第九回東山文学賞最終選考会(3)
「ああ、大丈夫ですよ。文学賞ってのは大抵選考員の先生のお弟子さんとか、社で面倒見てる人とかで回してますしね。まぁ最後に決めるのはこの」と言いながら冊子を指先でとんとんと叩く「最終選考会なんですけどね。」
「というと、選考員同士のやりあいみたいになるのかな。」
「その時のメンバーとかによるんですよ。そうなる時もありますし、厳選に文学的質を討論する事もありますし、ひどいときには既に受賞者が決まってたりしますね。今回は、多分、厳選な討論になると思います。この賞は例年、厳選な討論なんですよ。最初の時に特にその点、力入れたみたいで。メンバーも結構気を使ってますしね。」
まず、寺西という学生の顔が浮かぶ。それから岬さんと続いて、最後に東山群次のそれ。
僕はあまり社会的な優等生ではない。ほとんどの場合、自分の主張を丁寧に強調することで困難な状況を切り抜けてきた。主張には常に自信があった。もちろん間違っていたと後から思う事もあったが、その時々までの文学に対する学術上の研究から十分な根拠を持っていた。
これは単にこう思う、という原型に近い感情を吐露するのとは意味合いが違う。その先には感情的な対立では無く、言葉の持つ論理を共有した空間でのやりとりがある。
だから、こういう気質は、例えば数多の作品の評価をし、便宜的に優劣を決めたりする会議には相応しいのでは無いだろうか。
「いいでしょう。」
再び、冊子を手に取って言ってから、またそれを机に戻した。
「やりましょう。」
途端、一目で分かる程、彼の顔が輝いた。
「本当ですか?いやぁ、助かりますよ、先生、本当に助かります。」
明らかに感情を露にした言葉でそう言うと、身を乗り出すようにしながら手を差し出してきて、戸惑っている僕がおずおずと出した手をしっかりと握りそれを勢いよく上下に振った。
まさかこんなに歓迎されるとは思っていなかったので、驚いた。だから、僕は小さく、いやいや、と答えるのが精一杯だった。
それから詳しい日程とかはまた後で連絡しますね、という言葉と、ここは払いますよ、という言葉とを残し、会計を済ませてくれた上機嫌な彼に見送られて帰途に付いた。僕は少し混乱していたので、とりあえず言われるがままに対応していた。
部屋に戻ると、電気を付け、シャワーを浴びてから珈琲を淹れた。そしてそれを飲みながら、少しさっきのやりとりを思い出していた。
東山文学賞は九年程前に設立された新人向けの文学賞だ。
そして、新人向けの文学賞という事は、当然、作家を志望する人間のその素質の有無を判断するという事だ。言い換えれば、彼ら、あるいは彼女らの行き先を少なからず左右するという事になる。もちろん、天が微笑むのならば何もこの文学賞での受賞だけで作家人生が決まるわけでは無いだろうが、近年の例では登竜門のように新人向け文学賞の受賞者の中からその先活躍する人間が出てきている。
出版業界という構造がほぼ定まっている良い証拠だと言えた。
いつの世でも、それこそ源氏物語の時代においても、その文学が成立し他人の目に触れる為には何かしらの構造が必要だった。だからこそ、文学を研究するということはその構造をも研究する事を意味したし、その研究からは少なからず社会の影響を読み取ることが出来た。
その文脈からすれば、東山文学賞は、近代経済の構造の内に読み解くことが出来たし、そこは消費という単語が付いて回る世界である事に違いは無かった。
学生達を思い浮かべる。彼らは東山群次の作品を読んで一体何を思うだろうか。ここ数年ではその名前さえ知らない学生も多い。
その代わりとばかりに、彼らは他の作家の名前を、かつて東山群次と言われた部分に当て嵌めて会話をしたり論文を書いたりする。そうやって、構造に突き進む人間は「構造に突き進む人間」を内包した構造へと消費されて行く。
そんな状況の中で僕はしっかりと東山群次の意志を次いだ作家を見出す事が出来るのだろうか。
などと思い悩んだりもしてみるが、結局やることは一緒だ。
作品を一字一句読み解いていく。
そして、自分の知識、経験、文学論と照らし合わせていく。その上で言及すべき事があれば言及する。その言及した内容を検討する。
その主張が、他の選考員にどう響くか観察する。同じように他の人の主張に耳を傾け、自分の主張を考察し直す。
最後に、皆でどれが一番かを決める。
ただ、それだけの話だ。
少なくとも、折原君から聞いた話から僕が想像出来るのはこういう事だった。
机に目を落とすと狂雲集とその間に挟まっている栞とが見える。その栞は僕が学生時代に恩師から賜った物で、大切な仕事の際に使うようにしている。栞は一つしかない。だから常に一冊にしか使えない。
それが今迄の僕の仕事のやり方だったし、それはこれからも変わる事は無いだろう。
作品名:第九回東山文学賞最終選考会(3) 作家名:ボンベイサファイア