ふしぎにっき
2.空家
その年の夏、僕と友人のMは長崎県のある離島に来ていた。
観光名所と観光名所はなく、島民以外にその島を訪れるのは釣り人くらいらしい。
僕もMもその島の島民ではない。釣りもしない。
何故僕らがその島を訪れたかというと、その島周辺にしか生息していない、夏場にしか咲かないある花を撮影するためであった。
基本的に活動は夜に行われ、昼間は民宿で寝たり、島の中を散策したりして過ごした。
奇怪なことが起こったのは二日目の昼時だった。
長崎の強烈な日差しと気温が軽く35℃を超える蒸し暑い中、僕らはガンガンにクーラーを効かせた車で島を巡っていた。
その道中、低い山の麓に僕らはヤバイものを見つけた。
Mが「ヤバイ。いい雰囲気出てる」と言い、僕も「あれはヤバイな」と誰に言うわけでもなく本能が察知したままの素直な感想を述べた。ちなみに前者が肯定的なヤバイで、後者が否定的なヤバイだ。
そのヤバイものとは、一軒の空き家だ。
街中にあるよな小奇麗なな空家ではない。
僕らの前に現れたのは、窓という窓に板が打ちつけられ、今にも朽ち果ててしまいそうな木造の平屋であった。お札こそ貼られていなかったが、見ているこちらの背筋が寒くなる、これぞ幽霊屋敷にふさわしい佇まいに、Mは素早くカメラを向けていた。
「ヤバイ。超怖いな」
全く怖がっていない明るい口調で言いながら、車から飛び出して、空き家と思われる敷地内に入っていった。
僕もレンタカーにしっかりロックをしてMを追った。
好き放題に生い茂る雑草を掻き分け、壁伝いにぐるぐると空家の周りを行き来した。
「建物だけは絶対呪怨超えてる」
「離島の空家、最高」
口々に空き家を褒め称えながら、Mは僕の横で趣味で使う用のデジタルカメラのシャッターを押しまくっていた。
僕はどこか中に入れる場所はないか探していたが、窓には板が貼り付けられ、玄関も備え付けの鍵とは別に鎖で封鎖されていてとても中に入れそうになかった。
もし入れる場所があったら迷わず僕とMは入っていたと思う。
僕らはホラー映画において好奇心丸出し警戒心ゼロで真っ先に怨霊の餌食になる死亡フラグ立ちまくりタイプだった。
そして僕らは入れないとわかってあっさりと諦めるタイプでもなかった。
無理やり中に入ろうとはしなかったが、創作意欲をくすぐる建物の前に居座って、ハイテンションでこの空き家を使ったシナリオを話し合った。
「ブレア・ウィッチみたいに二人がこの空き家に泊まって、一人が消えて、残された一人は怪奇現象に怯え続け、最後発狂なんてどうだ」
「空家はこのまま入れない状態で、何か怪物を閉じ込めておく箱という呪術的な装置で、ある日その封印が解けて、島の住人が次々に呪い殺されていく……いい」
通りかかる人は一人もいなかったが、傍から見たら空家よりも異常なテンションの僕らの方が怖かったことだろう。
しかし、思いっきり羽目を外してはしゃぐ僕らの会話を断ち切るように、下から地面全体を突き上げるような衝撃が走った。
その頃はまだ福岡西方沖地震が記憶に新しく、瞬時に脳裏に地震という単語が浮かんだ。僕は体を低く伏せ、人差し指と中指で目を覆い、親指で耳の穴を塞ぎ、揺れが収まるのを待った。
揺れが収まり、顔から両手を離して、Mを見た。
「今のは震度4以上はあった」
僕が言って、それまで茫然自失していたMの顔が引き締まる。
「ひとまず建物の側からは離れた方がいい」
かつて阪神淡路大震災を経験したMの指示に従い、草むらを抜けて、車に退避した。
民宿に被害がないか。道がどこかで寸断したりしていないか。帰りの船は出るのか。連絡は取れるのか。
できるだけ危なくない程度に飛ばして民宿の駐車場に戻った僕らの目に飛び込んできたのは、倒壊した家屋や泣き惑う人々ではなく、楽しそうに海水浴をする子ども達の姿であった。
ここで何かがおかしいことに僕らは気づく。
平静を装いつつ、それとなく民宿の人に「さっき地震ありましたよね?」と尋ねてみたけれど、返ってきたのは「ずっと家の中にいたけど地震なんてなかったよ」という至極元気な声だった。
さらにテレビの前で一時間ほど粘ってみたが、どんなに待っても地震速報のテロップは流れなかった。