ひとつの桜の花ひとつ
握り締めて
夕子が、運よく座れた各駅停車の電車で良いって言ったから急行電車に乗り換えずに新宿までゆっくり時間をかけて、また、そこから目白の駅まで山の手線に乗り換えてたどり着いた時には10時を過ぎていた。
「さ、バスに乗ろうか・・」
駅舎を出て、目白通りの歩道の前で直美が口にしていた。ここからバスで5分もかからないところに、これから行く直美の大学があった。小中高と大学の一貫教育の女子大で、直美は洗礼を受けてはいなかったけど、元はクリスチャンの先生が開いた古い学校のはずだった。
「歩いて行きませんか、この坂道好きなんです、わたし・・いいですか・・」
「いいけど、平気なの、いそがなくっても・・」
「寒かったら、直美さんと柏倉さんには、ごめんなさい、ですけど・・」
「平気よ、わたしもたまに歩く道だし・・でも、10分以上かかっちゃうかもよ・・劉も、平気だよね・・」
「うん、いいよー ゆっくり歩こうか」
女子大だったから、直美の大学にはそんなに行った事はなかったけど、2回ほど歩いたことがあった。大きな道だったから静かではなかったけど、両側の並木が素敵な道だった。
「青信号になったよ、渡っていこうか、夕子ちゃん・・」
「はぃ」
直美の声に元気な声で返事をした夕子に続いて歩道を渡って、右に歩き出した。直美と夕子が並んで歩く後姿を眺めながら、帰りもにっこり3人でって願っていた。
「直美さん、これって、手編みですよねー 柏倉さんにも一緒に編んだんですか、高校生の時に・・」
首に巻いたマフラーを手にして夕子がだった。
「マフラー編んであげるから色決めてって言ったら、マフラーはダメって、劉がしつこく言ったんだよね、高校2年生の時ね」
「恥ずかしかったんですかね、きっと・・」
「うーん、でね、マフラーじゃなくて手袋を編んでって言うんだよ、変でしょ」
「へぇー なんで手袋なら良かったんですかね・・」
「聞いてみれば・・後ろの人に・・」
黙って聞いていたら、いきなりこっちに話がまわってきていた。
「なんでですか・・・柏倉さん」
くるりと振り返った夕子に言われていた。
「うーん、直美、それってさ、なんでその話を俺に振るかな・・」
「わたしは、平気だからいいよー 言ってあげて・・」
あんまり 話したくない事の思い出だった。
「なんか、わけありそうで・・聞きたいなぁー」
「わけありよー」
夕子もうれしそうだったけど、直美がうれしそうなのには、少しまいっていた。
「それ、俺パス・・直美が言いなよ・・」
「劉が自分で説明しなしさいよー 」
「ヤダ・・」
「もう・・」
少し怒った顔をしたら、直美に呆れられていた。
「いいですよ、やっぱり聞かなくっても・・」
心配して夕子がだった。
「大丈夫よ、恥ずかしがってるだけで、怒ってはいないから・・ねっ、劉・・」
「はぃはぃ」
つくり笑いだった。
「あのね、高校2年生の11月に終わりごろにね、劉ったら、1年生の女の子からマフラーもらっちゃったのよ・・もちろんラブレター付きでね」
「へぇー 柏倉さんが直美さんと付きあってるのって知っててですかねぇ」
「それは、知らなかったみたいなのよね、不思議なんだけどね、でも正式に付き合いだして間がなかったのは事実だけどね」
「ふーん」
「それでね、わたしにはもちろん内緒で劉は返事書いて断ったらしいのね・・マフラーも返して・・」
「はぃ、それが・・」
「だから、一月もしない間にわたしが編んだ手編みのマフラーなんか首にしてたら、その子に悪いって・・言ったのよ、この人・・そんなの見たらその子が傷付くだろうって・・」
「うーん」
「マフラーじゃなくて、手袋って言った時になんか言い方が変だったからさ、どうしてマフラーじゃだめなのって何回も聞いたら、ちっちゃな声であっちの方むいて、今、言った本当の理由しゃべってた、劉って」
「そんな事あったんだ・・でも、直美さんだっていろいろ、あったでしょ・・」
「そりゃ、そうよー ないわけないじゃない・・」
笑って、最後には俺のほうも向いて、 ねっー って顔して直美は笑っていた。
「で、手袋は編んであげたんですか・・」
「マフラー編んじゃった」
「えっ・・」
ものすごく、不思議そうな夕子だった。
「聞いた次の日に彼女のところに会いに行ってね、劉がわたしと話したことを全部そのまま隠さずに話しちゃった・・で、お終い・・」
「うわぁー」
「だってさ、同じ学校でまだ、顔合わせなきゃいけないのに、話聞いちゃったのに知らないフリってイヤだったんだもん・・それから、ありがとうっても言っちゃった、変だけど・・でも、わかってくれたみたいだった、その後は仲良く話もできたかわいい後輩だったし、劉に怒られるかと思ったけど、彼女と話したことを放課後の部活の帰りに報告したら、逆にこの人、ごめんねってわたしに謝ってた、初めてこの人に謝られてた」
「直美さんも、柏倉さんも、うまく言えないけど、そんなとこ大好きです・・高校生の時の2人を見たかったなぁって・・」
直美も俺も返事はしなかった。人に話すような話ではほんとうは無いってことを、直美も俺も知っていたことだった。
「さ、ここ左で正門だよ・・」
「はぃ、知ってます」
もう、時間は10時半だったから、発表を見て学校から帰ってくる人も、さっきから歩きながらすれ違っていた。夕子もそれには気づいていたはずだった。
「大丈夫、夕子ちゃん・・」
「はぃ」
しっかりした返事だったけど、やっぱり、さっきまでの顔とは全然違った表情になっていた。
「受験番号って何番なの・・」
気になって聞けなかったことを直美が、初めて口にしていた。
「238番です・・」
「うん、238番ね・・劉も覚えた・・238番だからね・・」
直美の顔も、違っていたし、番号を聞いた俺の顔もそうなんだろうなぁーって考えていた。
「238番ね、大丈夫、覚えた、たぶん、うん、直美、238ね」
「大丈夫なの・・劉・・番号間違えないでよね」
「うん、238番ね、3人一緒に見るんだよね・・掲示板・・」
「そうよー あわてないで、しっかりだよ、劉」
「うん、あわてないだね・・」
「3回ぐらい、きちんと見てからだからね・・」
何回も直美に言い聞かされていた。
「すいません」
黙って聞いていた夕子はその言葉を口にして、首にまかれた直美のマフラーの端をしっかりと握っていた。
直美も俺もその手の思いが痛いほどわかっていた。
小さな手が固くだった。
作品名:ひとつの桜の花ひとつ 作家名:森脇劉生