不在の庭
1
俺の叔父は、縁側でぼんやりしているのが常だった。
夏休みになると、俺は必ずこの家を訪れる。それは、物心ついた頃からの習慣だった。共働きである両親の代わりに、叔父がしばらく俺の面倒をみていたという過去があるからだろう。俺もそれだけ叔父になついていた。
今年も、彼を訪ねて俺はその家を訪れた。住んでいる街からローカル線に揺られて一時間くらいだろうか。差ほど田舎というわけでもないが、近所から比べれば随分と寂れた町に彼は住んでいた。
住んでいるのは中古の日本家屋だという。随分経つまで、こちらが母の実家だと思っていたくらいには古臭い家だ。廊下はうぐいす張りと間違うほどの音をたて、瓦はところどころ欠けている。
ただ、庭だけは整然としていた。彼の趣味が菜園を作ることだったからだ。いつも、この時期はトマトやナス、ピーマンといった夏野菜が大きく育つ。
叔父ができる、ほんのわずかな特技だった。
「ナツ、いらっしゃい」
「うん。今日もダレてるの?」
「暑いからね。世の中」
「そんなこと言って。だらけ過ぎじゃない?」
「いいのいいの。悠々自適が座右の銘ですから」
今日も叔父は縁側の柱に身を預け、庭の菜園を見ていた。今年はまだ気乗りがしないのだろうか、それとも『私は体力ないからね』が口癖だから、動くのが大儀なのだろうか。菜園の野菜は熟れすぎている。
そのことを話すと、今年は俺を待っていたのだと言う。真偽の程は判らないけれども、彼はゆっくりと立ち上がって、軍手を取りに部屋の奥へ消えた。
程なくして、二人分の軍手を持ってきた叔父は、微笑みながら「取ろうか」と、いつも被っている麦わら帽子を俺の頭に被せた。太陽の熱でのぼせてしまうのは自分の方なのに。見上げたら意外に高い目線が、俺を見下ろしてきた。
「何」
「いや、」
「ちゃんと言ってよ」
「背、伸びたなって思って。昔はこんなちっちゃかったのに」
そう言って彼は、軍手をはめた手のひらで、数センチメートルの細い隙間を作って見せた。そんな小さくないと言ってほしいのだろう、だが叔父の期待している台詞をまるきり無視して、俺はそうだねと呟いた。
「胎児のときにはそのくらい?」
「ナツ……、叔父さんは淋しいよ。ひねくれ者になっちゃって」
「違うと思うけど。相手してるだけマシだと思って。今の中高生、叔父さんと一緒に野菜収穫なんてしないし」
「携帯電話がお友達なんだっけ」
「うん。大抵ね。相変わらず買わないの」
「必要ないから。ほら、旅に出る時はね、身軽な方がいいんだ」
携帯が普及してからいくらもたっているはずなのに、彼は一度も持ったことがないのだという。それどころか、普段から家電が苦手で、真夏でも扇風機やクーラーは使わないらしい。暑くてだらけているなら使えば良いのに、来る度に言っているが、彼が帰す答えはいつも同じだ。
「ナツ、トマト食べるよね」
熟したトマトをもいで、彼はそのうちのいくつかを俺に与え、残ったいくつかを地面へ打ち捨てた。俺は軍手をつける暇も与えられずに、両手を塞がれてしまう。
これはもう駄目だな、もっと早くナツがこれば良かったのに。俺のせいにしないで欲しい。
「俺だって部活があったんだよ」
「何部だっけ」
「陸上」
「アスリート? いやぁ、叔父さんびっくりだよ。私の甥っことは思えない」
「まあ、要するに似なかったんだろ」
受け取ったトマトをシャツで拭いて、人齧りしてみた。甘い。とてつもなく甘い香りがする。やはりいつもはもう少し酸味もあったのだ。何故今年に限ってこの味なのか、俺は少しだけ違和感を覚えた。
「どう」
「んー、塩欲しいかも」
「私も食べようかな。あと、キュウリとナス取るよ。今日の夕食はナスの味噌煮」
「キュウリは丸齧り」
「勿論」
「好きだよね」
「自然の味が良いんだよ」
彼は手のひらの中に今晩の夕食を落としながら、俺の空いている方の手のひらにも、同じものを与えた。キュウリはまだとげがたくさん残っていたが、一番おいしい時期は過ぎているように感じる。ナスは、張りがあるものの、少し大きすぎるような気がした。
その日の夕食は、毎年のそれよりも少しぶよぶよとしていた。俺は普段と違う様相に、違和感を覚えずに居られなかった。
けれども、彼の育てている野菜の味は、変わらずに柔らかく、美味しかった。