大きな猫14
忘れてもらえない、ということに、酷く侘しいものを感じた。本来は、忘れてくれないことを喜ぶものだが、浪速に関しては違う。
何度も、旦那を忘れている。だが、日常業務で、そんなことは、まったくわからない。自分たち会社の人間は、けっして忘れないからだ。大切なものを失うとかなくすとかした場合、それを忘れてしまおうと、人間は努力する。努力しても忘れられるものではない。そう普通の人間ならば、だ。しかし、浪速は、見事な程に、自分の記憶から消し去るという特技がある。
何度か、その現場を目撃している堀内は、あまりの忘れっぷりに驚愕した。名前も同居していた事実も、綺麗さっぱりと忘れるからだ。
「しゃーないやろ? こいつ、神経が繊細にできたぁーるんやからさ。・・・・まあ、忘れても思い出させるから、かまへんねんよ。」
その旦那の吉本のほうは、忘れられたという事実に苦笑はするものの、別に悲しそうではない。ちゃんと、すぐに思い出させて元に戻している。戻せると確信しているからの余裕というものだ。
大切で、ないと精神的に辛いものだから、浪速は、それを忘れる。なくては生きていけないのだと、その度に告白するような行為だ。ただし、これは吉本限定でもある。浪速は、生きているために金が必要だと、身体にも心にも染みついているから、働く場所は忘れないし、その職場の人間も、絶対に忘れない。いつものように、働いているから、肝心なことを忘れているという事実さえ、気付かないのだ。
・・・・つまりや、あいつがおらんくなったら、忘れんと生きていけへんというのは、あのクソガキだけっちゅーこっちゃ・・・・・・
それが、かなり侘しい。なんせ、付き合いからすれば、堀内のほうが吉本より何年も長いのに、そういう繋がりがないのだ。堀内のことを浪速は忘れたことはない。働く為に、とりあえず、生きているために必要な知識として、残っているらしい。
今も、目の前で、パソコンの画面を睨んでいる浪速がいる。さっきまで、中部の統括部長を名指しで呼び出して、個人的支払を会社に押しつけるな、と、怒鳴っていた。ついでに、総務部長も並べて、「総務部長なら、こんなもの、突っぱねろやっっ。」 と、大声で恫喝していた。あまりの剣幕に、統括部長も総務部長も気迫負けして、ぺこぺこと平謝りしていた。
さすがに、これは、まずかろうと、総務の人間が、堀内に連絡してきたので、その騒ぎは収まった。というか、勝手に、調べ上げた統括部長の個人的支払は、貸付金処理をさせてしまったらしい。もちろん、本来は、それで正解だ。間違っていない。
「みっちゃん、休憩しようか? 」
「勝手に行け。・・・・せやせや、おっさんを一々呼び出すのは、面倒やから、おっさんの職権を使えるようにしといてくれ。ほんなら、もう呼び出しもかかれへんわ。」
大変、機嫌が悪い。それは、初日から、そうだから、もう、一々気にしないが、不機嫌の理由は変わったのではないかと思う。
「なんで、そんなに機嫌悪いんや? わしにまで噛みついてどーすんのや? わしは、おまえの飼い主やぞ? 」
「・・・・・うるさいわいっっ・・・・・愛人やねんやったら、俺に愛人らしいことでもさせろや。」
「ん? 何してくれはるんでっか? 水都さん。」
「なんでもしたるで。出血大サービスでな。」
「それは、あれか? あほと別れるっちゅーことか? 」
「はあ? そんなんちゃう。」
ならば、その愛人らしい行いというのは、立派な浮気に該当するのではないだろうか、と、堀内は頬を歪める。たぶん、言ってる本人には自覚はないだろう。まだ、忘れているというわけではないらしい。
「あほ花月と、なんの喧嘩や? 」
「・・・・うそついた・・・・」
「それだけか? 」
「俺には重要や。嘘ついた内容が、ムカつくんじゃっっ。」
べしべしと、乱暴にキーボードを叩いている浪速は、本当に怒っている。大概に愛想の欠片もない小僧が、こんなに表情に出しているのは珍しい。まあ、それほどに、あのあほに怒っているということだろう。今回は忘れないらしい。
「そろそろ監査も、目処はついたか? 」
「一応、過去半年については、だいたい目は通した。付箋はつけてある。」
「ほなら、明日くらい帰るか? 」
帰れ、と、言ったら、微妙な顔をした。それから、すぐに、表情を消す。
「こっちで働くのでも、かまへんで? 引越しとか、業者のお任せパック使うてええならな。」
「はあ? おまえ、何言うてんのや? その件は、わしが反対。」
そこまで、言うと、堀内は沈黙して、部屋の周囲を見渡して、浪速の耳元へ顔を寄せた。沢野と意見が折り合っていない部分を、浪速に告げておくことにした。
「わしは、いずれ、関西へ本社を動かすつもりをしてる。沢野は、このまんまでええと思ってるんやが、わしは、それには反対や。ここでは、合併した会社の色が濃すぎて、動きにくいからな。・・・・・・せやから、おまえは、いずれ、本社になる関西を抑えてもらいたい。」
「それまで、俺がおったらな。」
「おるやろう。そう時間かけるつもりはないで? 次の合併で、株式のほうを操作する。徐々に変えていくつもりや。」
「また、えげつないことするもりなんやな? おっさん。」
「・・・まあな・・・・」
まるで、睦事のように顔を寄せて話し合っているが、内容はかけ離れている。だが、内密な話なので、このままだ。
「・・・俺・・・今、帰りたない・・・・」
「わしのマンションにおるか? 」
「いや、それ、意味ないから。」
「なんでや? 」
「ようわからへんねんけど、ムカつくからな。・・・・ものすごくムカついてるから、絶対、また喧嘩になる。・・・・あんま、意味ないやろ? 」
「おまえが、たまには折れたったら、どないなんや。」
「そうやないねん。・・・・・嘘つかれたのが、ムカつくんや。また、あいつ、同じことする。そこまで、俺は信用がないんやろうか、と、悲しいわけよ。」
事実を知らない浪速にしたら、そういうことになるだろう。入院しているなら、世話ぐらいさせろ、と、思っているのだろう。だが、それは違う。
ぐいっと浪速のネクタイを引っ張って、顔をさらに近付けた。
「みっちゃん、それは違う。・・・・・そうやない。」
「ん? 」
「あいつが嘘やないって言うんなら、嘘やない。それが、事実でなくても、事実になる。・・・・・おまえ、あれと別れて暮らせるか? つきつめて考えてみ? あれと暮らす上で、あいつが、おまえの不利になるようなことしたことあるか? あらへんやろ? つまり、あいつは、何かしら理由があって、そういうことにしときたいってことや。・・・・・わかるか? 」
「珍しいな、おっさんが、あのあほを庇うんか? 」
「わし、おまえが壊れてんのを看るのは、勘弁や。・・・・あいつの真似は誰にもできひん。」
「せやろな。俺も、それは思うわ。」
「そしたら、帰れ。」
「・・・まだ、いやや・・・・」
「この頑固モンっっ。・・・・まあ、ええわ。もうちょっと、遊んどけ。とりあえず、メシ。」
「まだ、言うか? 」
何度も、旦那を忘れている。だが、日常業務で、そんなことは、まったくわからない。自分たち会社の人間は、けっして忘れないからだ。大切なものを失うとかなくすとかした場合、それを忘れてしまおうと、人間は努力する。努力しても忘れられるものではない。そう普通の人間ならば、だ。しかし、浪速は、見事な程に、自分の記憶から消し去るという特技がある。
何度か、その現場を目撃している堀内は、あまりの忘れっぷりに驚愕した。名前も同居していた事実も、綺麗さっぱりと忘れるからだ。
「しゃーないやろ? こいつ、神経が繊細にできたぁーるんやからさ。・・・・まあ、忘れても思い出させるから、かまへんねんよ。」
その旦那の吉本のほうは、忘れられたという事実に苦笑はするものの、別に悲しそうではない。ちゃんと、すぐに思い出させて元に戻している。戻せると確信しているからの余裕というものだ。
大切で、ないと精神的に辛いものだから、浪速は、それを忘れる。なくては生きていけないのだと、その度に告白するような行為だ。ただし、これは吉本限定でもある。浪速は、生きているために金が必要だと、身体にも心にも染みついているから、働く場所は忘れないし、その職場の人間も、絶対に忘れない。いつものように、働いているから、肝心なことを忘れているという事実さえ、気付かないのだ。
・・・・つまりや、あいつがおらんくなったら、忘れんと生きていけへんというのは、あのクソガキだけっちゅーこっちゃ・・・・・・
それが、かなり侘しい。なんせ、付き合いからすれば、堀内のほうが吉本より何年も長いのに、そういう繋がりがないのだ。堀内のことを浪速は忘れたことはない。働く為に、とりあえず、生きているために必要な知識として、残っているらしい。
今も、目の前で、パソコンの画面を睨んでいる浪速がいる。さっきまで、中部の統括部長を名指しで呼び出して、個人的支払を会社に押しつけるな、と、怒鳴っていた。ついでに、総務部長も並べて、「総務部長なら、こんなもの、突っぱねろやっっ。」 と、大声で恫喝していた。あまりの剣幕に、統括部長も総務部長も気迫負けして、ぺこぺこと平謝りしていた。
さすがに、これは、まずかろうと、総務の人間が、堀内に連絡してきたので、その騒ぎは収まった。というか、勝手に、調べ上げた統括部長の個人的支払は、貸付金処理をさせてしまったらしい。もちろん、本来は、それで正解だ。間違っていない。
「みっちゃん、休憩しようか? 」
「勝手に行け。・・・・せやせや、おっさんを一々呼び出すのは、面倒やから、おっさんの職権を使えるようにしといてくれ。ほんなら、もう呼び出しもかかれへんわ。」
大変、機嫌が悪い。それは、初日から、そうだから、もう、一々気にしないが、不機嫌の理由は変わったのではないかと思う。
「なんで、そんなに機嫌悪いんや? わしにまで噛みついてどーすんのや? わしは、おまえの飼い主やぞ? 」
「・・・・・うるさいわいっっ・・・・・愛人やねんやったら、俺に愛人らしいことでもさせろや。」
「ん? 何してくれはるんでっか? 水都さん。」
「なんでもしたるで。出血大サービスでな。」
「それは、あれか? あほと別れるっちゅーことか? 」
「はあ? そんなんちゃう。」
ならば、その愛人らしい行いというのは、立派な浮気に該当するのではないだろうか、と、堀内は頬を歪める。たぶん、言ってる本人には自覚はないだろう。まだ、忘れているというわけではないらしい。
「あほ花月と、なんの喧嘩や? 」
「・・・・うそついた・・・・」
「それだけか? 」
「俺には重要や。嘘ついた内容が、ムカつくんじゃっっ。」
べしべしと、乱暴にキーボードを叩いている浪速は、本当に怒っている。大概に愛想の欠片もない小僧が、こんなに表情に出しているのは珍しい。まあ、それほどに、あのあほに怒っているということだろう。今回は忘れないらしい。
「そろそろ監査も、目処はついたか? 」
「一応、過去半年については、だいたい目は通した。付箋はつけてある。」
「ほなら、明日くらい帰るか? 」
帰れ、と、言ったら、微妙な顔をした。それから、すぐに、表情を消す。
「こっちで働くのでも、かまへんで? 引越しとか、業者のお任せパック使うてええならな。」
「はあ? おまえ、何言うてんのや? その件は、わしが反対。」
そこまで、言うと、堀内は沈黙して、部屋の周囲を見渡して、浪速の耳元へ顔を寄せた。沢野と意見が折り合っていない部分を、浪速に告げておくことにした。
「わしは、いずれ、関西へ本社を動かすつもりをしてる。沢野は、このまんまでええと思ってるんやが、わしは、それには反対や。ここでは、合併した会社の色が濃すぎて、動きにくいからな。・・・・・・せやから、おまえは、いずれ、本社になる関西を抑えてもらいたい。」
「それまで、俺がおったらな。」
「おるやろう。そう時間かけるつもりはないで? 次の合併で、株式のほうを操作する。徐々に変えていくつもりや。」
「また、えげつないことするもりなんやな? おっさん。」
「・・・まあな・・・・」
まるで、睦事のように顔を寄せて話し合っているが、内容はかけ離れている。だが、内密な話なので、このままだ。
「・・・俺・・・今、帰りたない・・・・」
「わしのマンションにおるか? 」
「いや、それ、意味ないから。」
「なんでや? 」
「ようわからへんねんけど、ムカつくからな。・・・・ものすごくムカついてるから、絶対、また喧嘩になる。・・・・あんま、意味ないやろ? 」
「おまえが、たまには折れたったら、どないなんや。」
「そうやないねん。・・・・・嘘つかれたのが、ムカつくんや。また、あいつ、同じことする。そこまで、俺は信用がないんやろうか、と、悲しいわけよ。」
事実を知らない浪速にしたら、そういうことになるだろう。入院しているなら、世話ぐらいさせろ、と、思っているのだろう。だが、それは違う。
ぐいっと浪速のネクタイを引っ張って、顔をさらに近付けた。
「みっちゃん、それは違う。・・・・・そうやない。」
「ん? 」
「あいつが嘘やないって言うんなら、嘘やない。それが、事実でなくても、事実になる。・・・・・おまえ、あれと別れて暮らせるか? つきつめて考えてみ? あれと暮らす上で、あいつが、おまえの不利になるようなことしたことあるか? あらへんやろ? つまり、あいつは、何かしら理由があって、そういうことにしときたいってことや。・・・・・わかるか? 」
「珍しいな、おっさんが、あのあほを庇うんか? 」
「わし、おまえが壊れてんのを看るのは、勘弁や。・・・・あいつの真似は誰にもできひん。」
「せやろな。俺も、それは思うわ。」
「そしたら、帰れ。」
「・・・まだ、いやや・・・・」
「この頑固モンっっ。・・・・まあ、ええわ。もうちょっと、遊んどけ。とりあえず、メシ。」
「まだ、言うか? 」