初恋
「マキちゃーん、いるー?」
「うあ、古賀先輩」
あたしの席は教室の入り口の一番近くだ。
古賀先輩に覗き込まれて、あたしは慌てて立ち上がった。
古賀先輩は、あたしの委員会と部活の先輩だ。典型的な和風美人で、声が鈴みたいでとても可愛い。見かけだけなら、とても年上とは思えないくらいだ。
「聞いた?今日放課後の委員会、ナシだって。急な職員会議入って」
「あ、そうなんですか?わざわざすいません」
「いいえー。洸に会いに来たついでだったんだけど、あれでしょ?」
先輩が指差した先では、相良君が机に突っ伏して爆睡している真っ最中だった。
古賀先輩と相良君が恋人同士だっていうのは、うちのクラスの大抵の人が知っていた。起こしてきましょうか、とあたしが言うと、古賀先輩は笑って首を横に振る。
「ううん、大丈夫。有難う。放課後にまたよるから、それだけ言っておいて?」
「あ、はい、言っておきま……――」
首筋あたりに視線。
言いかけて振り返った。
窓際の席。相良君の机の傍で、他の男子と何か話していた芹沢君が、ふいっと視線を逸らして窓を見た。
「――…………」
「マキちゃん?」
「え、あ、ハイ!」
「どうしたの、いきなりぼーっとしちゃって」
「いえ、別に、なんでもないデス……」
古賀先輩が笑って、あたしは誤魔化し笑いを顔に浮かべて、それから先輩と別れた。
芹沢君は、見ていたことなんかまるで知らない顔で、「ゲッターロボとマジンガーZでは、絶対ゲッターロボの方がかっこいい」と言うようなことを、ムダに熱く拳を握って語っている。
あたしはしばらく芹沢君を見つめてから、それからおずおずと自分の首筋を擦った。
あたしと芹沢君の目がやたら合うようになったのは、この日からのことだった。
教室、廊下、階段、下駄箱。
あたしが視線を感じて振り返ると、そこには必ず芹沢君がいた。
委員会の帰りや、部活の帰りとか、感じる視線の主はいつも、芹沢君だった。
その視線がまた妙な視線で、気持ちが悪いとか、そういう感情はまったくなかった。ただ、その視線に気がつくとあたしは、いつも落ち着かない気分になった。
嫌悪感がまったくない、なんだかうまくいえない、視線。
「……どーにも最近、芹沢君からの視線が痛いんだけど……」
「あ?」
「だから、見られてるの。っていうか、見られてるって言うよりもやたら視線が合うの」
一学期が終わる終業式の日。あたしは思い切って友達にそのことを打ち明けた。
「見てた?」とか、あのときに聞ければよかったのかもしれない。
だけど、そのころのあたしは、彼と話したこともなかったのでなにも聞けなかった。
その頃のあたしにとって、芹沢君はただ話し掛けるのも気が引けるような他人でしかなかったのだ。
仲の良い友達3人は、あたしが言うとそろって目をぱちくりさせて、それから怪訝に眉根を寄せた。
「えー、思い過ごしじゃない?」
「マッキー考えすぎだよ、ソレ」
「だーかーら!気のせいじゃないってば!……ただ、なんかあたしをみてるって言うのとはなんとなーく、違う気がするんだけど……イマイチ確証がもてないって言うか。不思議なんだけどさー」
「何ソレー……あ、じゃあ本人ちょうど居ることだし、直接聞いたら?」
「え゛?」
「芹沢くーん!ちょっと来て―♪」
窓際の相良君の席の傍では、芹沢君が相変わらずバカな話で回りの人たちを笑わせている最中だった。
そんな彼へと、思わず目を丸くしたあたしを尻目に、友達はごくごくあっさり声をかける。
「おー?なになにー?」
芹沢君は顔をこっちに向けて笑った。
それはまぶしいくらいの快活な笑顔で、友達がちょっと来てよ、って言うと、芹沢君は相良君に「ちょっと行ってくる」なんて声をかけ、人の輪から抜け出して、身軽そうに小走りで、机の間を縫ってやってきた。
「ハイハーイ、お呼びに答えてただいま参上!ナニナニ、恋の告白なら手短にネっ♪」
「芹沢くん、最近マキちゃんのこと、見てる?」
やめてお願い、きかないで、と制するあたしを黙らせて、友達がいとも簡単に聞いた。
芹沢君はすこしきょとんとして、それからあたしを見る。
あたしが思わず視線を逸らすと、彼はにっこり笑って机に手を置き、すこし身を乗り出すみたいにしながら、あたしの顔を覗き込んだ。
「……なんで解った?」
「えー、マキちゃんがなんか、やたら視線を感じるってー」
「いやん、マキちゃんたら敏感なのネー」
俯いてなにも答えられないあたしの代りに、友達が答えた。聞いた答えに芹沢君が面白そうに笑って、やおら手を伸ばしてあたしの手を握り締める。
「そーなの、実は俺、マキちゃんにフォーリンラヴでー。バレちまったからには仕方がない。魚住麻紀サン!この際なんで俺とこれから学校サボってラブホにでもー……」
「え、えぇえええ!?」
完全にふざけてるんだとは解ってた。
けどあんまりにも突然だったもので、だから余計混乱してどう受け答えしたものかわからなくて。
「……ほう、そうかそうか、芹沢。教師の前でよくぞ言った」
「へ?」
野太い、担任の教師の声が頭上から降ってきて、これほど助かったと思ったことはない。
芹沢君が振り返った瞬間に教師のゲンコツが芹沢君の頭を直撃して、芹沢君はあたしの手を離して頭を抱えて床にしゃがみ込んだ。
「チャイムはとっくに鳴っとるぞ、バカモン!ふざけるのも好い加減にして、さっさと自分の教室に戻らんか!もう2組は移動はじまってるぞ!」
「げっ!そ、それを早く言ってくれよな先生ーっ!」
教師が仁王立ちで、しゃがみ込んだ芹沢君を見下ろした。
教師の言葉に、芹沢君が慌てて立ち上がって、走って教室を出て行く。
芹沢君が出て行って、すぐ、教師の号令であたしたちも教室を出た。
終業式の間中、やっぱりあの視線が、あたしの首筋あたりをさしていた。