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篠原 求婚1

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ようやく、自宅療養に切り替えて貰えた。とはいうものの、入院一ヶ月は、さすがに堪えてしまい、体力がガタ落ちした。また、一からやり直しか・・・と、ため息を吐いて庭へ出る。
 せっかく、職場復帰して順調に復調していたのに、いきなりのアクシデントで、元の木
阿弥になってしまった。悔しいより、自分の関係者に迷惑をかけたのが申し訳ない。よう
やく、仕事のリズムも掴めていたのに、それもやり直しだ。
 謝ったところで、どうなるものでもないし、とりあえず、回復するのが先決ではある。
「退院おめでとう。」
 背後から声がした。ああ、雪乃か、と、安堵する。どうしても、仕事の都合で退院には
付き添えないと言われていた。ちょうど、欧州への出張と重なっていたからだ。
「そちらこそお疲れ様。」
 振り向いたら、制服姿のままの彼女がいた。そのまま、こちらへ直行してきたらしい。
「そんな無理しなくてもよかったのに。」
「顔が見たかったから。」
「まあ、散歩する程度は問題なしって、言われたよ。外出は禁止されたけどね。」
「ええ、先生から連絡は頂いたわ。欲しいものがあれば用意するわよ? 」
 そう言われたところで、しばらくは新聞雑誌の類は読書も禁止だ。別に趣味で読んでい
る最新科学雑誌まで閉め出さなくていいと思うのだが、仕事と見なされているらしい。だ
から、これといって、欲しいと思うものはない。
「じゃあ、絵本でも差し入れして。」
「絵本? 」
「そう、絵本なら先生も文句は言わないだろ? 」
 ちょっとぶっきらぼうに、そう言ったら笑われた。そして、「『みんな、幸せに暮らし
ました。』というラストのものを用意するわね。」と、彼女も言う。なぜだか、唐突に、
ある絵本が頭に浮かんだ。なんの脈絡もない。ただ、光の泡になって消えていく悲しい話
だった。酬われぬ想いというものが題材だった。
「『人魚姫』じゃないんだね? 」
「え? 」
「どうしてだろう。『人魚姫』の話を思い出したんだ。・・・おかしいな、まだ、古いこ
とは思い出せていないはずなのに・・・・」
 記憶障害があって、過去十年までは、はっきりとしているが、それ以上の過去について
は思い出せないでいる。たぶん、そんな絵本を読んだとしたら、小さな頃だと思うのに。
「あれは、お勧めしないわね。泣きたいなら、『白い馬』を薦めるわ。」
「別に泣きたいわけじゃないよ。・・ただ、なんとなく・・・なんだろう・・・」
 頭のどこかで、ひっかかっている。それが、何であるかはわからない。
「きみは知らないの? 雪乃。僕が、どうして、『人魚姫』なんてものを思い出したのか
・・・」
 大概のことは、自分よりも彼女のほうが詳しい。思い出せない十年以上過去のことも、
誰よりも詳しく覚えているのは彼女だからだ。ちょっと困ったように、彼女は首を横に振
る。過去に対する認識が壊れてしまうから、と、彼女は、自分から過去の話はしない。
「ごめんなさい。」
 たぶん、知っている。だが、あまり良い思い出ではないのだろう。
 振り向いて、そっと、彼女の肩に顔を隠した。身長差が、ほとんどない。だから、ぴっ
たりと、その肩に馴染むように、頭を置いて目を閉じる。

 恋人ではない。妻でもない。血の繋がりは遠い。ただの同居人でもない。

 記憶がはっきりしない時に、「あなたは恋人? 」と、尋ねたら、否定された。だが、
この馴染む身体は、そんな関係だと思われる。しかし、自分の心も否定する。傍らに在り
続けても、けっして、それ以上に重なってはいけないと、自分の心が戒める。
 不思議な人だ。でも、離れることも、これ以上に近寄ることもできない相手。いっそ、
全部、この戒める自分の心すら忘れてしまえたら、いいのに。
「どうしたの? どこか苦しい? 」
 黙り込んだ僕に、彼女は声をかけてくる。背中に回っている手が、ゆるゆるとさするよ
うに動く。
「・・・なんでもない・・・」
 何か切ない気持ちで、彼女の背中に手を廻した。これ以上に、深く交わることはできな
いけれど、どうしても、この温もりから離れられない。



 「『人魚姫』にはならないよ。」
 あの時、そう伝えられた言葉に、ずっと縋り付いている。少しの期待を残してくれたの
だろう、と、今は思う。たぶん、期待だけ残して、最後まで、そのままのつもりだとも気
付いている。
 だから、あの後、「ここでの生を費えたら、残りは私にちょうだい。」 と、頼んだ。
たぶん、彼は知らない。その残りのほうが長くなることを。だから、彼は笑って、「好き
にしていい。」 と、承諾した。
 ずっと待っている。今すぐに終わらせてやろう、と、暴れる気持ちを必死に抑え、彼が
静かに眠る日が来ることを、待っている。



 少し疲れた、と、彼は寝室へ引き上げた。まだ少し顔色は悪いから、長く起きているの
は辛いのだろう。彼の仮の母親が、「一服して。」 と、声をかけてくれた。
「本当は、まだ少し早かったのだけど、精神的には、こちらのほうが落ち着くだろうって
、ことで退院したから。」
「ええ、先生から、そう聞いております。お手間をおかけして申し訳ありません。」
 本当は、親でもなんでもない相手だ。ただ、記憶障害の折りに、彼が両親と間違えてか
ら、そのまま、親代わりをしてくれている。
「いいのよ、気にしないでね。私たちは、あの子を息子だと思っているから。・・・あの
、小林さん、ひとつだけ尋ねたいことがあるの。いいかしら? 」
「はい。」
 彼の仮の母親は、そこで少し沈黙した。金銭的なことだろうか、と、思ったが、とりあ
えず、相手の出方を待った。
「私たち夫婦の意見として、まずは聞いてね。・・・一年以上、あの子の世話をしてきて
、正直な感想なんだけど、あの子は、誰かに支えられないと立っていられないと思うのよ
。それも、ただ、支えてくれるというだけではなくて、あの子が安心して寄りかかれる相
手というのは、あなただけなんだろうとも思うの。・・・・あの子、何があっても、あな
たがいれば落ち着いていられるわ。あなたが傍にいれば、何があっても崩れたりしない。
今は、まだ精神的に弱っているから、私たちでも支えられる部分はあるけれど、元気にな
ったら・・・私たちでは無理だと思います。」
 看病して世話して、それでも、最終的に、どうしてやることもできなかったことがある
。それなのに、彼女が現れたら、それだけで病状も精神的にも安定した。別に、何か特別
なことをしたわけではない。姿が、そこにあるだけで、息子は、錯乱状態から脱した。ま
るで、一対だと評したくなるほど、ふたりに漂う空気は、穏やかだった。
「・・・小林さんが、もし、イヤではないのなら、義行と結婚してくださるつもりはない
のかしら? それとも、そういうつもりで、ずっと傍にいらっしゃるなら、どうか、早急
に結婚していただけませんか?・・・・たぶん、そうすれば、あの子は、もう少し精神的
にも落ち着くだろうし、今の関係よりも確固とした関係に安心すると思うの。」
「・・え・・・あの・・・」
「あなたは、義行と結婚することに異議なんてないわよね? 」
作品名:篠原 求婚1 作家名:篠義