眠れなくなった日?
「・・・覚えてないわ。私、世間話をしにきたんじゃないんだけど?」
「そうだね。悪かった。・・・僕は覚えてるよ」
寺島がゆっくり立ち上がる。
「知紗ちゃんが初めて眠れなくなった日を」
「・・・」
寺島は猫たちを避けて、向かいのベンチへ移動すると座った。
「想像だけど、だいたいわかる」
「なにを言ってるの?」
「きっかけがわかれば、きっと明日からは眠れる」
「そんな簡単に言わないで。私これ以上あなたと話をするつもりはないの」
「そうだね」
私はベンチの前に移動した。
「別れを言われる前に、最後に昔話をしてもいいかな・・・」
手の届かない遠くから、控え目に提案されては断れなかった。
私の心には、拒絶しきれない焦りのようなものが、もやもや渦巻いていた。
私の沈黙を肯定ととって、寺島が曖昧な話を始める。
作品名:眠れない夜を越えて 作家名:ゆまり