ヒューマノイド
いつの間にか目を覚ましていた“それ”がこちらを認めて声をかけてきた。ファーザーとは何ともこそばゆい呼び名だが、何度言っても直して貰えないのでもう諦めた。どうせ、ここには自分とそれしか居ないのだから。
「あぁ、起きた。体調はどう?」
どうやらもうすぐ壊れるらしい、と、先日やけにあっさり教えてくれたそれは、上体を起こして軽く伸びをした。ヒューマノイドが伸びをして、何かメリットはあるのだろうか。
「んー……、体調はいつも通りです、けど……。」
そこで少し言い難そうに一度言葉を切り、それは首を回して関節を鳴らした。ヒューマノイドが関節を鳴らして、何かメリットはあるのだろうか。
「起きた傍からこんなこと言うのもどうかと思うんですけど……、もう、終わりみたいです……。」
「あぁ、そう……。」
何がもう終わりなのか、そんなことは訊くまでもない。なぜ自分の壊れるときがわかるのかは知らないが、それは嘘を吐くときにきちんと内容を選ぶので、きっと本当のことなのだろう。しかし、自分が壊れることへのこの興味のなさは、一体何なのだろうか。そういえば、それは自分に対してあまり興味を持たなかった、と、それが稼働してからのことを思い出してみる。そのとき、まるで人間のようなそれの瞳から、幾らかの液体が溢れた。一体何を考えていたのだろうか。
「……やっぱり、もう会えないとなると悲しい?」
ぽたぽたと音をたてながら落ちていく滴を涙と取って、今までのパターンからそう推し量って訊いてやれば、それは涙を拭うこともせずに首を横に軽く振った。
「いいえ、いつかは壊れるって、わかってましたから。」
それなのに、何故涙が出るのだろうか、と、それが苦笑いのようなものを浮かべる。
「何だかね、機械の私にはありえないはずなんですけど、今までのことを思い出していたら、……何だかこの、胸の辺りが温かくなってくるんですよ。」
戸惑っているようだったそれの笑顔が、徐々に柔らかなものへと変わっていった。
「あぁ、前に言っていた嬉し泣きって、これのことなんですね。ファーザー、色々と教えて下さってありがとうございました。……貴方に逢えてよかった。」
機械とは思えないほど人間のような表情で、機械とは思えないほど幸せそうにそれは微笑んだ。ただの水でしかないその涙の、0と1の羅列でしかないその心の何と美しいこと!
「ファーザー?貴方は今、悲しいのですか?」
「……?」
それの言葉と視線に、自分の頬骨の辺りに手で触れてみれば、確かに、濡れている。しかし、悲しいわけではない。
「あぁ……、これは多分……感動、かな?」
経験したことがあまりないのでよくわからないが、今の感情に名前をつけるとすれば、きっとそうだろう。
「感動ですか。ファーザーが何に感動したのかは知りませんが、私に関係することだったら嬉しいです。」
にこり。そんな擬態語がぴったり当てはまるような笑顔だった。綺麗だな、と、柄にでもないことを考えていると、それが大きな欠伸を一つ。
「今起きたばかりなのに、また眠くなってきちゃいました……。これは……、きっと、そういうことなんでしょうね。」
どういうことなのか、今更そうは訊かない。代わりに、出来る限り優しく、温かく微笑んで、指で軽く髪を梳いてやった。
「じゃあ、今日はもうお休み。」
最近頻度が増えたこの行動にも慣れてきたのか、それは少しの間心地良さげに目を閉じ、されるがままになっていた。しかしずっとそうしている訳にもいかず、手を離せば、それはまた欠伸をして、ほんの少し、ほんの少しだけ寂しそうな笑顔で、言った。
「それじゃあ、お休みなさい。」
「ん、お休み。」
横向きに、丸まるようにして寝転がるそれは、本当に機械で、本当にもう壊れるのだろうか。そう考えなくもないが、現実はそれをあっさりと否定してくれるので、あまり夢ばかり見ていられない。とりあえず今日の記録を残そうとそれから離れると、それが寝に入る直前の不明瞭な声で言ってきた。
「そういえば、昨日ファーザーが帰った後、何か落ちてたので机の上に置いときました。」
言われて机をみれば、そこには今朝探しても探しても見つからなかった虫除けスプレーがあった。とりあえず、帰りは虫に刺されることはなさそうだ。