柔らかな傷痕
結婚が確定した日から、私は羨望や嫉妬の眼差しを受けながら暮らした。
その中で、ひとつ異質な視線に気付いた。
感じられるのは、私を射殺さんばかりの嫉妬と、酷く慣れ親しんだ狂気。
視線の主を目で追う。
彼女は違う、あの人も、あの子も違う。
ぐるりと周囲を見渡す。
何処にいるのだろう。
必ず何処かこの近く、私の視界の範囲内にはいるはずなのだ。
同類の存在を感知し間違えるはずがない。
ふと夕焼けのような赤毛が目に入った。
髪とは対比的に冷たい氷のような色の瞳が私を睨みつけている。
心地よい憎悪と嫉妬に駆られた眼だ。
嗚呼、彼女か。
何度か会ったことがあり、話したこともある。
あの男の、幼馴染だ。
なるほど、あの男の近くにいすぎたせいで狂気に蝕まれていた心が、嫉妬によって染まりきってしまったのか。
自ら持ち得たものではない衝動に振り回される、無知で哀れな女。
その衝動を制御するすべも、安らぐ方法さえも知らないのだろう。
同情するつもりはないが、哀れみを禁じえない。
そのアイスブルーの瞳を見つめていると、突然思いついたことがあった。
嗚呼、そうか、そうなのだ。
彼女が鍵を握っていたのだ。
私が幸せを掴むための、一番重要な鍵を。
私の思いつきは、我ながら最高に最低なものだった。
だが、もうそんなことは関係ない。
一番大切な人を傷つけた私には、もう怖いものなどないのだ。
女の眼を見て、口元に嘲笑を浮かべる。
青い瞳に冷たい炎が宿る。
これでいい、これですべてが上手くゆく。
最後に笑うのはあの男ではない。
結婚式当日、純白のウェディングドレスに包まれながら、私は手元のブーケを弄んでいた。
薄いブルーの花が短い生涯の中、懸命に自分の存在を誇示している。
色素の薄い姉さんの髪に、この花はよく似合うだろう。
他の誰かに渡すわけがないのだが、このブーケは姉さんに捧げよう。
扉を開いて、美しく着飾った姉さんが私のいる部屋に入ってくる。
私は入ってきた姉さんを見て、罪悪感に苛まれた。
口をついて出てきたのは、単純な子供のような謝罪の言葉だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
貴女を傷つけて、そしてこれからも傷つけて、貴女を愛してしまって、その気持ちを抑えきれなくて。
いくらでも謝ることはあった。
これから自分がすることを考えれば、こんな言葉では済まない。
それでも、私は止められない、止めることを知らない。
前に進むことしかできない。
私を抱きしめてくれるこの温かい人を騙し、どんなに傷つけても。
私の大好きな姉さん、これから貴女の心に傷痕を残そう。
表面的にはとても小さくてどうといったことはないのだけれども、どこまでも深く治ることのない傷痕を。
そうして私はその傷がある限り姉さんの心に残り続ける。
やがて姉さんが真実に辿り着いた時、その傷は広がって心を蝕む。
最後まで姉さんの心に残れるならば、憎しみでも同情でもいい、どんな感情でも構わない。
ただ、私のことを考えながら最期を迎えてほしい。
姉さんにしがみつきながら、私は生まれて初めて神様に祈った。
靴音が聞こえる。
これは私を幸せに導く音だ。
姉さんの背に回していた腕を憎い男の腕に絡める。
全てが終わった時、この男はどんな顔をするのだろう。
冷たい口付けを交わすこの男の最期を見られないことを残念に思いながらも、私は暗い愉悦に身を浸す。
憎らしげにこちらを睨みつける赤毛の女が視界に入った。
彼女は狂った饗宴のもう一人の参加者、それも飛び入りの主要人物だ。
私に巻き込まれ、利用されるためだけに登場した、哀れな操り人形。
わざとらしく微笑んで見せると、彼女は踵を返して去って行った。
さあ、種は蒔き終えた。
これでもうすぐ私の望みが叶うのだ。
嗚呼、祝福の鐘が鳴る。