篠原 風花
体のいい理由で、若旦那は目を閉じる。どういうつもりか、誰が、どう薦めても、首を縦に振らない。今のところは、後悔ばかりで、先のことが考えられないと、言う。いつか、綺麗な思い出だけになったら、それを実行するのだろうか。
話し相手がなくなったので、居間へ戻ったら、こちらも、のんびりとテレビを見ている。見慣れたはずだが、やっぱり美人だとは思う。
「すぐに眠ったでしょ? 」
「ああ、即効だった。俺、帰るよ。」
「別にいいわよ。ふたりだと、篠原君の気が抜けすぎて、眠ってばかりなの。だから、適度に喝を入れていただくほうがいいわ。」
「でも邪魔だろ? 」
「邪魔には違いないけど、でも、このまま帰すと、篠原君が怒るから。」
「なあ、雪乃。あのさ、いっそのこと、勝手に書類申請するとか、どうよ? 」
以前、実は、この女が欲しいと思った。だが、どれほど真摯に、この女が、後輩を好きであるのか、わかってから、そんな気は霧散した。自分には、そこまで、できないと、わかったからだ。だから、今は、ふたりが役柄を正しいものへ変えることを願うばかりだ。
「それ、詐欺罪。」
「そうか? 事実婚には違いないんだぞ。あいつ、やったところで、何も言わないと思う。」
「事実婚でもないわよ。勘違いしてるみたいだから、説明するけどね、橘さん。同じベッドで眠るって、そういう意味は含んでないから。以前から、具合が悪い時は、そうしていたから、篠原君にとっては、当たり前のことなの。」
困ったように、首を傾げて、女は、こちらを見ている。あからさまな言葉過ぎて、反応が遅れた。確かに、子どもの頃から一緒に暮らしている相手だ。だが、それでも・・・。
「え? それはないだろう。あいつだって、成人した大人なんだし。そういう気が・・」
「無理でしょ? 具合が悪いから、一緒に寝ているのよ。その状態で、発情してくれるなんて、ありません。」
「・・・発情とか言うなよ・・・」
「でも、そういうことよ。実家でも、散々に勧められて、辟易しているみたいだから、もう言わないであげてね。・・・たぶん、そういう気はないんだから。」
「それでいいの? 」
微妙なとこだけど、今のところはね、と、女のほうは気にしていないように笑う。そこまで言われてしまうと、勧めようがない。
「今は、まだね。そのうちに、押し倒してみようか、とは思っているから。そういう時は、遠慮しないつもり。」
「うん、押し倒したほうが、話は早いんだろうな。でも、あいつなら、『どうしたの?』とかいう天然ボケ攻撃で迎撃しそうだよ。」
「くくくく・・・本当にね。媚薬とか使ってみようかしら? 」
「おいおい、雪乃。それこそ、犯罪。」
「うーん、証明できないでしょ? 傷害罪になるほどの無茶はしないだろうし。」
「冗談に聞こえない。」
「本気が八割かな。」
「まあ、優しくしてやってくれ。・・あ・・・まただ。明日は、降るのかもしんないな。」
ふと、窓の外を眺めたら、また陽光の中に、きらきらと雪が舞っていた。ふわりと、対面の女は立ち上がり、「毛布を追加してくるわ。」 と、部屋を出て行った。いつか、ただ眠るためではないことが、あればいいと思う。セピア色の思い出が、後輩の記憶に出来上がる頃に、そうなって欲しいとは願っている。