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十二月、あの流れた星

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心臓が、やたらと苦しくて目が覚めた。真っ暗な場所で倒れていた。寒い。心臓が変に震えている気がするのは、このあんまりな寒さのせいだ。末端の手足はジンジンと麻痺して、もう寒いのかすらも分からない。その代わりに現状を教えてくれたのは頬の感触で、やたらと冷たく、ざらりとした床だった。コンクリート。外だ。ここは、マンションのベランダなのだ。道理でやたらと寒いわけだと納得する。寒いだけでなく、あちこち異常に痛かった。殴られたのは頭かと思ったが、どうやら全身蹴られたらしい。起き上がることもできなかった。
それでもどうにか体を動かそうと、手のひらを握ろうとしたときに痛みとともに気付いてしまった。どうしてわざわざ、ここなのか。
「妖精さん」はベランダから入ろうとして、あの人に殴られたと聞いた。
それなら答えは簡単だ。あれは、あの人にもう一回、同じ事をさせようとしているのだ。こんどはわたしで。人殺しにしようと、しているのだ。
これ以上ないくらいの報復だった。
そう気付いた瞬間、がたがたと、あらゆる震えが止まらなくなった。だってそれはきっと現実になってしまう。あのひとはわたしを殺してしまう。わたしがしょっちゅうここに来ているのを、兄貴だけは知っているから、それも遠からず明るみに出てしまう。
ぼろぼろと涙がこぼれた。ひゅうひゅうと息が詰まる。どうしよう。どうしよう。まさか、こんなことになるなんて――人間の悪意を舐めていた。こんな。
震えが止まらない。全身が痛い。寒くて。怖くて。守りたいと思っていたのに、最後はわたしが、あの人を手酷く傷つけるのだ。
うそをついてはいけないよ。あのひとはかつてわたしにそう教えた。わたしはそれを守ってきた。ずっと。ずっとだ。だけどあの時嘘をついた。何も見えないよ。見えていたのに。認めたくなかったから、嘘をついた。
怒られると思ったのはそのことだ。たとえ「妖精さん」を勝手に逃がしても、あのひとは悲しむだけで怒りはしないだろう。でも、嘘をついたから。怒られる、と咄嗟に思った。わたしは、あのときのまま、わたしの幸せを願ってくれたあの人のままでいてほしかったのだ。
でも、あのひとは、もう叱ってくれない。
幼かったわたしを救い、そして長い苦しみに追い込んだあんな言葉を、もう言ってはくれない。
情けなく、頬をコンクリートに当てたままぐずぐずと泣いていた。痛いよぅと喉の奥で呟いて。生暖かい液体が顔面を濡らして、それがとても心細い。麻痺した皮膚にもそれだけは不快で、わたしはぎゅうぎゅう、顔をコンクリートに押しつけた。冷たい。ざらざらと、墓のようだ。どうすればいい。必死に考えようとするのに、思考はまるでばらばらに流れる。未来が、もうすぐ来てしまう。
それは足音とともにやってきた。そしてやがて光になった。光のなかの影だった。何か喋ろうとしたけど、唇が痛くてうまく動かせない。助けて。――わたしを見て。気が付いて。
必死で願って口を動かそうとするのに、影が近づくほうが、ずっとずっと速かった。
未来が、わたしの名を呼んだ。

あの日わたしは、あの人の願いを聞きながら、この人はきっと憧れているのだと思った。わたしを大事に甘やかすのは、幼い頃の憧れを、すべて詰め込んでいるからなんだと。お母さんの子供の頃は想像できないのに、あの人の子供時代は、どうしてか容易に想像がついた。もちろんそんなはっきり思ったわけではなかったけれど、わたしはそんな、捻くれた子供だった。真っすぐ行為を受け取れなかったのだ。
幸せになって――
それはあまり、好きな言葉ではない。今でも。
でも守りたいのでは駄目だった。わたしにこの人が守れるばずがなかったのだ。ずっと気が付かなかったけれど、この人はもう、ずっと戦っていたのだ。弱い自分を抱えながら、それでもずっと、わたしを見ようとしてくれていた。守りたいでは、駄目なのだ。幸せにしたいと。ほんの些細なことでもいいから、この人に幸せが降るように。そう願うべきだった。
あの人はわたしの名前を呼んだ。とても不安そうに、拒絶を恐れてでもいるみたいに。わたしは体を動かそうとする。声を、腕を、顔を、目を。だってあなたに伝えたい。幸せになってほしいって。わたしはあなたが大好きだって、どうしても今伝えたい。
擦れる声で、呼び掛けた。
かすかに怯えて震える指が、指先だけがわずかに目蓋に触れた。怪我したのかというから、うん、でも大丈夫と意味をこめてかすかに顎を動かした。
いたいのか?不安そうな声がする。痛くないよ、平気だよ。安心させてやりたくて、ただ顎をかすかに動かした。
妖精さんがいなくなっちゃったんだ。あのひとはしばらく黙って、指先でわたしの目蓋を撫でる仕草のあと、細い声でそう告げた。泣かないだろうか。わたしは不安になる。でもこういうとき、泣いたほうがいいのか泣かないほうがいいのかはよく分からなかった。
果たして、あのひとは泣かなかった。かわりに少しだけ微笑んだ。自分の家に帰っちゃったんだなと、淋しそうに言った。
うんと、頷く。まるで奇跡のような、静かな夜だった。
作品名:十二月、あの流れた星 作家名:七瀬