黒猫の恩返し
黒帝の恩返しの期限は母が帰ってくるまでの三週間のはずだ。詳しいことは何も決めてないが、もしかすると、その期限は今日までだったりするのだろうか。
まさかと思って立ち上がって迎えに行きもせず座ったままでいると、襖の戸が開いて、猫姿の黒帝が顔を覗かせた。
「何だこれは?」
そういいたくなるのも無理は無い。段ボールの箱は、軽く十をいく。だが私はそれどころじゃなかった。
「……黒さんって、いつ帰るの?」
「契約の話か?」
「うん。」
突然だな。と呟きつつも、黒帝は段ボールの隙間を歩き、私の前まで来た。
「我とお前の契約もとい恩返しの内容は、『住み込みでこの家の掃除をすること』だ。これはお前に対する恩返しなのだから、もういいといわれるまで恩を返し続ける。くるいが死ぬまでな。つまり、我がいつ帰るかは、くるい次第だ。」
……なにぃ!?
「そうなの。」
「そうだ。だいたい最初から期限など決まってなかっただろう。」
そういえば、私はどうせ一人だし一緒に掃除やってよ、みたいなことを言ってたような気がする。
なーんだ。そうか。
「んふふふふふふ。」
突然笑い出した私に驚いて、黒帝が飛び退いた。
そうか、黒帝はまだ行かないのか。そうか。
何故か無性におかしくて、笑いが止まらなかった。安心したのだろうか。だとしても、猫一匹いなくなるかならないで、大げさなものだ。
いつも、当たり前のように傍にあったものが突然なくなると、むなしい気分になる。何か切なくなる。
黒帝はそれと同じだ。
少しの間一緒に暮らしていただけで、もうこんな風になってしまったのか。だとしたら、なんて、日常というのは重要なのだろう。
山も谷も無い、毎日同じことだけを繰り返すありふれた日常。人生の大半を埋め尽くすそれは、最もつまらなく、もっとも大切なものなのだ。日常は、人を変える。
幸福を、生み出す。
黒帝は、いつの間にか私の隣に座っていた。少し間が開いているが、それはさっき突然笑い出したことを警戒してのことだろう。
私は手をゆっくり動かして、黒帝の頭をなでた。普段は嫌がってなかなかさせてもらえないのだが、今は何故か好きにさせてくれた。
「ところで、くるい。」
「ん?」
人型のときよりも少し高いテノールの声が、今は暖かく聞こえた。
「今夜のおかずは何だ?」
小さい子供が言うような質問の内容に、私は笑った。
「秋刀魚。」
とても気分がよかったからだろう。思わず、黒帝の好きなものを答えていた。