第九回東山文学賞最終選考会(2)
2 編集部は今日も忙しい
仕切られたフロアから電話の音やプリンターの動く音が響く。その後ろを人が歩く音が続いて慌しい。
「竹本さんは?」
スーツの上着をひょい、と拾い上げた女が聞いてくる。
「打ち合わせ中。」
「先行ってるって言っといて。んじゃ、行ってくる。」
「いってらっしゃい。」
送り出しながらネットの記事に目を通す。
「岸本賞、馬場さんだってさ。」
「マジで?」
隣の席の男が身を乗り出してその記事を見る。
「な?言った通りだったろ?」
「ヤベ、ビール持ってかないと。」
慌しく立ち去るその男を見送ると係りの人が郵便の箱を棚の上に置いて行ったので拾いに行き仕分けをする。
「先輩、青山学院からの資料、届いてません?」
宛名に目を通していると男が聞いてきた。
「いいや。」
「嘘ばっかり、絶対ありますって。」
言いながら箱の中を探り出す。
「お前なぁ、俺が今仕訳けしてやってるだろ。」
その動きは気にせず宛名通りに分けながら注意すると、
「先輩、課長、ぶち切れてましたよ。」
と、小声で囁いて来た。
「小森先生に謝ったんですって?悪い事してないのに謝るな、賠償問題になったらどうするんだ、ってえらい息巻いてましたよ。」
それから、あったあった、と厚めの封筒を取り上げながら続けた。
「ま、小森先生はそんな事しないでしょうけど。課長も先生の事知らないでしょ。んじゃ、これ貰っていきますね。」
ちらり、と後ろを見てから彼が封筒を手に離れていくと誰かに肩を叩かれた。
「山本くん、ちょっと。」
課長の怒っている時の言い方だった。それから小部屋に連れていかれ、怒鳴られた。
「お前なぁ、何考えてるんだ!いつもそうだよな、なんでわざわざこっちに非があるかのような対応をするんだ。それは駄目だって何度言った。えぇ、俺、何度言ったよ。えぇ!」
「すみません。」
「すみません、じゃねぇよ、何度言ったか、って聞いてんだよ!」
「すみません。」
「あのなぁ、それで賠償問題になったら、お前、責任取れるんか。どう責任とるんだよ。いっつも言ってるだろ、責任はこっちには無いって事だけはな、常にはっきりさせておかないといけないんだよ。いい加減、わかれよ!」
それから二十分程説教されて小森先生の方に責任が在ることを電話で強調しておく事を命令されると開放される。
部屋を出てまた元の雑多な音の中に入っていくと三人程が何かを話し合っていた。
「あ、山本さん、ちょっとこれ、見てもらえません?」
近寄って行くと、手にしていた紙を俺に渡してくれる。
「なになに。えっと、脅迫状、これは脅迫状である、」
文面は以下のように続いている。
東山文学賞を直ちに中止しろ
中止しなかった場合お前たちの所へ行って一人づつ喉を
この包丁で切り裂いて殺してやる
自分の流した血の海に浸りながら
恐怖と絶望を見上げるがいい
死ね
死んでしまえ
一人づつ喉をこの包丁で切り裂いてやる
「なんか、偉い手の込んだ切り貼りだな。」
「でしょ。」
コピー機をいじっていた男が言い出した。さっき課長が怒っている事を教えてくれた後輩だ。
「なんか、文学賞より、オレたち恨んでる感じですよね。」それから印刷された冊子を手に取ってこっちに来ると、一部ずつ手渡してくれる。
「なにこれ?まさかエクセル?」
梅田さんが聞く。表紙には第九回東山文学賞最終選考会と印字されていた。
「冊子なんてエクセルでじゅーぶんじゃないですか。経費も時間もかけらんないんっすよ。こないだ、過去の受賞者の今の活躍具合とか冊子にしてたら、課長に無駄だってすんごい怒られちゃって。そうそ、そん時、将来うちの看板になりそうもない作家に受賞させんなって息巻いてましたよ。五木原先生とか、作家辞めちゃったりしたじゃないですか。」
「ちょうどいいし、中止にしようか?将来売り上げてくれるかどうかなんて、この文学賞の主旨とは関係無いしな。」
と俺が言うと、後輩が、じゃぁそう課長に言ってくださいよ、と返してきた。俺は何も言い返せなかった。
「とにかく。」
梅田さんが続ける。
「どうする?課長に報告する?」
皆が一斉に俺を見た。
「今は辞めておこう。続くようなら、相談しよう。」
課長とはなるべく関わり合いに成りたく無かったし、これが原因で文学賞を中止にさせたくも無かった。それに、単なる悪戯かもしれない。だとしたら無かったことにして、何も起こらなければそれに越した事はない。
梅田さん以外が頷くと、これで解決とばかりに皆散って行った。俺はその自称脅迫状を折り畳むと自分の机の中にしまう。
席に付くと内線が鳴った。
「はい、山本です。」
小宮山先生からです。六番です。
「ありがとう。」それからボタンを押し、「お電話代わりました、山本です。」
少し、小宮山先生と話をした。
それが終わると、内線でさっきの後輩を呼ぶ。
「なんすかぁ、先輩?」
「梅田さんも、聞いてくれるか。」
立ち上がって彼を迎えると、梅田さんの所に行って三人で輪になる。
「東山文学賞の最終選考員の件だ。内山先生が予定されていたけれど、諸事情で駄目になった。」
梅田さんは小さく頷いて理解を示したが、後輩が食ってかかった。
「諸事情ってなんすかぁ?また、あれっすか、大麻っすか。」ここで、梅田さんががし、と肘鉄を彼に食らわせる。「いて、なにするんすか。」
「あんた、この業界向かないんじゃない。」
「ひでぇっすね、それ。これでも八年目なんすけど。」
「とにかく。」
少し大きめに言って話を元に戻す。
「なんであれ、代わりの選考員が必要になった。」
少し、二人の顔に影が差した。
当然だろう。今の最終選考員を決める時に結構ごたごたした。その辛い思い出が瞬時に胸をよぎったのだ。なのに、今それを蒸し返そうとしている。
俺だってそんなことは避けたいが、大麻取締法違反の嫌疑がかかるかもしれない人を強引に公の場に連れてくる事はもっと避けたい。
「それで、だ。どうだろう、昔文学論のエッセイで一緒に仕事した教授がいただろ?」
後輩に目を向ける。
「あ、住田先生っすか。」
瞬時に彼が名前を思い出す。
「それ、いいかもしんないっすね。ちょっと連絡取ってみますわ。」
言い終わると彼が席へと戻って行った。
「にしても。」
残った梅田さんが言い出す。
「トラブル、多いわね。」
「なんかね。」
「さっきの脅迫状、まさか本当に悪戯とか思ってる訳じゃないでしょうね。」
「なんだよ、突然。」
突然切り出してきたがある程度予想はしていた。
「まさか、本当にただの悪戯とか思ってるんじゃないでしょうね。」
「表現が。文学的かつ幼稚過ぎるよ、ただの脅しにしては。」
内山先生には、よからぬ噂も付いて回っている。もしかしたらこうして最終選考員から強引にでもご退場頂いて正解だったのかも知れない。
ふと、彼女が俺を見ている事に気付いた。俺も見返していて、少しの間二人で見つめ合っているような恰好になった。
それから、不意に彼女が視線を逸らした。
仕切られたフロアから電話の音やプリンターの動く音が響く。その後ろを人が歩く音が続いて慌しい。
「竹本さんは?」
スーツの上着をひょい、と拾い上げた女が聞いてくる。
「打ち合わせ中。」
「先行ってるって言っといて。んじゃ、行ってくる。」
「いってらっしゃい。」
送り出しながらネットの記事に目を通す。
「岸本賞、馬場さんだってさ。」
「マジで?」
隣の席の男が身を乗り出してその記事を見る。
「な?言った通りだったろ?」
「ヤベ、ビール持ってかないと。」
慌しく立ち去るその男を見送ると係りの人が郵便の箱を棚の上に置いて行ったので拾いに行き仕分けをする。
「先輩、青山学院からの資料、届いてません?」
宛名に目を通していると男が聞いてきた。
「いいや。」
「嘘ばっかり、絶対ありますって。」
言いながら箱の中を探り出す。
「お前なぁ、俺が今仕訳けしてやってるだろ。」
その動きは気にせず宛名通りに分けながら注意すると、
「先輩、課長、ぶち切れてましたよ。」
と、小声で囁いて来た。
「小森先生に謝ったんですって?悪い事してないのに謝るな、賠償問題になったらどうするんだ、ってえらい息巻いてましたよ。」
それから、あったあった、と厚めの封筒を取り上げながら続けた。
「ま、小森先生はそんな事しないでしょうけど。課長も先生の事知らないでしょ。んじゃ、これ貰っていきますね。」
ちらり、と後ろを見てから彼が封筒を手に離れていくと誰かに肩を叩かれた。
「山本くん、ちょっと。」
課長の怒っている時の言い方だった。それから小部屋に連れていかれ、怒鳴られた。
「お前なぁ、何考えてるんだ!いつもそうだよな、なんでわざわざこっちに非があるかのような対応をするんだ。それは駄目だって何度言った。えぇ、俺、何度言ったよ。えぇ!」
「すみません。」
「すみません、じゃねぇよ、何度言ったか、って聞いてんだよ!」
「すみません。」
「あのなぁ、それで賠償問題になったら、お前、責任取れるんか。どう責任とるんだよ。いっつも言ってるだろ、責任はこっちには無いって事だけはな、常にはっきりさせておかないといけないんだよ。いい加減、わかれよ!」
それから二十分程説教されて小森先生の方に責任が在ることを電話で強調しておく事を命令されると開放される。
部屋を出てまた元の雑多な音の中に入っていくと三人程が何かを話し合っていた。
「あ、山本さん、ちょっとこれ、見てもらえません?」
近寄って行くと、手にしていた紙を俺に渡してくれる。
「なになに。えっと、脅迫状、これは脅迫状である、」
文面は以下のように続いている。
東山文学賞を直ちに中止しろ
中止しなかった場合お前たちの所へ行って一人づつ喉を
この包丁で切り裂いて殺してやる
自分の流した血の海に浸りながら
恐怖と絶望を見上げるがいい
死ね
死んでしまえ
一人づつ喉をこの包丁で切り裂いてやる
「なんか、偉い手の込んだ切り貼りだな。」
「でしょ。」
コピー機をいじっていた男が言い出した。さっき課長が怒っている事を教えてくれた後輩だ。
「なんか、文学賞より、オレたち恨んでる感じですよね。」それから印刷された冊子を手に取ってこっちに来ると、一部ずつ手渡してくれる。
「なにこれ?まさかエクセル?」
梅田さんが聞く。表紙には第九回東山文学賞最終選考会と印字されていた。
「冊子なんてエクセルでじゅーぶんじゃないですか。経費も時間もかけらんないんっすよ。こないだ、過去の受賞者の今の活躍具合とか冊子にしてたら、課長に無駄だってすんごい怒られちゃって。そうそ、そん時、将来うちの看板になりそうもない作家に受賞させんなって息巻いてましたよ。五木原先生とか、作家辞めちゃったりしたじゃないですか。」
「ちょうどいいし、中止にしようか?将来売り上げてくれるかどうかなんて、この文学賞の主旨とは関係無いしな。」
と俺が言うと、後輩が、じゃぁそう課長に言ってくださいよ、と返してきた。俺は何も言い返せなかった。
「とにかく。」
梅田さんが続ける。
「どうする?課長に報告する?」
皆が一斉に俺を見た。
「今は辞めておこう。続くようなら、相談しよう。」
課長とはなるべく関わり合いに成りたく無かったし、これが原因で文学賞を中止にさせたくも無かった。それに、単なる悪戯かもしれない。だとしたら無かったことにして、何も起こらなければそれに越した事はない。
梅田さん以外が頷くと、これで解決とばかりに皆散って行った。俺はその自称脅迫状を折り畳むと自分の机の中にしまう。
席に付くと内線が鳴った。
「はい、山本です。」
小宮山先生からです。六番です。
「ありがとう。」それからボタンを押し、「お電話代わりました、山本です。」
少し、小宮山先生と話をした。
それが終わると、内線でさっきの後輩を呼ぶ。
「なんすかぁ、先輩?」
「梅田さんも、聞いてくれるか。」
立ち上がって彼を迎えると、梅田さんの所に行って三人で輪になる。
「東山文学賞の最終選考員の件だ。内山先生が予定されていたけれど、諸事情で駄目になった。」
梅田さんは小さく頷いて理解を示したが、後輩が食ってかかった。
「諸事情ってなんすかぁ?また、あれっすか、大麻っすか。」ここで、梅田さんががし、と肘鉄を彼に食らわせる。「いて、なにするんすか。」
「あんた、この業界向かないんじゃない。」
「ひでぇっすね、それ。これでも八年目なんすけど。」
「とにかく。」
少し大きめに言って話を元に戻す。
「なんであれ、代わりの選考員が必要になった。」
少し、二人の顔に影が差した。
当然だろう。今の最終選考員を決める時に結構ごたごたした。その辛い思い出が瞬時に胸をよぎったのだ。なのに、今それを蒸し返そうとしている。
俺だってそんなことは避けたいが、大麻取締法違反の嫌疑がかかるかもしれない人を強引に公の場に連れてくる事はもっと避けたい。
「それで、だ。どうだろう、昔文学論のエッセイで一緒に仕事した教授がいただろ?」
後輩に目を向ける。
「あ、住田先生っすか。」
瞬時に彼が名前を思い出す。
「それ、いいかもしんないっすね。ちょっと連絡取ってみますわ。」
言い終わると彼が席へと戻って行った。
「にしても。」
残った梅田さんが言い出す。
「トラブル、多いわね。」
「なんかね。」
「さっきの脅迫状、まさか本当に悪戯とか思ってる訳じゃないでしょうね。」
「なんだよ、突然。」
突然切り出してきたがある程度予想はしていた。
「まさか、本当にただの悪戯とか思ってるんじゃないでしょうね。」
「表現が。文学的かつ幼稚過ぎるよ、ただの脅しにしては。」
内山先生には、よからぬ噂も付いて回っている。もしかしたらこうして最終選考員から強引にでもご退場頂いて正解だったのかも知れない。
ふと、彼女が俺を見ている事に気付いた。俺も見返していて、少しの間二人で見つめ合っているような恰好になった。
それから、不意に彼女が視線を逸らした。
作品名:第九回東山文学賞最終選考会(2) 作家名:ボンベイサファイア