Wish ~ Afterwards ~
二度目の冬
「これ?」
「んーん、こっちの方がええ」
本屋の奥で、慎太郎と航が参考書を選んでいる。
事の起こりは、つい先日……。
―――――――――――――――
「……で、ここが、こうなるから……」
冬休みに入ったばかりの堀越宅である。
一人でやってもすぐに行き詰ってしまう受験勉強。いちいちメールで聞くよりは、手っ取り早く押しかけてしまえ! という事で、慎太郎がお邪魔している。
「これ読んでも分かんねーのに……」
参考書を指差し、
「お前、凄ぇわ!」
慎太郎が感心する。
「褒めてもなんも出ぇへんで」
笑いながら、自分の課題を終える航。
「とりあえず、それ終わったら休憩しよな」
「……航……」
ノートにシャカシャカとペンを走らせながら慎太郎が呟く。
「『小弥太(こやた)』は?」
夏に航が拾った子犬の名である。
「呼ぶ?」
航はギターを手にしている。
「なんか、癒されたい気分……」
“勉強”に滅入っている慎太郎の姿に笑いながら、
「それ、終わったらな」
航が爪弾き始める。
――― あの日、自分を庇って事故に遭ってしまった慎太郎の事が心配で心配で……。やっと落ち着いて家に戻って来た時、子犬が毛布にくるまれて玄関先で眠っていた。木綿花が連れ帰り、身体を乾かし、航達が帰ってくるまで冷えない様にホカロンを毛布の下に敷いて、籠の中に置いていってくれたのだ。
『おかえり。暖かくして、置いておきます。元気になった?』
籠の端にメモが挟んであった。“元気になった?”の一言が痛くて、また泣きそうになる。
「助けたのは、この子?」
祖母が屈み込んで振り返る。
「うん……」
祖父が頷く航の頭をポンポンと叩く。
「飼ってもええ?」
「ダメとは言えないわねぇ。……ほら、こんなによく眠っちゃって……」
祖母が子犬を見て微笑む。
「すっかり“我が家”だな」
そう言うと、
「ここまでしてくれた木綿花ちゃんの為にも、飼わないとな」
祖父が籠ごと子犬を持ち上げた。
「名前は?」
「まだ、付けてへん……」
眠っている子犬の頭を撫でる祖母。
「祖母ちゃん、付けて」
驚く祖母に、
「俺、そんな余裕ないから……」
航が精一杯微笑む。
そんな航に微笑み返していた祖母……。
なのに、朝起きたら、
「小弥太ちゃん!」
既に名前が定着していた。
――― 「何、その曲?」
ようやく課題を終えた慎太郎が、聞いた事のない曲に首を傾げる。
「祖母ちゃんの好きな曲。……でもって、“合図”やねん」
「“合図”?」
慎太郎が再び首を傾げたその時、
「はい。お待たせ」
祖母がお茶とお菓子を持ってやって来た。
(あぁ、この“合図”ね)
「いちいち呼ぶより、効率いいやろ?」
確かに、静かな住宅街では大声を出すより、こっちの方がいいかもしれない。
「祖母ちゃんも好きな曲聴けるし、な?」
“ワンッ!”
祖母の代わりに、その後ろから返事が……。
「小弥太!」
慎太郎の声に尻尾を勢いよく振り回しながら、小弥太が慎太郎の胡坐の上に飛び乗り、その勢いのまま顔を舐め始める。
「小弥太はホンマに、シンタロが好きやなぁ」
一曲弾き終えて、航が笑った。
「拾たんは、俺やで」
「その“拾い主”を助けたのは、俺だけどな」
慎太郎の言葉に、「痛いわ、それ」と航が笑う。
「祖母ちゃんにも、めっちゃ懐いてんねんな、こいつ」
「“拾い主”を養ってるのが誰か分かってるからじゃん?」
そう言って視線を移す慎太郎に、祖母が微笑む。
「俺、“拾い主”やのに一番“下っ端”やん!」
航が膨れ、その横で祖母と慎太郎が笑った。その時!
「うっわっ!!」
慎太郎が声を上げて、膝の上の小弥太を抱き上げる。
慎太郎の胡坐の上に腹を見せて伸びている小弥太……。それを撫でた瞬間の出来事だった。
「お前なぁ!!」
抱き上げた小弥太を慎太郎が睨む。
「嬉かってんな、小弥太」
航がクスクスと笑いながら、小弥太の“粗相”で濡れてしまった慎太郎のジーパンを手元にあったタオルで拭く。
「お前、自分が可愛いから、怒られないって思ってるだろ!?」
……実際、怒られない……。
と、
「シンタロ!」
パタパタと航が手招きして、床を指差す。
「どうする? これ……」
指差す先には、“参考書”。
「マジかよ……。ビショ濡れじゃん……」
掴む気にもなれない……。ガックリと肩を落とす慎太郎。
「ちょうどええやん」
航のしれっとした声が響く。
「これ、シンタロには合うてへんかったし。別の買おう。俺、付き合うから」
「お前、サラッと言うな」
「そやかて、難しかったやろ? 参考書は自分のレベルに合わせな」
「刺さるわ、その言葉……」
何気に傷付いている慎太郎を笑いながら、航が続ける。
「木綿花ちゃんレベルやもん、これ」
「……お前、キツイな……」
「だって、一緒の高校行きたいもん。“追い込まんと出来ひんタイプ”なんちゃうん?」
言いながら、目が笑っている。
「“追い込んでる”って?」
小弥太を抱きかかえたまま、慎太郎が航に問い掛ける。
「うん。心苦しいけど……」
と、胸を押さえてみる。
「“追い詰めてる”の間違いじゃねーの?」
「大差ないやん!」
慎太郎から小弥太を受け取り、航がケラケラと笑った。
―――――――――――――――
そして、翌日の今日。こうして、二人で“参考書”を探しに、ちょっと大きめの書店に来ている。
「うん。これと……これ、かな」
厳正な吟味の上、航が二冊手にして頷いた。
「え? 二冊も!?」
そんなに金ないぞ。と慎太郎が財布を取り出す。
「大丈夫! 小弥太の所為やからって、祖母ちゃんが参考書代くれた」
「でも、二冊って……。ダメになったのって、“数学”だけだぜ」
「“英語”、さっぱりやん。シンタロ」
「お前、やっぱキツイよ……」
凹む慎太郎を見て、
「そやかて、一緒の高校行きたいもん!」
本棚の前で航が力説する。
「そのつもりで、こっちに残ってんから!」
慌てて航の口を押さえ込む。高音の航の声は、とにかく“響く”のだ。その上、関西弁である。目立つ事、この上ない。
「分かったから、静かにしろ!」
「……ごめん……」
項垂れる航の手から参考書を抜くと、足早にレジへと向かう慎太郎。その後を航が慌てて追う。
「……シンタロ!」
怒った? 怒ってる?
「4200円になります」
レジの声に、慎太郎が財布を覗き、流石に無いわ……と、
「航。会計」
後ろにいる航に声をかける。
「あ、うん」
言われるままに会計を済ませ、そっと慎太郎を見上げる。向こうをむいたまま、慎太郎の手が航の頭の上に乗る。
「頑張るから、さ」
だから、もう少し信用してくれよ、と……。
「……うん……。ごめんな、シンタロ……」
「ん?」
「……俺、時々、自分で自分が抑えられん様になる……」
それが、事故の所為だとは、きっと“航”は知らないだろう。
「ま、“お子ちゃま”だから、お前」
笑う慎太郎に、
「ちゃうもん!」
航がぷっと膨れた。
作品名:Wish ~ Afterwards ~ 作家名:竹本 緒