せんにちこう
シュータくんの役割について考えていた。絶望だ。
「絶望か……。」
「あんた、絶望ってどんな意味か知ってるのか?」
「えっ?」
振り向くと、意地悪そうに口の端を持ち上げたシュータくんが立っていた。生け垣の向こうに。
「来てくれてありがとう! こっちにおいでよ。そこは影になっているし」
「俺はね」
「?」
シュータくんはバラ園で、バラでなくチューリップを手にしていた。投げて寄越すので慌てて駆け寄る。
「ああっ」
危うく地面にばら蒔かれてしまうところだった……。いくら柔らかな芝生とはいっても、かわいそうだ。
「シュータくんは白いチューリップ、好きなの?」
「俺はね」
「へえ」
「俺は今回、生まれもしなかった」
えっ? と俺が顔をあげた先のシュータくんの表情は見えなかった。
シュータくんの髪は真っ黒で、真っ直ぐで、少し角度がつくとすぐに影になってしまう。
「望みは叶わないっていう役割なんだ。今回は生まれたいのに生まれられないという絶望」
「……。」
「あんたがどんなに考えても、たぶん理解できないね。俺のことなんてもう考えるんじゃないよ」
「それはおかしい。俺は話してもらえればわかると思ってるんだから」
「言葉にできないこともあるんだ。それに」
「それに?」
「あんたはただの辞書だろう。」
「なんだ、それは……。」
頭が真っ白になってしまった。シュータくんに向き合っているはずだけど、見えない。ぼそぼそと話す言葉がくっきりと冷たくて、とてもガッカリした気分になってしまう。
「だいたいあんたらに『生まれる』っていう感覚はあるのかどうか……。」
「どういうこと?」
「最初からここにいて、最初から愛を与えられて与えもして、満たされている中から何かが生まれるのか?」
「よく……わからないんだけど」
「きっとずっとわからねえよ。だから俺は絶望しているんだ」
確かに俺にはわからないことがたくさんある。
「シュータくん、きみは何がしたいんだろう? 絶望したくて俺に愛を告げてくれたの?」
「……はあ?」
「俺はわかり合いたいのに、君は俺に思いをぶつけただけで、その後の戸惑いもなにも責任持ちたくないのね?」
「責任とか……。流石。天使のくせに面白い言葉知ってるな」
「俺は満たされているよ。でも好いてくれれば嬉しいなと思うんだ」
「へぇ」
「それで、悲しそうな顔を見ると幸せになって欲しいと思うよ」
「なるほど、成屋は優等生だ」
シュータくんはクッと笑って横を向いた。
「きみのせいで今俺は満たされていない」
「……?」
その冷たい横顔が、少しだけこちらに向けられたように見えた。
「俺は悲しいと思ってる。俺のなかに辞書があるから、この気持ちが悲しいんだってわかるんだけど。わかってくれる?」
「なんで、あんたみたいな天使が悲しい気持ちになるんだよ」
「きみだって同じ天使じゃない。役割だからって、何でも絶望しなきゃいけない決まりはないはずだよ」
さっきハラリと落ちてしまったチューリップの花びらをそっと摘まんで、俺は立ち上がった。生け垣の向こうの、背の高いシュータくんの肩に掴まって延び上がって……。
「ん?!」
なにするんだ、とシュータくんは真っ赤になってこっちを見た。
「俺をちゃんと見てよ」
シュータくんの唇に押し当てた花びらを今度は自分の唇に添わせた。
柔らかい花びらだ。
「自分から俺を絶望にしないで」
柔らかい気持ちになる。
「絶望するのは成屋でなく、俺だ」
「シュータくんはわかってないよ」
「わからねえよ」
「わからないのか……。」
悲しいな。本当にそういう天使だと自分たちで言うほどつらい思いを持っているんだな。そういう風になってしまったのは誰のせいでもないけど、救うのもまた天使なんだ。
「俺を好きになっても、きみはつまり……。そうか。きみは絶望しないってことだ。絶望なんてしないよ」
話ながらひらめいた。俺自身も納得できていなかった部分が、すんなりと胸に落ちたような気がした。
シュータくんは目を泳がせながら生け垣から一歩遠ざかった。俺は負けじと服を掴んで、続けた。
「俺はシュータくんのことを好きになる! 好きだ!」
言った! そう思ったら興奮してきて、シュータくんの服を掴んだまま垣根の切れ目まで引っ張っていって、無理矢理に向き合った。
「シュータくん、これは絶望かな。」
「あんたの立場、が……困る」
「俺は君と同じ天使の一人だね」
「成屋」
「はい」
「ありがとう、好きだ」
シュータくんが初めて笑った。苦笑いだけどそれでもいい。それで俺は恋っていう意味を受け止めた。
「はじめてだ。ありがとう、成屋が好きだ」
『言葉』おわり