骸骨男
空に浮かぶ月は満月。それを覆い隠す雲もなく、星の光にも打ち勝って、月は空に穴を開けんとするばかりに輝いている。そんな月が、世辞にも気味がいいとは言えない墓場を照らしている。しかし、だからといって、墓場に眠る者が不思議な力を手にすることもない。墓場では、普段と同じく蛾がひらひらと暢気に飛んでいた。
この墓場について男が聞いたことは、まず、不思議な老人がいること。そして、その老人は墓場に来た人間に昔話をすること。しかし寒いとまでは聞いていなかったと、心の中で愚痴を溢しながら、冷えた手に息を吹きかけた。寒いのは今の季節からして当たり前で、手袋をして来なかった男自身が悪いといえば、それを間違いとはできない。それは理解している。ただの八つ当たりでも、するとしないとでは気分が違うのだ。何か温かい飲み物でも、とは思った。だが、この辺りに自販機などという雰囲気を壊す代物は存在しておらず、存在していたとしても、尻ポケットの財布の中には飲み物を買う金は入っていない。
男の視界で飛んでいた一匹の蛾が、消えた。かのように見えたが、それは見えただけであり、真実では蛾は虫取網の中に移動したのだった。
「おほっ、おほほほっ……」
静かな墓場に笑い声が響き渡った。よくよく聴けば、声の質は男性のものだ。しかし怪しい。
「つっかまーえたー」
その主は虫取網の柄の先にいた。色は黄色味がかっていて、背はそこまで大きくはなく、肉が付いていない。骨張っている、ではなく、ただの骨だった。否、動いて喋っているから、ただならない骨だった。
彼(骸骨)が振り返った。
「ややっ!これはもしやお客さん!?」
骸骨の視線(骸骨に目はないが)の先には、前にも後ろにも誰もいない。どうやら男に向かって喋っているらしい。骸骨が動いて、更に喋っている。再認識した男の意識は、今更ながらそれを現実と認めた。自然と一つの言葉が口を突いて出る。
……骸骨。
「やややややっ!?」
言葉を受けて骸骨が示したのは、コメディ映画でしか見ないほどに大袈裟な驚きのポーズであった。同時に大きく揺れた虫取網から蛾が逃げたが、骸骨は気づいていない。
「あああ貴方はっ、わわわ私が骸骨に見えるのですかっ!?」
骸骨の話す勢いと言葉に男の理解が追いつかないでいると、骸骨は何かに気付いたようにはっとした。そして一つ咳払い(喉はどこにあるのだろうか)をしてから、虫取網を放り投げ、姿勢を改めた。
「失礼。私のこの姿が見える人間には久し振りに会ったもので……ついテンションが上がってしまいました。お恥ずかしい……」
そう言いつつも、骸骨はあまり恥ずかしそうにはしていなかった。そのまま骸骨はくるりと男に背を向け、歩き出した。その背中(正確には背骨だ)が何だか付いて来いと言っているようで、男は骸骨に倣って歩き出す。
「貴方も、昔話をする老人の話を聞いてここに遊びに来たんですか?」
どうやら付いて行ってもよかったらしい。歩きながら話しかけてくる骸骨に男は一つ頷いたが、前を向いている骸骨には見えないのだと思い直して(前が見えているのかも不明ではあるが)、言葉で肯定の意を伝えた。
「ですよねー。でも、どうやらその老人には会えなさそうなんですよ。……あ、別にその話が嘘だったのではなく」
骸骨は一度言葉を切って立ち止まり、男に向き直った。
「私が、その老人の正体です。吃驚したでしょう?」
さも愉快そうな表情(骸骨に表情筋はないが)を浮かべる骸骨は、また「おほほほっ」と不気味に笑っている。骸骨が立ち止まった先には、古びた椅子と机、そしてティーセットが置いてあった。もしこの骸骨の言うことが真実なら、普段はここに連れて来て、紅茶を飲みながら昔話、といったところだろう。
「わざわざこんな墓場まで来て目的の老人に会えないなんて、骨折り損でしたね。……あ、折れたからって私の骨はあげませんよ?なぁんちゃって!おほほほっ」
自分の言ったことが余程面白かったのか、骸骨は高い声で笑い続けていて、大分喧しい。音量はそこまで大きくはないものの、やたらと頭に響いた。男は眉間に皺を寄せてそれをやり過ごしながら、無言で骸骨の横を通り過ぎた。
「……ややや?」
この調子だと夜が明けても話が聞けなさそうで、男は勝手に椅子に座り、骸骨に笑みを投げかけた。男にとって、老人の正体が骸骨だったから別段どう、ということはないのだ。ただ、男の周りにいるリアリスト共には話しても信じてもらえないだろうから、困るといえば困るのだが。
「へぇ……」
数秒間だけ立ち尽くしてから、男の向かいの椅子に骸骨が座った。椅子から軋んだ音が聞こえる。
「霊感の全くない方は、得てして許容範囲が広いのでしょうか?」
霊感と許容範囲の関係の推測など、男には興味を欠片も持てない話だ。それよりも気になったのは、骸骨が男の霊感を全くないと決め付けた事実であった。
「簡単なこと。私のこの姿が見えるなら、霊感は全くない。それだけですよ」
曰く、骸骨は何やら霊的な力を使って老人の姿を創り出している。この場所による力もあってその幻は大分強力なはずだから、霊感が少しでもあれば老人の姿で見えるのだと。信じられない話ではあるが、骸骨が動いて喋っている光景を現実として認めてしまった男には、信じるという選択肢が生まれていた。
「さて、それよりも昔話をしましょうか。……紅茶も実物じゃあないんで、飲み物は出せませんが」
相変わらず不思議な笑い方で、けれど今までよりもいくらか小さなあまり響かない声で、骸骨は少し笑った。
骸骨の話は確かに面白かった。話の内容もそうだが、何より骸骨の語り口が聴く者を惹き付けるのだ。話を聴きながら、男は骸骨の望むままに相槌を打ってしまう自分を止められなかった。
「楽しんでいただけたようで何よりです」
満足気に語る骸骨自身も、話す相手がいて楽しかったのだろう。初めてする話だとも言っていたから、思い出した話を試したのかもしれなかった。しかし、二人が充実した時間を過ごせたのならば、それらの真偽に重要性は感じられない。
男は席を立ち、骸骨に礼を言った。
「やや、もう帰るんですか?」
骸骨が以外そうな声色で訊ねてきたが、男にもやらなければならないことが山とある。例えば、今日の出来事を他人に信じてもらう方法を考えるだとか。
「ただあったことをそのまま話せば良いじゃないですか」
そう出来れば、何て楽なのだろう。しかし、男はそれを言葉として伝えなかった。溜め息で返事をする。骸骨は男の心を理解したのかしなかったのか、「なるほどねぇ」と頷いている。
今度こそ男が去ろうとすれば、骸骨は止めなかった。ただ、平凡な別れの挨拶が交わされ、男と骸骨の距離が開いていく。
男は振り返らずに歩いて行った。
この墓場について男が聞いたことは、まず、不思議な老人がいること。そして、その老人は墓場に来た人間に昔話をすること。しかし寒いとまでは聞いていなかったと、心の中で愚痴を溢しながら、冷えた手に息を吹きかけた。寒いのは今の季節からして当たり前で、手袋をして来なかった男自身が悪いといえば、それを間違いとはできない。それは理解している。ただの八つ当たりでも、するとしないとでは気分が違うのだ。何か温かい飲み物でも、とは思った。だが、この辺りに自販機などという雰囲気を壊す代物は存在しておらず、存在していたとしても、尻ポケットの財布の中には飲み物を買う金は入っていない。
男の視界で飛んでいた一匹の蛾が、消えた。かのように見えたが、それは見えただけであり、真実では蛾は虫取網の中に移動したのだった。
「おほっ、おほほほっ……」
静かな墓場に笑い声が響き渡った。よくよく聴けば、声の質は男性のものだ。しかし怪しい。
「つっかまーえたー」
その主は虫取網の柄の先にいた。色は黄色味がかっていて、背はそこまで大きくはなく、肉が付いていない。骨張っている、ではなく、ただの骨だった。否、動いて喋っているから、ただならない骨だった。
彼(骸骨)が振り返った。
「ややっ!これはもしやお客さん!?」
骸骨の視線(骸骨に目はないが)の先には、前にも後ろにも誰もいない。どうやら男に向かって喋っているらしい。骸骨が動いて、更に喋っている。再認識した男の意識は、今更ながらそれを現実と認めた。自然と一つの言葉が口を突いて出る。
……骸骨。
「やややややっ!?」
言葉を受けて骸骨が示したのは、コメディ映画でしか見ないほどに大袈裟な驚きのポーズであった。同時に大きく揺れた虫取網から蛾が逃げたが、骸骨は気づいていない。
「あああ貴方はっ、わわわ私が骸骨に見えるのですかっ!?」
骸骨の話す勢いと言葉に男の理解が追いつかないでいると、骸骨は何かに気付いたようにはっとした。そして一つ咳払い(喉はどこにあるのだろうか)をしてから、虫取網を放り投げ、姿勢を改めた。
「失礼。私のこの姿が見える人間には久し振りに会ったもので……ついテンションが上がってしまいました。お恥ずかしい……」
そう言いつつも、骸骨はあまり恥ずかしそうにはしていなかった。そのまま骸骨はくるりと男に背を向け、歩き出した。その背中(正確には背骨だ)が何だか付いて来いと言っているようで、男は骸骨に倣って歩き出す。
「貴方も、昔話をする老人の話を聞いてここに遊びに来たんですか?」
どうやら付いて行ってもよかったらしい。歩きながら話しかけてくる骸骨に男は一つ頷いたが、前を向いている骸骨には見えないのだと思い直して(前が見えているのかも不明ではあるが)、言葉で肯定の意を伝えた。
「ですよねー。でも、どうやらその老人には会えなさそうなんですよ。……あ、別にその話が嘘だったのではなく」
骸骨は一度言葉を切って立ち止まり、男に向き直った。
「私が、その老人の正体です。吃驚したでしょう?」
さも愉快そうな表情(骸骨に表情筋はないが)を浮かべる骸骨は、また「おほほほっ」と不気味に笑っている。骸骨が立ち止まった先には、古びた椅子と机、そしてティーセットが置いてあった。もしこの骸骨の言うことが真実なら、普段はここに連れて来て、紅茶を飲みながら昔話、といったところだろう。
「わざわざこんな墓場まで来て目的の老人に会えないなんて、骨折り損でしたね。……あ、折れたからって私の骨はあげませんよ?なぁんちゃって!おほほほっ」
自分の言ったことが余程面白かったのか、骸骨は高い声で笑い続けていて、大分喧しい。音量はそこまで大きくはないものの、やたらと頭に響いた。男は眉間に皺を寄せてそれをやり過ごしながら、無言で骸骨の横を通り過ぎた。
「……ややや?」
この調子だと夜が明けても話が聞けなさそうで、男は勝手に椅子に座り、骸骨に笑みを投げかけた。男にとって、老人の正体が骸骨だったから別段どう、ということはないのだ。ただ、男の周りにいるリアリスト共には話しても信じてもらえないだろうから、困るといえば困るのだが。
「へぇ……」
数秒間だけ立ち尽くしてから、男の向かいの椅子に骸骨が座った。椅子から軋んだ音が聞こえる。
「霊感の全くない方は、得てして許容範囲が広いのでしょうか?」
霊感と許容範囲の関係の推測など、男には興味を欠片も持てない話だ。それよりも気になったのは、骸骨が男の霊感を全くないと決め付けた事実であった。
「簡単なこと。私のこの姿が見えるなら、霊感は全くない。それだけですよ」
曰く、骸骨は何やら霊的な力を使って老人の姿を創り出している。この場所による力もあってその幻は大分強力なはずだから、霊感が少しでもあれば老人の姿で見えるのだと。信じられない話ではあるが、骸骨が動いて喋っている光景を現実として認めてしまった男には、信じるという選択肢が生まれていた。
「さて、それよりも昔話をしましょうか。……紅茶も実物じゃあないんで、飲み物は出せませんが」
相変わらず不思議な笑い方で、けれど今までよりもいくらか小さなあまり響かない声で、骸骨は少し笑った。
骸骨の話は確かに面白かった。話の内容もそうだが、何より骸骨の語り口が聴く者を惹き付けるのだ。話を聴きながら、男は骸骨の望むままに相槌を打ってしまう自分を止められなかった。
「楽しんでいただけたようで何よりです」
満足気に語る骸骨自身も、話す相手がいて楽しかったのだろう。初めてする話だとも言っていたから、思い出した話を試したのかもしれなかった。しかし、二人が充実した時間を過ごせたのならば、それらの真偽に重要性は感じられない。
男は席を立ち、骸骨に礼を言った。
「やや、もう帰るんですか?」
骸骨が以外そうな声色で訊ねてきたが、男にもやらなければならないことが山とある。例えば、今日の出来事を他人に信じてもらう方法を考えるだとか。
「ただあったことをそのまま話せば良いじゃないですか」
そう出来れば、何て楽なのだろう。しかし、男はそれを言葉として伝えなかった。溜め息で返事をする。骸骨は男の心を理解したのかしなかったのか、「なるほどねぇ」と頷いている。
今度こそ男が去ろうとすれば、骸骨は止めなかった。ただ、平凡な別れの挨拶が交わされ、男と骸骨の距離が開いていく。
男は振り返らずに歩いて行った。